49.赤く染まる夜、揺らぐ天下
烏巣の方角が、夜空を赤く染めていた。
遠く離れた神域本営からでも、その炎の揺らめきははっきりと見える。
織は静かに空を見上げ、呟いた。
「始まったね。曹操が動いた」
「……なあ」
織が振り返る。
「どうしたの」
「俺、最近出番なくね?なんか最近、主役じゃない感じするんだけど」
張世平が吹き出した。
「お主、ワシと同じモブか?さては?」
織は淡々と返す。
「もともと主役なの?」
「いやいやいや!? 俺、神域の長だよ!? もっとこう……廠、戦局を読む!とか、廠、天啓を受ける!とか、そういう見せ場あってもよくない?」
織は首を傾げた。
「でも今、戦ってるのは曹操と袁紹でしょ?官渡の戦いはきちんと書かないと」
「まあまあ。出番がないのも、主役の特権じゃろ。ここぞ、という時に出てくるのが主役というものよ」
廠は腕を組み、むむむと唸った。
「……じゃあ、その“ここぞ”っていつ来るの?」
織は茶をすすりながら、さらりと言った。
「作者次第」
「そこが一番の問題なんだよ!!」
廠の叫びが神域の夜空に響き、張世平は腹を抱えて笑った。
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「報告!」
夜の帳が降りた袁紹本営に、伝令の叫びが飛び込んだ。
軍議の空気が一瞬で張り詰める。
「殿、烏巣が、烏巣が炎上しております!」
その言葉は、雷鳴のように幕僚たちの胸を打った。
「な……何だと……?」
袁紹の顔から血の気が引く。
幕僚たちはざわめき、互いに顔を見合わせた。
「烏巣は……兵糧庫だぞ……」
「淳于瓊殿はどうしたのだ……?」
「まさか、曹操が……!」
張郃はすぐに前へ進み出た。
「殿、直ちに兵を回し、烏巣を救うべきです! 兵糧を失えば、十万の軍勢といえど立ち行きませぬ!」
しかし袁紹は、震える声を押し殺すように言った。
「官渡を落とせばよいのだ」
張郃は目を見開いた。
「殿」
「官渡を落とせば、曹操は終わる。兵糧など、あとでいくらでも取り返せる」
その言葉は、もはや自分自身に言い聞かせる呪文のようだった。
幕僚たちは誰も反論できず、ただ重苦しい沈黙が落ちた。
張郃だけが、拳を握りしめていた。
――
烏巣が燃えたその夜も、官渡の城壁には矢が降り注いでいた。
だが、守備の中心に立つ曹洪は、微動だにしない。
「火矢を絶やすな、歩兵は盾を重ね、城門を固めよ」
その声は落ち着き、兵たちの士気を支えていた。
張郃の攻勢は激しい。
攻城梯が次々と立てかけられ、袁紹軍の兵が波のように押し寄せる。
「行くぞ」
張郃が先頭に立ち、城壁へ迫る。
その動きは鋭く、兵たちの士気を一気に押し上げた。
曹洪は城壁の上から張郃を見下ろし、静かに呟いた。
「来たか」
曹洪は、一度城壁から降りる。
「開門」
曹洪は自ら槍を手に取り、城門を開かせた。
城内の兵たちが驚く。
「曹洪将軍」
「一度、敵を押し返す。ここで怯めば、官渡は落ちる」
城門が開き、曹洪が先頭に立って飛び出した。
その勢いに、袁紹軍の前列が一瞬たじろぐ。
張郃が馬を返し、曹洪へ向き直った。
「曹操軍の将とみた」
二人の武将が激突した。
槍と剣が火花を散らし、周囲の兵たちが息を呑む。
張郃の剣は鋭く、無駄がない。
曹洪の槍は重く、揺るぎない。
互いに一歩も引かず、攻め、受け、弾き返す。
「見事だ」
「そなたこそ」
互角。
まさに互角であった。
だが、曹洪は深追いしない。
「退け、城へ戻る」
曹洪は部隊をまとめ、素早く城内へ引き返した。
張郃は追撃しようとしたが、曹洪の守りは鉄壁で、城門はすぐに閉ざされた。
張郃は剣を下ろし、息を整えながら呟いた。
「あれほどの武将が、曹操軍にはまだいるのか」




