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今度は三国志の真っ只中にいます  作者: 水原伊織


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46.双璧崩壊。関羽、顔良を討ち、袁紹軍に亀裂走る

文醜を失った衝撃は大きかったが、袁紹にはまだ顔良という切り札があった。


袁紹はその動揺を力で押し潰すかのように軍を再編し、顔良を先鋒に据えて官渡の曹操軍を包囲する陣を敷き始めた。


名門の威信を守るため、もはや退くという選択肢は袁紹の中にはなかった。


袁紹のもとに、烏巣へ兵糧が続々と集まっているとの報告が届いた。

烏巣は淳于瓊が守っている。補給線は太く、兵糧の備蓄も潤沢だった。


曹操は袁紹軍の兵糧が尽きるのを待っているのかもしれない。

だが、袁紹にはその読みが甘く見えた。


河北には、十万の兵を養うだけの兵糧がまだまだある。

干上がるとすれば、それは曹操軍のほうだ。


袁紹はそう確信していた。

むしろ、官渡に籠る曹操を兵糧攻めで締め上げる好機だとさえ感じていた。


----


曹操の天幕に、二つの報せがほぼ同時に届いた。


ひとつは、上党から南へ離れた地に異形が出現したというもの。

もうひとつは、その報せを聞いた関羽が神域へ戻る途中、追撃に出た顔良を斬り伏せ、その首が曹操軍へ届けられたというものだった。


首実検を終えた張遼が静かに言う。

「間違いなく、顔良の首にございます」


曹操はしばし沈黙したまま、その首を見下ろした。

やがて、低く呟く。

「……顔良も愚かよ」


夏侯惇が目を伏せる。

「関羽は、もはや袁紹軍を敵とすら見ていなかったのでしょう」


曹操は頷いた。

「そうだ。あの男の眼は、もっと別のものを見ている。異形か、神域か……いずれにせよ、袁紹の虚勢など取るに足らぬと判断したのだ」


曹操は顔良の首から視線を外し、地図へと向き直る。

「下手に手を出さねば、顔良も命を落とさずに済んだ。だが」

指先が官渡の位置を叩く。

「袁紹は、己の“名門の威”を守るために、関羽の退路を追わせた。その結果、もう一つの牙を失った」


荀攸が静かに続ける。

「これで袁紹軍の先鋒は、完全に崩れました。残るは兵糧のみ」


曹操は薄く笑った。

「関羽は神域へ戻った。だが、置き土産は大きい。袁紹の誤算が、また一つ増えたな」

天幕の外では、官渡の風が冷たく吹き抜けていた。

その風は、袁紹軍の巨大な影が、ゆっくりと崩れ始めていることを告げているかのようだった。


----


顔良の首が袁紹の本陣へ届けられたのは、夕刻のことであった。

曹操からの使者が送ってきたのだ。

血の気の引いた将兵たちの間を、沈黙が重く流れる。


伝令が震える声で報告する。

「…間違いなく、顔良将軍の首にございます。関羽の追撃に出た顔良将軍は、返り討ちに」


袁紹はしばらく言葉を失った。

文醜に続き、顔良までもが討たれた。

河北が誇る“双璧”が、わずか数日のうちに両方失われたのだ。


軍議の場に重苦しい空気が漂う。


審配が口を開く。

「殿…先鋒を失った以上、いったん兵を引き、態勢を立て直すべきかと」


田豊も静かに続ける。

「曹操軍は官渡に籠っております。焦らずとも、兵糧攻めで勝てましょう」


しかし袁紹は、二人の言葉を聞いていなかった。


顔良の首を見つめるその目には、怒りと屈辱が渦巻いていた。


「…関羽、か」


唇を噛みしめ、拳を震わせる。


「劉備の家臣風情が、我が将を二人も討ち取ったというのか。このまま退けば、河北の民は何と言う?名門袁家が、関羽ごときに怯んだとでも言われるのか!」


審配が慌てて言葉を挟む。

「殿、しかし今は冷静に――」


「黙れ!」


袁紹の怒号が軍議を震わせた。

「退くことは許さん! 官渡を包囲し、曹操を圧し潰す!顔良の仇は、ここで討つのだ!」


沮授が苦い顔で進み出る。


「殿、兵糧の消費が激しゅうございます。無理な攻勢は」

「兵糧なら烏巣に山ほどある、淳于瓊が守っておる!十万の兵を養う糧は尽きぬ!干上がるのは曹操のほうだ!」


袁紹は地図を拳で叩きつけた。

「全軍に伝えよ!明朝より官渡の包囲を強め、総攻撃の準備に入る!名門袁家の威を、天下に示すのだ!」


将たちは顔を見合わせた。

誰もが、この命令が“体面のための無理押し”であることを理解していた。

だが、袁紹の怒りと焦りは、もはや誰にも止められなかった。

その夜、袁紹軍の陣営には、勝利を確信した喧騒ではなく、どこか不吉な沈黙が漂っていた。


----


関羽は、上党へ戻る途上で前方に黒い影の群れを見つけた。

地を這うような唸り声。

風に乗って漂う、血と腐臭の混じった匂い。


「……異形か」


青龍偃月刀を握り直し、関羽は馬腹を蹴った。


異形の群れがこちらに気づき、獣のような咆哮を上げて襲いかかってくる。


関羽は眉一つ動かさず、ただ前へ。

青龍偃月刀が弧を描き、異形の首が宙を舞った。


そのまま群れの中へ突っ込む。

だが次の瞬間、反対側から地響きが迫った。


「兄者」


張飛の怒号が戦場を震わせた。

黒雲のような騎馬隊が、異形の背後から突撃してくる。


張飛の蛇矛が唸り、異形をまとめて吹き飛ばす。

関羽の冷徹な斬撃と、張飛の豪快な突撃。


二つの奔流が異形の群れを挟み込み、瞬く間に蹴散らしていった。

最後の一体が倒れたとき、戦場には風の音だけが残った。


張飛が馬上で笑う。

「兄者、また妙なところで会ったな!」


関羽は刀を払って血を落とし、静かに答えた。

「異形が現れたと聞けば、戻らぬわけにはいかぬ」

張飛は鼻を鳴らす。

「上党は俺たちの守る地だからな」


二人は馬首を揃え、上党へと向かって駆け出した。

その背に、異形の死骸が静かに転がっていた。

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