表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今度は三国志の真っ只中にいます  作者: 水原伊織


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/65

43.帝、民となる──揺らぐ正統と動き出す覇者たち

神域の奥、静かな回廊を歩く織の足取りは、いつになく速かった。


彼女の背後には、影のように気配を消した女、朧が控えている。

張世平が築いた財にて、雇った間者集団だった。

名前など無いので、織は以前の記憶を思い出し、朧と名付けた。


「廠。袁紹が動いたわ」


織の声に、廠と紅陽、そして神軍の幹部たちが顔を上げた。


「朧が掴んだ情報よ。袁紹は、帝を取り戻すために曹操へ密書を送った。

劉備殿のもとに移られた帝を、力ずくでも奪い返すつもりのようね」


紅陽が眉をひそめる。

「袁紹が…帝を?」


廠はしばし沈黙し、やがて静かに息を吐いた。

「焦っているな、袁紹は、帝が神域にいたときは、まだ推戴している形で天下に号令できた。だが今は、劉備のもとにいる。自分の旗が奪われたように感じているのだろう」


織が頷く。

「袁紹は、帝を抱える者こそ正統と考える男です。劉備殿が帝を守る形になった今、河北の威信が揺らぐと見ているのでしょう」


廠は立ち上がり、神域の外へ続く門の方角を見た。

「袁紹が帝を奪い返すために動くなら、いずれ神域にも手を伸ばす可能性がある」


紅陽が問う。

「では、どう動かれますか?」


廠は迷いなく答えた。

「袁紹に伝えよう。神域に一歩でも踏み込むなら、迎え撃つ、と」


室内の空気が張り詰める。

織が静かに目を細めた。

「廠…それは、袁紹に対する宣戦布告と受け取られます」

「構わない。帝は、もはや誰かに推戴されるだけの存在ではない。自らの意志で動き、劉備のもとへ行かれたのだ」

「そうね」

「だが、多分、俺達には手出しはしてこないと思うが」


織は朧に視線を向けた。

「朧。袁紹へ伝令を。神域に干渉するな、と」


朧は無言で一礼し、影のように消えた。


----


廠は、地図を見つめたままぽつりと言った。

「……袁紹ってさ。やっぱり、ちょっとバカなんじゃない?」


紅陽が目を瞬かせる。

「え?」


廠は肩をすくめた。

「だってさ。異形が各地で暴れて、人が生きるだけで精一杯の世界だよ?そんな状況で“漢王朝がどうの”って、今さら何を言ってるんだろうって思わない?」


織が静かに答える。

「河北が平和だから、でしょうね。

異形の被害が少ない土地では、昔の価値観がそのまま残ってしまう」


廠は苦笑した。

「名門って、なんだかな。時代が変わってるのに、昔の旗にしがみついてるだけじゃないか」


紅陽は小さく息をついた。

「だからこそ、帝を奪い返そうと焦るのでしょう。“名門の袁家”としての体面を守るために」


廠は首を振った。

「体面なんてどうでもいいだろ。今は、人が生き残れる場所を増やす方が大事だ」


その声には、苛立ちではなく、“世界の現実を見ている者の静かな諦観”が滲んでいた。


----


曹操からの使者は、上党の新しい街に静かに入った。

劉備は書簡を受け取ると、その場で封を切り、眉をひそめる。


「……袁紹殿が、帝の身柄を狙っている、と」


側にいた帝にも、劉備は書簡を差し出した。

帝は丁寧に文面を追い、やがてふっと笑みを漏らした。


「まだ、あの男は私の、血筋にこだわっているのか?」


劉備が驚いて帝を見る。

帝は、畑帰りのままの姿だった。

袖には土がつき、手には鍬の跡が残っている。

それでも、その眼差しは澄んでいた。


「今の私は、この地で暮らす民の一人のようなものだ。ここで土を耕し、皆と同じ飯を食べ、同じ空の下で眠る。

……それだけで、世の中のことがよく見えるようになった」


劉備は静かに頷いた。

「袁紹殿は、体面にこだわっておられるのでしょう。“名門の袁家”として、帝を抱えていなければならぬ、と」


帝は苦笑した。

「体面か。民は、そんなものでは腹は満たされぬし、命も守れぬ。

異形が跋扈するこの世で、まだ“漢王朝の正統”などと言っているとはな」


帝の声には、嘆きではなく、どこか達観した響きがあった。

「宮中に閉じ込められていたゆえに、何も知らなかった。ここに来て初めて、人がどう生き、どう苦しみ、どう笑うのかを知った」


劉備は深く頭を下げた。

「陛下がそう言ってくださるだけで、民は救われます」


帝は劉備の肩に手を置いた。

「劉備。私は、自らの意志でここにいる。袁紹がどう言おうと、私は動かぬ」


その言葉は、かつての“象徴としての帝”ではなく、

ひとりの人間としての強い意志だった。


劉備は静かに息を吸い、外の空を見た。

「……では、袁紹殿が動く前に、こちらも備えを固めましょう」


帝は頷いた。

「民を守るためになら、私はいくらでも力を貸そう」

上党の空は夕焼けに染まり、帝と劉備の影が、ゆっくりと並んで伸びていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ