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今度は三国志の真っ只中にいます  作者: 水原伊織


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42.袁紹の焦燥と曹操の策謀

袁紹は、文机の前で拳を握りしめていた。

帝が神軍の庇護下にあるうちは、まだ良かった。

「帝を推戴している」という大義名分があった。

河北四州の豊かな兵糧と兵力を背景に、天下へ号令を発する旗印として、帝は最適だった。

なにより、神軍は形として、河北にいるのだから。


だが。

「よりにもよって、劉備のもとへ行かれるとは」


上党。

劉備が民を率いて築いた新たな街。

そこに帝が移ったと聞いた瞬間、袁紹の胸中に走ったのは怒りではなく、焦燥だった。


劉備は仁を掲げ、民に慕われる男。

その劉備が帝を抱えたとなれば、誰がどう見ても“劉備こそ正統を奉じる者”となる。


袁紹の喉が、乾いた音を立てた。

「このままでは、河北の旗が霞む」


帝を取り戻さねばならない。

だが、正面から劉備と争えば、天下の評判を落とす。

神軍の存在もある。

下手に動けば、河北の威信が揺らぐ。


袁紹は、机の上に置かれた一通の書簡に目を落とした。

それは、彼自身がしたためた密書だった。

宛名は、曹操。


「劉備は天下を望まぬ。だが、帝を抱えた劉備は、天下を揺るがす。曹操よ、お前もそれを理解しているはずだ」


袁紹は筆を取り、最後の一文を書き加えた。

帝を、取り戻したい。

互いのために、手を結ぶべき時ではないか。


書簡を封じると、袁紹は側近を呼んだ。

「これを、許都へ。誰にも悟られるな」


側近が深く頭を下げ、闇へ消える。

袁紹は、静まり返った広間でひとり呟いた。

「劉備よ……お前に帝を抱かせたまま、黙っていると思うな」


河北の覇者の瞳には、焦りと、決意が同時に宿っていた。


----


曹操は、卓上に置かれた一通の書簡を指先で軽く叩いた。

封を切った瞬間から、文面に漂う焦燥は隠しようもなかった。


「……袁紹め。追い詰められているな」


その呟きは、嘲りでも怒りでもなく、状況を見透かした者の静かな観察だった。

曹操は、従者に、家臣を呼ぶよう命じた。


ほどなくして、夏侯惇、荀彧、程昱らが入室する。


「殿、いかがなされました」


曹操は書簡を持ち上げ、軽く振ってみせた。


「袁紹からだ。帝を取り戻したいらしい。焦っているようだ」


荀彧が眉を寄せる。

「帝を……。劉備殿のもとに移られたことが、そこまで袁紹を追い詰めているのですね」


曹操は静かに頷いた。

「帝は、もはや“誰かに推戴されるだけの存在”ではない。

自らの意志で動き、劉備のもとへ行かれた。袁紹の言う『推戴』など、もはや意味をなさぬ」


夏侯惇が腕を組む。

「では、いかがいたしますか?」


曹操は書簡を卓上に置き、口元に薄い笑みを浮かべた。

「どうもこうもない。この書簡を、そのまま劉備のところへ送ってやろう」


家臣たちが一瞬、息を呑む。

「……そのまま、でございますか?」

「そうだ。袁紹が帝の身柄を狙っている、と。逆賊の企みとして、劉備に知らせてやる」


荀彧は目を細めた。

「袁紹の焦りを、劉備殿に見せつける。劉備殿は帝を守るため、袁紹に対して警戒を強めるでしょう」


曹操は頷いた。

「劉備は天下を望まぬ。だが、帝を抱える以上、袁紹の動きには敏感になる。

袁紹が帝を奪おうとすれば、劉備は必ず反応する。その間に、我らは動けばよい」


夏侯惇が笑った。

「袁紹の書簡が、袁紹を追い詰める武器になりますな」

「劉備の方から、攻めることはあるまい。このことによって、袁紹はこちらに刃を向けるかもしれんがな」

「袁紹との決戦になりますか?」

「ああ、その際には、劉備軍という援軍が呼べる」


曹操は書簡を巻き直し、封を施した。

「これを上党へ送れ。“帝の身柄を狙う逆賊・袁紹”としてな」


家臣たちは深く頭を下げ、書簡を持って退出した。

曹操は再び地図を見下ろす。

河北の袁紹。

上党の劉備と帝。

そして、神域の存在。

静かに、しかし確実に、天下の盤面はさらに、動き始めていた。

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