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「正直に言うけれど、じつはとても困っていたのよ」
サラ様は顔をしかめながら、堰を切ったように語り出した。
「わたしには結婚したい相手がいるの。彼は初婚で、自分の血を引く子を強く望んでいるわ。多分ノアを連れて行っても養子にしてもらえないでしょう。マイルズ家は兄の子が継ぐから、ノアは跡取りにはなれないし」
養子にしなくとも、妻の連れ子を家に入れている貴族は珍しくない。富裕な侯爵家ならば、子どものひとりくらい養育するのはたやすいはずだ。だが、どうやらサラ様は我が子を貴族の家の当主にしたいらしい。
「娘なら嫁に出せばいいけど、ノアは男の子でしょう? 継ぐ家が無いのはかわいそうだと嘆いていたら、ロイがうちには子どもがいないから、ノアを養子に迎えて伯爵家を継がせようと言ってくれたの。本当に嬉しかったし、感謝しているわ。ノアと別れるのはとても辛かったけれど、あの子の幸せのためなら我慢できるもの」
(息子じゃなく、あなたの幸せのためでしょう)
口には出せないが、心の中では突っ込みが止まらない。
やはりそうだったのだと、はっきりとわかった。
ロイは傀儡のように操られてサラ様の思い通りに動かされた。
サラ様を信じて疑いもしないのか、それともすべてわかっていて彼女の望みを叶えようとしたのか。
いずれにせよ、そこには妻であるわたしに対する気遣いとか、思いやりといったものは微塵もない。
そして、サラ様は嫁ぐのに息子が邪魔だったなどとおくびにも出さず、継ぐ家が無い息子と跡取りのいないわたしたち夫婦のためを思い、泣く泣く子どもを手放す母という役を演じている。
(なんて醜悪な茶番劇なの)
結局のところ、ロイもサラ様も自らの欲のままに動いているだけなのだ。
「そうですか、よくわかりました。本日はお時間を頂き、ありがとうございました。これで失礼いたします」
わたしが立ち上がると、サラ様は座ったままわたしを見上げ、にっこりと笑みを浮かべた。
「わかっていただけて良かったわ。ノアのことよろしくね」
もちろんわかってなどいないし、ノアを引き受けるつもりもない。
即座に断ると言いたかった。でも、まだこちらの手の内はさらせない。
わたしは何も答えず、ただ頭を下げただけで、彼女に背を向けた。
ここまで無責任な人だと、今まで気付かなかった。
(わたしが知らなかっただけで、アレクシス様も彼女と同じなの? サラ様とうまくいかなくなって、他の女性に惹かれ、自分の子どもをいらないと思うような人だったの?)
いつも密かにわたしを気遣いながら、柔らかく接してくれた彼をそんな人だとは思いたくなかった。
* * *
屋敷に戻ると、執事から報告を受けた。
「旦那様のご指示通りにノア様のお部屋を整え、家庭教師を手配いたしました」
「もう? 早いわね」
「私もせめて大旦那様にお話をされてからのほうがと申し上げたのですが、当主はもう自分なのだからと仰いまして」
「お義父様はいついらっしゃるの?」
「おそらく明後日にはお着きになるかと」
「わかったわ。それまで旦那様の言うとおりに進めてちょうだい」
義父母との関係は悪くないが、それほど親しい間柄でもない。
ロイの話を聞いた義父がどんな判断をするかわからないが、義父が滞在しているうちにわたしの意思をはっきりさせておいたほうがいいだろう。
わたしは手紙を書いて実家に送った。
妹は来年学院を卒業し、結婚する予定だ。わたしが戻ったところで居場所などないし、そもそも戻るつもりも無いが、一応、報告だけはしておかなければならない。
その日のうちに父から返事が来たので驚いた。
離婚などとんでもないと叱責されるかと思っていたがそうではなく、離婚したら実家に戻って妹を支えて欲しいと書かれていた。どうやら妹の教育はうまくいっていないらしい。
(絶対に帰りたくないわね)
再婚したいわけではないが、ずっと独り身のまま実家で妹に使い潰されるのはまっぴらごめんだ。
一刻も早く、今後の身の振り方を考えなければならない。
(メイベルの商会で雇ってもらえないかしら)
ふとそう思った時、メイベルとの会話が脳裏によみがえり、アレクシス様のことが頭に浮かんだ。
ロイとアレクシス様は友人同士だったはずだが、卒業以来、疎遠になっている。
わたしたち夫婦には会話がなかったから、ロイからアレクシス様のことを聞かないのは当然なのだが、あれほどサラ様の許へ通い詰めておいて、アレクシス様との仲が良好なはずがない。
ノアがロイの養子になることをアレクシスはどう思っているのだろう?
そのことが無性に気になって仕方がない。思い切って会いに行くことにした。
* * *
一時は遺跡調査に熱中していたアレクシス様も、父であるブラン伯爵が体調を崩してからは、王都の屋敷で執務に勤しんでいるらしい。
久しぶりに会ったアレクシス様は疲れたご様子だったが、穏やかな物腰と柔らかな微笑みは少しも変わっていなかった。
「あなたが訪ねて来てくれて嬉しいよ。それがどんな理由であってもね」
挨拶を交わしてすぐ、アレクシス様はにっこりと笑いながら仰った。
「アレクシス様はもうすべてご存じでいらっしゃるのね」
「ロイが怒鳴り込んできたからね」
(えっ? どうしてロイが怒るの? まさか離婚したからとか?)
訳が分からずに言葉を失ったわたしを見て、アレクシス様は軽くため息をついた。
「ロイからどこまで聞いているのかな?」
「ほとんど何も。夫はいきなりノア様を連れてきて養子にすると言っただけです。サラ様にもお会いしたのですが、ノア様はブラン家から出されて継げる家がないから、クライド家の後継者になれて嬉しいと仰いました」
「はっ、ずいぶんと図々しい言い分だな。あなたもそう思わない?」
アレクシス様の微笑みが嘲笑へと変わった。
「失礼を承知でおうかがいします。おふたりに何があったのですか? わたしはアレクシス様が我が子を手放すような方ではないと信じています。ですから、どうしても事情が知りたいのです」
「そうだね。あなたもあいつらのせいで多大な被害を受けているから、聞く権利はあるよ。だが、話をする前にひとつ聞いておきたい。あなたはこのままノアを引き取って育てるつもりかい?」
「まあ、そのようなこと初めて聞かれましたわ」
思わず笑みがこぼれた。
今まで誰もわたしの意思など尋ねてはくれなかったから、ただ嬉しかった。
「なんだって? こんな大事な話をロイは相談もせずに決めたのか?」
アレクシス様が眉をひそめる。
「夫はわたしが黙って従うべきだと考えているようですわ。ですが、わたしはそうするつもりはありません」
わたしはアレクシス様の灰青の瞳をまっすぐに見つめた。
初めて口にする決意をこの人に聞いてもらいたい。
「わたしにはノア様を受け入れることはできません。まだ自分の子どもを持つことを諦めたくありませんし、何よりノア様はサラ様のお子ですから無理なのです。そうまでしてサラ様とのつながりを持ちたいのかと思うと、夫には嫌悪感すら覚えます。ですから、養子縁組が成立しようとしまいと、わたしは離婚するつもりでいます」
「……そうか」
アレクシス様は驚く様子もなく、深くうなずいた。
「ならば、これから話す事実があなたの決意を後押しすることになるかもしれない。まず、ノアについてだが、あの子は僕の子ではないよ」
(えっ?)
かろうじて声は出さなかったものの、驚きの表情までは隠せなかった。
「むろん、サラは否定したよ。だけど微妙に時期が合わない。そこで密かに調べさせたら、学生の頃、親しく付き合っていた男がいたことがわかった。名前は控えるが侯爵家の嫡男でね、そちらにも婚約者がいたから、まあ、遊びだったんだろうね」
「それで離婚なさったの?」
「それだけではないが、いちばん大きな原因ではあるね。僕は違うと確信しているが、サラはあくまで僕の子だと言い張るし、ノアの外見はサラに似ているから、浮気相手の子どもだと言い切れない。だから、ノアの出生については明らかにしなかった。不貞についても頑強に認めないから面倒になってね、調査結果をあちらの家に突きつけて離婚を承諾させた。ただノアも一緒に追い出したから、僕に愛人ができたと噂になってしまったが」
「そういえば、サラ様もそのようなことを仰っていましたわ」
「彼女は自分に都合のいいことばかり言うんだが、それをロイは鵜呑みにして、僕を責め立てたというわけだ」
「夫はアレクシス様がサラ様に不貞の疑いを掛けて親子共々追い出したと思っているのですか?」
「そうだよ。離婚直後にやってきたんだが、どんなに説明しても信じてくれないし、挙げ句の果てにサラと結婚しておいて不貞をするなんて最低だと罵られたから、それ以上話す気も失せて追い出した。もう来ないだろうと思ったら、数ヶ月ぶりに押しかけてきて、今度はサラが再婚先で肩身の狭い思いをするといけないからノアを養子にするとか言い出した。二度とノアに近づくなと一方的に宣言して、こちらが何も言えないうちに去って行ったよ」
(ああ……)
わたしはうつむき、両手で顔を覆った。
(馬鹿なの? 馬鹿なのよね? ほんと恥ずかしい)
「申し訳ございません」
小さくなって謝ると、アレクシス様は微笑を消した。
「あなたが謝る事じゃないよ。正直に言うと迷っていた。本当のことを明らかにすれば、ロイも醜聞に巻き込まれる。もしあなたがサラの子であっても納得して育てるというのなら、このまま何もしないほうがいいのではないかと。サラが不実な女だと見抜けなかったのは僕だし、同じように見る目の無い侯爵に真実を教えてやる義理もないからね」
暗い瞳で語るアレクシス様を見ていると、平気な振りを装っているけれど、本当は酷く傷ついていらっしゃるのだと感じた。
「ただ、このままサラの思い通りにさせるのも不愉快だし、僕が他に愛する人がいるからと我が子を放り出すような人間だと思われたくないという気持ちもある。あなたが離婚するなら、クライド家が迷惑を被ろうとロイの自業自得だし、ノアの本当の父親が誰かをはっきりさせて公表しようと思う」
「でも、その方がお認めにならないかもしれませんわ」
「証明する方法があるから大丈夫だ。うまくいけば、あちらの家がノアを引き取りたいと言ってくるだろう。まだ片付けなければならないことがあって、詳しくは話せないが、ロイを説得して養子縁組を諦めさせることになるだろう。ノアがいなくなっても、ロイと離婚するつもりなんだよね?」
「はい」
わたしは少しもためらうことなくうなずいた。
いまだにロイがサラ様のことを諦められず、何とか縁をつなごうとしているのも気持ち悪いし、その方法が他の男性と結婚するのに足手まといになる子どもを引き取るというものだったことは、もう愚かとしか言いようがない。
そこまでしてサラ様に尽くしたいのなら勝手にすればいいが、金輪際わたしを巻き込まないでほしい。
「もうあの方とはわずかな時間でも一緒にいたくありませんから」
「ぶふっ」
吹き出しそうになったらしく、アレクシス様が口を押さえて横を向いた。
「明後日にはお義父様がいらっしゃるそうです。もしお義父様が賛成なさったら、すぐにでも養子縁組が成立してしまうかもしれません」
「そうか、では急がないとね。ノアの件はこちらに任せて、あなたはしたいようにするといい。もし何か困ったことがあったら、いつでも相談してほしい」
「はい、ありがとうございます」
わたしは気持ちが軽くなった。ノアが本当の父親に引き取られるなら、絶対にそのほうが良いと思う。




