霊障
俺はバイトに行くと、すぐに友達に相談した。
「住んでない部屋から音が聞こえてくる」
友達は首を捻りながら、言った。
「成仏できてない人の魂が…… と言ったら信じるかい?」
俺は首を横に振った。
「信じないなら、科学的根拠を探すしかないけど。見つけるには隣の部屋に入らないと」
「信じたからって、音は無くならないんだろ?」
「まあね。信じてると余計に聞こえてくるようになる、まである」
そいつが言うことには、相手が霊だとするなら、供養すればいいらしい。
供養とはどう言うことか、と聞くとはっきりとは答えてくれなかった。
俺は今、とにかく金がないので、バイト代が入った後に考えることにした。
それまではとにかく供養になることを調べるしかない。
線香をつけて、手を合わせると言うのもあるが、線香も意外に費用がかかる。
香炉はおろか、灰皿すらないので、適当なコップを押入れに置き、そこに線香を立てて手を合わせてみた。
押入れに煙が充満したが、まあ仕方ない。
結果的に、線香では音は消えなかった。
電車が通る音よりは小さかったはずの音が、電車の音を上回って聞こえてくるようになった。
やばいかな、と思いつつも、俺はこの部屋で寝るしかなかった。
案の定、その眠りの中で夢を見た。
以前見た男女の行為とは、状況が全く違っていた。
男が上になり、女は床に『倒れて』いる。
おそらく、ウィキで事件の内容を見たからだろう。
犯人がしていたのは『死姦』と言うやつだ。
俺はなぜかその行為をじっと見ている。
男が果てる直前、ゴトと音がして長い髪の女性の顔が俺を見る。
『殺して』
妙に生々しい声だった。
夢の中だと、半ば認識しているのに、声はリアルに感じた。
『殺して』
いや、死んでるんだろ?
俺はそう聞き返したかった。
リプレイのように何度も戻っては、同じ状況を見せられた。
目覚めたいのに、何かを掴まれたように起きることができなかった。
再び完全な眠りを経て、俺は目が覚めた。
北の空はうっすらと明るくなっていた。
肌着も、布団も汗でべっとりして不快だった。
俺は風呂場に入ってシャワーを浴びた。
頭をタオルで拭きながら、俺は座ってスマホで事件を調べる。
記憶していた通りだ。
事件では、殺された被害者には『自殺願望』がある。
だから『殺して』と言ったのだろう。
「いや、もう死んでんだろ?」
俺は思わず言っていた。
ただ、何かが引っかかってくる。
疑念は無理やり忘れることにした。
霊が夢を見せている、俺はそう信じた。
いろんなことを考えると、危ない。
そう考えた。
極限状態だったのかもしれない。
霊を鎮めることを考え、護摩業をすることに決めた。
俺はお札を買うことも出来ないので、ホームセンターに行って捨てるような板の端切れをもらってきた。
その板切れと、百均で買ってきた安い筆、墨汁で、見よう見まねながら『護摩札』を作った。
押入れに立てて、鍋に火をつけた木を入れ、近所の梅の枝を拾って『散杖』の代わりにした。
俺は言葉を唱えた。難しい漢字にふりがなを振っているサイトを見つけたのだ。
ミニ護摩業、いやプチ護摩業を行うのだ。
あっているか、多少不安ではあったが、これで部屋の押入れにいてこっちを見ている女の霊が成仏してくれれば、俺は変な音や幻覚に悩まされなくなる。
全てを終え、押入れを綺麗片付けた。
俺は冷やしていた水を飲もうと、コップに注いだ。
飲みかけた時、玄関のチャイムがなった。
狭い部屋なのでそのまま扉に向かう。
覗き穴から見ると、髪の長い人が立っている。
「……」
チェーンロックだけして、わずかに扉を開けた。
「オレンジ新聞です。オレンジ新聞撮りませんか?」
髪は胸の下まで垂れていたが、男の声だった。
「結構です」
「オレンジ野球団のファンじゃないですか? 契約してくれればオレンジ野球団のペアチケットあげますよ。ファンじゃなくても、チケットあげます。転売しても結構金になりますよ」
転売していい金になる、まで言うか。
オレンジ新聞の販売員がそんなこと言っていいのか。
俺は黙って扉を閉めようとした。
「!」
新聞の販売員が、扉の隙間に足を入れてきた。
「最後のお願いです。新聞とりませんか? オレンジ野球団のぬいぐるみもつけますから」
「悪質だ! つ、通報しますよ!」
「わかりました」
しかし、足は入ったままだ。
「足、引いてもらえます?」
「痛いです。緩めてくれないと、足抜けません」
俺は扉を引く手に力を入れすぎていたことに気づいた。
扉が少し戻ると、販売員は足を抜き、
「事故物件にしか住めねぇ貧乏人には新聞とる金ねぇか!」
と早口で罵られた。
俺は開いた口が塞がらなかったが、すぐに扉を閉めてロックをかけた。
コップの水を飲み切っても怒りがおさまらない。
俺はこんなことのためにビールを開けるのはもったいないと思いながらも、冷蔵庫からビールの缶を取り出した。
机に缶を置いた瞬間、チャイムがなった。
「……」
今度は誰だろう。
ビールを開けるのは止めて、扉に戻った。
覗き穴から見ると、髪の長い人が立っていた。
髪で顔が見えないが、俺は瞬間的にさっきの新聞販売員だと思った。
部屋の中で繰り返し湧き上がってきていた怒りをぶつけ返してやろう。
俺はそう思って扉を開けた。
『殺して』
女の声。
祓ったと思っていた女の霊。
俺は混乱して、目の前の女性のことではなく、さっきなったチャイムのことを考えていた。
もしかして、勝手に俺の脳がチャイムの音を作っていた? 聞こえたのは幻聴?
『殺して』
チェーンロックをかけているため、少しだけ開いた扉から女は俺を見つめてくる。
隙間から差し入れた腕が、ゴトッと重量を感じる音を立てて床に落ちた。
「!」
血が流れ落ちる。
跳ねた飛沫が、体にかかったように感じる。
『殺して』
いや、だから、あなたはもう『死んでる』でしょう?
女性は、扉の隙間から入ってこようとして、頭をぶつけた。
頭は、反動でそりかえるように後ろにいき、首から切れて落ちた。
体が扉の方に戻ってきて、切れた首から血が部屋に飛び散ってきた。
ありえない。
俺の心は冷静になった。
俺が殺したりしてないのだから、恐る必要はない。
生きている状態から首が落ちたら、もっと血は吹き出すだろう。
殺してから何時間も経つから、こんな程度にしか血が出ないのだ。
しかし俺の体は震えていた。
扉に持たれていた女性の体が、次々に切り刻まれていく。
例の事故で処理されたのと同じように?
力を振り絞って、扉を閉めた。
俺はそのまま立ち上がれなくなって、その場に座り込んだ。
しばらくすると、床を濡らしていた血が『消え』た。
確認のため、扉を開けて外に出る。
扉前にも死体はなく、血もなかった。
晴天の昼間、強いコントラストで描かれた平凡な住宅街の風景があるだけだ。
霊を祓う『別の』方法を考えないと。
それにしても、疲れた。腹が減った。
俺は財布を持って、飯を買いにコンビニに向かった。
コンビニに入ると俺は店員に声をかけた。
「おトイレ借ります」
店員が酷い顔で俺を見た気がしたが、そのままトイレに入った。
用を足し、手を洗う時、一瞬自分の顔が目に入る。
「?」
ほおに、血がついている。
まさか、と思って服を見直す。
全身、血まみれだ。
部屋では気づかなかった。
店員はこれを見てあんな顔になったのだ。
俺は、冷静なフリをして買い物を終えて、コンビニをでた。
店を出るなり、抑えていた気持ちが頭の中を駆け巡った。
遺体も何もなかった。床も、外も。
じゃあ、なぜ俺の服にだけ血が残っている?
今まで、一切現実に干渉してなかった。
絶対『霊』だと思っていた。
だから全ては俺の幻聴、幻覚のはずだった。
鏡に映って見えたり、第三者が見えるのだとしたらこれは霊障のレベルを超えている。
俺はコンビニで買ってきたものをそのまま冷蔵庫にしまって布団に潜ってしまった。




