隣人観察
結局、待つだけ待ったが何も起こらなかった。
気がつくと三枝もどこかに消えていた。
ただ待っていただけで、何も得るものはなかった。
俺は大学で眠い目を擦りながら授業を受けていた。
「どうした?」
ガラケーのメモリカードを解析してくれた友達が声をかけてきた。
昼食の後、キャンパス内の広場で長椅子に座ると、俺は説明をした。
「掲示板の書き込み…… ねぇ」
見せてみろ、と言わんばかりだった。
俺はURLを送った。
「ああ、これってきっと」
友達は書き込み部分を拡大した。
「ほら、ここだよ。『一周したら今頃会ってるかもね』っていうんだから、一時間後、って意味じゃないだろう。一周、つまり一週間後じゃないのか?」
「うーん、そうなのか?」
「一時間以上そこにいて何もなかったんだろ」
俺は頷いた。
一週間後か。俺はスマホのスケジュールに記録した。
「お前さ、それはそれでいいんだけど、もしそれらしい書き込みの二人が出会ったのを見たらどうするつもりなんだ?」
「どうするって、跡をつける」
「で、どこかに連れ込まれたら、その先は?」
想像して見て、答えに詰まった。
部屋をノックして『自殺幇助が始まると連絡があったお家はこちらですか?』と尋ねるわけにもいかない。
部屋の外で指を咥えて待っていることしかできない。
「おい、まさか何も考えてないのか?」
「……そうだよな」
「手をひけ。引っ越せ。お前には無理だ」
俺はバイト先の友達に動画を起こせと言われていたことを思い出した。
「わかった。動画、動画に撮るよ」
「動画に撮るって? 遺体はバラバラで、見つからない。被害者と犯人がその部屋に消えたのは記録できるけど、いなくなった証明は動画では出来ない。出来るかもしれないけど、いなくなった証明って、すごく大変だぞ」
「ちょっと。ちょっと待って、じゃ、俺、殺されるのを待ってることになるの?」
それを聞くと、友達は呆れた顔をして背中を逸らせ、腕を組んだ。
「本当に何も想像してなかったな」
何も考えず、ただ見殺しにしようとしていた。
殺した死体をゴミに出す時、調べようなど殺人幇助と何が違うのか。
考えているうち俺は怖くなって、涙が出てきた。
「じゃあ、こんなのはどうだ?」
友達は、小さな剥き出しの基板に小さなICがついたものを見せた。
「これを渡せば『音』を聞くことができる。これでタイミングを見て、隣部屋に侵入しろ」
「侵入は犯罪じゃ?」
「そうだな。明確に犯罪が行われるのを知っていたら止めても、不法侵入を咎められることはないんじゃないかな」
手渡された基板を透かすように眺めた。
「それと、この盗聴も犯罪」
「その言い方するな。遠回しに言ったのに」
「どうやって仕込むのかも問題だ」
俺はその基板を返した。
「ラップとかで包んでツルツルにしたら他人のカバンに忍ばせることは簡単だ。隣部屋なんだから、ちょっと鍵をかけずにうろうろする時に忍び込め」
「盗聴には敏感なのに、そういう指示は堂々と言うんだな」
「こんなところで男二人が話していることなんか、誰も気にするもんか」
何も武器がない状態よりはマシなのかもしれない。
俺はその基板をもう一度見せてもらった。
「別に俺のバイト先とかは関係ないからな。この手のやつ、仕事柄見つけてしまうことがあるんだよ。何かの時に使えるかと思って取っておいただけ」
「複数もらえる?」
「お前さ、自分の貧乏に甘えてないか? まあ、あげるけど」
俺は基板を受け取り、使い方を教えてもらった。
自宅に帰るとついていた電池を入れ替え、テストした。
何度か頭の中でシミュレーションしてみる。
そして、問題になりそうなことをいくつか書き出した。
同時に隣人の観察が始まった。
ゴミ出しや、コンビニに出かける時など、隣人は鍵をかけてでるのか、鍵をかけないのか。
一つ一つに、どれくらい時間をかけるのか。
観察し、メモをとり、情報をためた。
何か違和感に気づけるように。
「足りない」
どう考えても繰り返し数が足りない。
一週間なり、一ヶ月なり、の繰り返しを数回見ておかないと規則性も見つけられない。
今のままターゲットを部屋に連れ込まれたら……
阻止するしかない。
だが阻止するにも阻止に関わったのが『俺』だとバレてはいけない。
バレたら次は警戒されてしまう。
課題は山積みになっていく。
俺は扉を開けて、外を見た。
ちょうど隣人は階段を降りていくところだった。
そのままアパートの領域を出ていく。
おそらくコンビニだ。
そう思った瞬間、俺の目の前に『白石』が現れた。
『今よ』
コンビニ行く時、鍵をかけなかっただろうか。
俺はメモをみようと部屋に戻りかけたら、白石さんは急に部屋側に移動していた。
『今』
俺は手に持っていた基板を持って、隣部屋の扉に手をかけた。
回る。鍵はかかっていない。
俺は周囲を見回し、そっと扉を開けると中に忍び込んだ。
業務用のような上に蓋がある冷凍専用の冷蔵庫が二つほど並んでいた。
これはウィキで読んだシリアルキラーの部屋と同じだ。
俺は靴をデニムの後ろポケットに突っ込むと、部屋に上がり奥へ進んだ。
その部屋には、真ん中に小さなテーブルが置いてある。
俺は基板をテーブルの裏に貼り付けた。
その時、アパートの階段を駆け上がってくる音がした。
俺は扉を出るのをやめ、一旦、奥の部屋に戻った。
鍵を回す音がする。
いや、鍵は掛けてなかったはずだ。
ガチャガチャと鍵を閉め、扉が開かないことに気づくと、再び鍵を開けた。
俺はその間に押入れに飛び込んだ。
幸い扉はスムーズに開き、下段はいくつかの工具が放り込んであるだけで、空いていた。
俺はそこに入って身を隠した。
とにかく、最悪な状態になってしまった。
このままこの男がどこにも行かなかったら?
急に尿意を催すし、妙な汗と動悸が始まった。
「……」
分からない。
少しだけ隙間から入ってくる光と、音。
それだけで相手の様子を推測しなければならなかった。
相手が寝るまで待って寝たところをそっと出て行くしかないか。
俺はそれまで尿意を我慢できるか自信がなかった。
ギリ、と床を踏む音がして男が近づいてきたのを感じた。
ダメだ…… 何か失敗したのだろうか。
気づかれている気がする。
『ポタ、ポタ』
俺の汗が、押入れの床板に落ちて、音を立てた。
なぜこう言うタイミングで電車が来ないのか。
住人の足音が、押入れ側に近づいてくる。
『ピンポーン』
突然、呼び鈴が鳴った。
『管理人の渡辺ですが』
「チッ」
住人は舌打ちすると、玄関に戻ったようだった。
扉が開く音がすると、言った。
「なんですか?」
「ちょっとしたの郵便受けに来てください。お願いしたいことがありまして」
助かった。
俺はこの隙に出てしまおうと考えた。
「今ですか? 忙しいんですが」
住人は言うなりすぐに扉を閉めた。
俺は汗が冷たくなるのを感じた。
『お願いです。今、下に来て欲しいんです。すぐすみますから』
扉の向こう側から、管理人が言う。
「……はい」
住人は扉を開けると、声がしなくなった。
俺はそっと押入れの扉を開き、素早く出口に近づく。
気が付かれないように小さく扉を開き、扉と閉じる。
郵便受けがある下から見られないように、体を屈めて移動する。
自分の部屋に戻ると、俺はすぐにトイレに入った。
排尿と同時にでる大きなため息。
信じられないほど長い時間の放尿。
俺の顔は泣き出しそうに崩れていた。




