新たな住人
俺も慌ててこの部屋を契約したが、隣部屋の住人も慌てて契約したようだった。
死刑執行の日の午後に契約した、というのも気になっていた。
事件が起こった時からは歳月が経っていて、告知義務はないのかもしれないが、その日の午前のニュースで該当部屋を事故物件にした当人である受刑者に対し、刑が執行されたのだ。部屋が事故物件である説明を忘れていた、では済まされないだろう。
「そう考えると、お隣さんは事故物件であることを『知っていながら契約した』のだろう」
流石にそれは気味が悪い気がする。
いや、それこそ豚や牛を殺し、解体していることに耐えられるなら、以前の住人が犯人で、犯人は遠い刑務所の処刑場で死刑執行された、ことくらい、なんてことはないのかもしれない。
「……」
俺は部屋の振動で電車が近づいてくるのを知ると、そっと押入れの扉を開いた。
隣部屋からは絶えずテレビの音が聞こえてくる。
だが、電車の音が大きくなると、テレビの音ではないものが混じって聞こえるようになった。
「まただ……」
最初の頃聞こえてきた音ではない。
叩くような、引いて削るような、まるで何かをさばいているようだ。
俺は変なことを想像して、ゾッとした。
慌てて押入れの戸に手をかけた。
「!」
戸が引っかかって、そっと閉めるつもりが、強く閉めてしまい大きな音を立てた。
電車の音が響いているとはいえ、戸を閉めた音は隣に響いてしまったかもしれない。
何を心配しているのだ。
向こうだって変な音を立てている。
だから俺だけが一方的に責められることはない。
そうなのだが……
どうも隣の住人が、真っ当な人間に思えない。
まるで処刑された犯人の生まれ変わりのような気がしてならない。
現実的にいえば、処刑された犯人の『共犯者』ではないか。
俺はそんなことを思っていた。
事故物件に住むような人間、という俺の中の身勝手なバイアスが掛かっているのかもしれない。
引っ越し初日から遺体を運び込んで、処理するなんて、そんなことがあるものか。
起きていると、そんなことばかり考えてしまう。
俺は布団に入って寝ることにした。
考え疲れていたのか、すぐに眠りについた。
その中で、夢を見た。
自殺願望を持った者が書き込む掲示板のやりとり。
男性の書き込み。
近所で会いたいとの書き込み。
男。
男は、隣人の重なって見えた、首に縄が掛かっていた人だ。
男は、手のひらを上に向け、郵便受けに手を突っ込む。
部屋に捜査に入る警察。
男性が逮捕される。
いったい、これはなんの夢なのだろう。
夢の中でも、俺はぼんやりと考えていた。
あまりに漠然としていて、意味が分からない。
俺は郵便受けあたりから、二階を見上げた。
男が首に縄をかけられ、固定される。
その足元の床が抜け、頭ひとつ分、ガクンと下がった。
男は、突然俺を向いた。
縛られていたはずの手が持ち上がり、俺の方に向けられる。
俺は自分の後ろにある郵便受けを意識した。
彼が指さしているものは、郵便受けなのだろうか。
例のマイクロSD……
いや、あのマイクロSDは雨宮しずくという女性のガラケーに刺さっていたものだ。
この男性とは関係ないはず。
『!』
突然、目の前に女性が現れた。
目が……
その女性の目は抉り取られていて、赤黒いくぼみがあるだけだった。
髪はブロンドに染められていて、窪んだ目に前髪が掛かっている。
笑うように口角が上がったかと思うと、すぐに口が少し開いた。
開いた口から血が流れてくる。
唇は閉じようとしているのか、微かに震えていた。
『あなたが雨宮しずく?』
女は頷いた。
そのまま首が落ちた。
血が吹いているわけでもないのに、頬に液体を浴びた感覚がある。
白石さんにしろ、この雨宮しずくにしろ、なぜ、首が落ちるのか。
白石さんの時は、玄関で手足もバラバラになった。
そう思った瞬間、目の前の雨宮しずくも手首がとれ、肘が分断され、足がバラバラになっていった。
どうして……
いや、隣部屋で起きた事件は、こうやって遺体を解体したのだ。
解体して、普通にゴミとして出したらしい。
この夢はそれを暗示しているのか?
俺にこんな夢を見せて、どうしたいんだ。
目が覚めてくれ、と願った。
「……」
俺は目が覚めた。
時刻を見ると夜中だと分かる。
もう電車は通らない。
ブーンと小さい振動音が聞こえる。
冷蔵庫が動いている音だ。
「?」
冷蔵庫の音? 俺の部屋の?
俺は何かが引っ掛かり、目が冴えてしまった。
布団から出ると、キッチン側にあった冷蔵庫を見た。
静かなものだった。
音が出ているのは、ここじゃない。
俺は布団に戻ってくると、微かに聞こえる振動音を聞いた。
押入れの戸に手をかけた。
その時、窓の外で影が動いた。
戸を開くのをやめ、窓に近づきカーテンをめくった。
何も、ない。
いつもの線路が見えるだけだ。
俺はそれ以上のことをするのをやめ、布団に潜った。
いつの間にか寝ていて、明るくなると俺は目が覚めた。
部屋にいると余計なことを考えてしまう。
俺は早めに支度をして、大学に行こうと思った。
ゴミをまとめて、玄関を出る。
階段を下りかけたところで、郵便受けにいる人影に気づいた。
昨日、隣部屋に引っ越してきた男が、郵便受けを見ていた。
ただ郵便受けを見るのではなく、下から、見上げるような、調べようとしているような、そんな感じだった。
俺が階段上に立ったのに気づき、隣部屋の男は俺を振り向いた。
俺は慌てて視線を逸そうとしたが、間に合わなかった。
昨日の無礼を謝ろうか。
それもそれで変か?
階段を下りながら考えた末、俺は隣部屋の男へ挨拶をした。
「おはようございます」
相手は、軽く会釈をしたように見えた。
だが、言葉はなかった。
俺はそのまま持っているゴミ袋を出すため、ゴミ捨て場に向かった。
なんとなく、視線を感じた。
ゴミ捨て場に入ると、ひとつゴミが置いてあった。
「……」
おそらく隣部屋の男が出した、と思われる。
調べたい。
だが、調べるわけにはいかない。
それとなく、俺は後ろを振り返った。
いる。
姿は見えないが、見られている。
俺はゴミ袋を寄せておこう、という雰囲気を出して置いてあったゴミ袋を引き上げて、避けてみた。
重い。俺のゴミ袋と大して違わない大きさなのに重い。
何か密度が違うのだろう。
そして、寄せるようにして自分のゴミ袋を置いた。
ゴミ捨て場を出て施錠をした。
駅方向へ歩き出すと、アパートの方で動く影が目に入った。
やっぱり見られていた。
俺は、恐怖を感じながら、学校へと急いだ。




