↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/87

明けの明星-1-

「ともあれ、これら全部に目を配るのは無理だから、手伝ってちょうだい」


そう言いながら“ふぁ……“と小さく欠伸を漏らしたアリシアに、侍女達はベッドに横になるように促した。


「そのお話はまた明日にでも」


「お休みになれる時は、お休みください」


「そうね……そうするわ」


そう返事をしているうちにも、アリシアは小さな寝息を立て始めた。


「珍しいですね」


「いつもなら、寝付かれるまで時間が掛かりますのに」


「先程の足湯の効果でしょうか?」


神経質とまではいかないが、ベッドに入ってからも直ぐには眠れないアリシアは、侍女達が部屋を出てから色々な事を考えるのが日課であった。

時にはその侍女達が音を上げるまで、付き合わせることもあるほどだ。

それが疲れと緊張の糸が緩んだとはいえ、ベッドに入る前から欠伸を漏らすなど、今まで見たことがない。


「明日はいよいよ皇都に到着です。我々も休ませていただきましょう」


メイヤー夫人に促され、部屋の隅に置かれていた椅子を各々が持ち寄ると、アリシアのベッドを囲むように置き、そこへ腰を掛ける。

船倉にあったアリシアの私室の横には、小さいが彼女達の個室も用意されていた。

寝ずの番の日には、今と同じようにアリシアの側で椅子に座って一晩を明かすのだが、それも三日に一度でそれ以外の日は、自室のベッドで眠っていたのだ。


「明日から私達もベッドで眠れますね」


イングリットは、嬉しそうに小声で話し掛けてきた。

それにマルグリットは溜め息混じりに、少し浮かれた様子の片割れを窘める。


「ベッドで眠れても、きっと今より神経は擦り減るわよ」


「どちらにしても、ゆっくりと眠れないのは確かでしょうね」


二人のやり取りを見ていたメイヤー夫人もマルグリットの側に付く。


「気を休められるだけ、船の上(こちら)の方がましという事ですか……」


イングリットはがっかりした声音を漏らしたが、メイヤー夫人はそんな双子達を慰めるように声を掛ける。


「ゆっくり出来る最後の夜よ。私達も、もう休みましょう」


彼女達の小さな話し声が更けた夜に溶けるように消えた頃、アリシアのものとは違う寝息が二つ聞こえてきた。


――姫様の望みを全て叶えるには、何から手を付けたものか……――


メイヤー夫人は、揺れるランプの灯りにそっと瞳を開き、暗い窓の外へ向けると自問した。




物音に目を覚ましたアリシアは、久し振りに寝過ごしたことに気付くまで時間が掛かった。


「お目覚めでございますか?」


「昨晩は、良くお眠りでしたね」


双子の言葉に、余りにもぐっすりと眠っていたアリシアを起こさずにいてくれたことに気づく。


「……おはよう」


凄くすっきりと目が冷めた。

まだ外は暗いというのに、珍しいことだ。

普段ならベッドの上で、暫くぼうっとしているのが普通なのに……アリシアが驚いている間も、双子達はテキパキとポットからボウルへと水を移して洗顔の用意をすると、次に今日着用のドレスの準備に取り掛かっている。

いつものようにアリシアが起き出すまで時間が掛かると思っている彼女達は、アリシアに話し掛けることは無く手際良く仕事をこなしていく。


「もうお目覚めでございますか?」


衣擦れの音にマルグリットが反応した。

ベッドの上で身動いたアリシアに、不思議に思ったのだろう。


「ええ、凄くすっきりしてるわ」


「昨夜の足湯の効果でしょうか?」


イングリットは、アリシアに話し掛けながら洗顔用のボウルをアリシアの元へと持ってやってきた。

生来の体質と、慣れない船旅で眠れないのだとばかり思っていたが、どうやら違うようだ。

体質だと諦めていたが、こちらには治療方法があるのだろう。この先、何があるかわからないのだから、この機に体調も整えてしまおう。


「私達が知らない薬が、まだまだ一杯ありそうね」


薬だけであればいいけれど、毒薬も自分達の知らないものが多々あるに違いない。

先々の事を考えれば不安しかないが、今はそんな事を考える時間も惜しい。

まずは何から手をつけるべきか……、アリシアが考えに耽りそうになると、慣れているのかベッド脇のテーブルに洗顔用のボウルを置いてアリシアの意識を現実に引き戻していた。

この場は双子達に任せてもいいと判断したメイヤー夫人は、そっと部屋の扉を潜って通路へと出る。


部屋の扉をそっと閉じ、振り返って驚きに心臓が跳ねた。

通路の少し先、気配を殺したように静かに腰を折って頭を垂れたまま微動だにしない柳偉が居たからだ。


『いつからそこに?』


この問には柳偉は一言も返さない。

この者の待遇も考えなければ……メイヤー夫人は、質問を変えた。


『何用ですか?』


『第五皇子が、娘々と朝食をご一緒にとのことでごあざいます』


『……ならば、そのような所で待っておらず、扉をノックして声をお掛けなさい。私達が危惧しているのは、主人の了解を取らずに勝手に室内に出入りすることです』


そう言いながらメイヤー夫人は、頭を一層低く下げる柳偉の横を通り抜ける。

背後から視線を感じたが、振り返ることなく甲板へと向かった。


「――彼の事も考えなければいけないのね」


大きなものから細々したものまで、問題は山積みなのだ。

誰に話すとも無く呟き、甲板に出た。

思わず扉ごと押し返されよろめいた。

風が強い。

大きな山の合間にある渓谷だからだろうか、季節風なのだろうか……そんなことを考えながら顔を上げると、暗い夜空に船に張られた帆が風を孕んで大きく膨らんでいるのが見えた。

まだ日も登っていない暗い中、水夫達は既にバタバタと甲板を忙しなく行き来している。

何事かと大きな掛け声の聞こえる方へ、メイヤー夫人が顔を上げた。

視線の先には、大小様々の黄色の旗がマストの先や船首にいくつも取り付けられていくのが見える。

黄色――禁色……天帝の旗に混じって、赤地に金色で縫い取りのされたセントパルミアの旗も風にはためいている。


「随分とお早いですな、レディ・メイヤー」


背後から声を掛けられ振り向くと、人の波を縫ってアボットが自分の方へと近づいて来ていた。


「おはようございます、アボット副官。何かあったのですか?」


作業を見上げていたメイヤー夫人に、アボットが説明を始める。


「第一皇子の命です。夜間は船舶の航行が禁じられていますが、日が登れば多くの船が行き来を開始するので、不審な船団が皇都に向けて航行していると噂になって、後続の第二皇子の陣営に知られるのは得策では無いとの事です」


「そうですか……」


有事では無いと聞き、力の入っていた肩から力を抜いた。


「天帝の御印(みしるし)と異国の旗が掲げられていれば、先日南に下った皇子達が、異国から来た天帝妃を迎えて戻ってきたと誰もが考えますからな」


今はまだ夜明け前だが、日が昇り始めると途端に旅人や、積荷を載せた船舶が数多く行き来するのだろう。

形も大きさも見たことが無い船であれば、すぐに噂になる。

ましてや、遡れないと言われている臥龍河を高速で移動しているとなれば、皇軍でなくとも州軍は偵察に出てくるだろう。

軍との要らぬいざこざは避けたい。

何より、その説明に停泊させられる時間が今は惜しいのだ。


「第一皇子と第五皇子の旗が見当たりませんが?」


「それも第一皇子の命です」


――どの皇子()が乗船しているのか、態々教えてやる必要は無い――


「禁軍の旗であれば、停船どころかこの船に近づく事も許されませんからな」


「――そうですね」


メイヤー夫人は再び忙しなく掲げられていく黄色の旗を見上げると、沢山のランプに照らされながら作業をする水夫の向こうに一際輝く星を見つけた。

夫人の視線が一点を凝視しているのに気付いたアボットは、同じように夜空を見上げながら話し掛けた。


「金星――明けの明星ですな」


「……明けの、明星」


「夜明け前の暗い時分から、白んでくる東の空に輝くことから、夜明けを知らせる星として知られています」


その時、甲板から怒号が上った。


「作業を急げ!夜が明けるぞ!船の往来が始まる!」


言葉通りに東の夜空が白み始める。

夜明けだ。

それでもまだ輝きを失わない金星を見つめるメイヤー夫人に、アボットが声を掛ける。


「姫様があの星のように、大蜃皇国の明け星となられることを祈念いたしております」


その言葉にメイヤー夫人が振り返ると、アボットが軍帽を胸に掲げてこちらを見ていた。


「そうなるように、微力ながらわたくし共も尽力する所存です」


朝日を弾いて輝く銀髪と毅然と返答をするメイヤー夫人に、アボットは眩しそうに瞳を細めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。