夜陰の訪問者-3-
西側では、姫達が他国に嫁ぐと決まったその時から、婚礼の準備は始まる。
献上された絹の中から最高級のもので衣装を作らせ、レースや刺繍など大作になれば、もっと以前から準備に取り掛かる。
宝石類も、受け継がれてきた物をそのまま引き継ぐ物、意匠を変えて若い姫達に似合う形に変える物、そして新しく作らせる物といったように持参金として持たせる物にも余念がない。
シルクのドレスに、緻密に縫い取りのされた刺繍、そして繊細なレースのストッキング。
アリシアがこの日身に纏っている物も、最高級品にあたるものばかりだ。
靴もそうだった。
恭しく小さな靴を脱がせた柳偉の手は、アリシアの足を丹念に調べるようにスルスルとストッキングを辿り、上へ、膝へと向かって行く。
思わず零れそうになった声を無理矢理飲み込んだアリシアに、柳偉は笑うでもなく真面目な声で訊いてくる。
『……この靴では、夕方には痛むのではありませんか?』
流行というものがあるので一概には言い切れないが、アリシアが履いていた靴は爪先に行くに従って細くなっていく、言わゆるポインテッドトゥと呼ばれる形である。
「……でもそれは皆同じでしょう?」
アリシアは、左右に控える双子達を交互に見遣った。
双子達だけでなく、メイヤー夫人も同じ形の靴を着用している。
視線を向けられたイングリットもマルグリットも、無言だったが同じように頷いた。
『皇都に着きましたら、早急に靴を用意させます。それならば、浮腫んでも足を締め付ける事がありませんので、このように当たる部分が固くなる事もありません』
ストッキンを留めている膝下のリボンを解き、膝まで登ってきた手は、今度はゆっくりアリシアの滑らかな足を撫で下ろして来る。
ぐっと吐息すら噛み殺し平静を装うアリシアに、柳偉は言い聞かせるように話す。
『そう、その調子です。宦官に触れられても何ほどの事でもありません』
柳偉は、そう言いながら澄ました顔でもう片方の脚も同じ様に撫で上げ、そしてストッキングを脱がせながら撫で下ろしていく。
『湯温は少し熱めの方がよろしいのですが、温めがお好みであれば仰ってください』
そう言った柳偉は、アリシアの右足を桶の上まで持ってくると、麻袋をスポンジのようにその足の甲の上で絞った。
アリシアの白い足が、お湯の当たった部分から見る見る薄紅のように染まっていく。
『お許しください。熱すぎましたか?』
「いいえ、大丈夫よ。わたくし達の肌は、簡単に赤くなるの。日光でもそう」
続けて、と普通の事であると言うアリシアに、側に付き従っている侍女達も顔色を変えることなく見守っている――と言う事は、西側の婦人達には普通の事なのだろうと柳偉は理解すると、意地悪を止めた。
『薬湯でございます。眠る前に足を温め良く眠れるように、……御子を身籠りやすく、身体を整える為に後宮では良く用いられます』
飲用だけでなく、経皮からも薬効を吸収させるのだ。
体調に合わせ、その時々で成分を調節した薬湯を使用する。西側のように薬草に造詣が深ければ“魔女"と忌み嫌うのではなく、東側では生活の一部として取り入れられていた。
「……いい香りね」
薬湯という割に、甘い花のような香りがする。
本当に薬湯であろうとそうでなかろうと、子が出来ない彩蝣に嫁ぐのに、妊娠し易くする努力など無駄な気もするが、内外に努力している姿を見せるのも、重要な事なのだろう。
『……では、お時間も余りありません。昼間のお答えをお聞きしてもよろしいですか?』
正に単刀直入である。
アリシアは、足に触れられても微笑いもしなかったが、ここで漸く表情を崩した。
「本当に唐突ね。……そうね、貧しい農村部の子供達に教育を施せば、農民の数は減り、富裕層との軋轢と国力の低下を招くわね」
アリシアの白い足を薬湯に浸け、ゆっくりと確かめるように経絡を押し始めた柳偉は、その言葉に頷いて続きを促す。
「かと言って、貴族や富裕層の子弟だけで役職を独占すれば、そう遠く無い頃に国が滅ぶわ」
『そうなら無い為に、娘娘ならどうなさいますか?』
「わたくし?わたくしなら、……貴方を沢山造り出すわ」
柳偉は、順に経絡を押していた手を止め顔を上げた。
『それは、……どういう意味でしょう?』
頭の悪い奴才には解り兼ねます……と逃げを打った柳偉に、アリシアはゆっくりと上半身を折った。
それこそ、柳偉の鼻先に触れそうなほどまで。
アリシアは、柳偉の瞳の中に自分の姿を見ながら、にっこりと微笑む。
見た者を全て魅了する特徴的な瞳を猫のように細めた。
『……知らないわ』
たった一言、柳偉にだけ聞こえるように皇国語で発する。
アリシアは、呆気にとられた表情を自分に向けた柳偉に満足したのか、上体を戻した。
紅を引いたように赤い口唇で口角を上げてみせるアリシアに、柳偉は彼女の小さな足裏へと手を回す。
「痛っ⁉︎」
突然鋭い悲鳴の様な声を上げたアリシアに、双子達が瞬時に反応する。
「姫様‼︎」
『何をした‼︎』
マルグリットが咄嗟に柳偉の肩を押し、イングリットがアリシアとの間に体を滑り込ませ距離を取らせるも、押された柳偉は、後ろに尻餅を突いた状態からのっそりと身体を起こしながら言葉を返した。
『……申し訳ございません。足裏の経絡の一つでございます。軽く押さえたのでございますが……』
アリシアの回答に対する仕返しだったはずだが、思いの外彼女の反応が大きく、柳偉も驚いたのだろう。
大丈夫よ、と自分を抱きしめるように庇うイングリットに、大事にはしないようにとアリシアが囁いていると、メイヤー夫人が戻ってきた。
「何事ですか⁉︎」
室内の惨状に夫人ですら、声を荒げた。
「レディ、この者が姫様に害を!!」
『どういう事ですか?』
立ち上がった柳偉が、頭を垂れ「恐れながら……」と話し出した。
『軽く経絡を押したつもりでございましたが、娘娘には強かったようで……』
『言い訳はいいわ。お前が姫様に怪我を負わせたのは、事実』
興奮気味の双子を置いて、メイヤー夫人が視線を寄越してくる。
どう致しましょう?……そう目で問われたアリシアは、
「大丈夫よ。驚いただけだから」
兎に角この場を収めなければ……そう考えたアリシアは、二人の侍女を落ち着かせる為、ゆったりとした口調でそう伝えると、柳偉も言葉を綴った。
『随分と腎臓が弱っていらっしゃいます。長い航海で、干物の食事が多かったのでしょう。塩の摂りすぎかと……』
実際、長い船旅では鮮度のいい野菜や果物、肉などは食卓に上がる事の方が稀なのだ。
自国から近い西側の国々では、寄港した先で新鮮な食物を補給することが出来たが、ハサンファティマの勢力圏では、寄港出来る国とそうでないところとがあり、寄港出来たとしてもほんの数時間ほどだ。
船に西側の王族が乗っていると分かれば、その場で捕まえられてしまう危険性もあった。
そして、寄港出来なければその間はずっと干物か塩漬けにした保存食がテーブルに並ぶ事になる。
だが、それにも文句は言えない。
これは自分の婚礼の旅なのだから。
そんなアリシアの航海は、二か月にも及んだのだ。
どこかしら体調不良があってもおかしくは無い。
『皇都に着きましたら、娘娘の体調も詳しく太医に診ていただきます』
しおらしい態度でメイヤー夫人に説明をしているが、あの狼狽ぶりは答えたも同然だった。
ならば、これ以上のやり取りは時間の無駄でしかない。
アリシアは、まだ殺気を隠そうともしない双子を置いて、自身の考えを話し始めた。
「先程の船長との遣り取りで、多分貴方が鍵だと言う事は分かったけれど、じゃあそれをどう使うのかまでは分からないわ」
警戒を解くつもりの無いマルグリットは、アリシアの側から柳偉の背後へと回った。
アリシアが話している間にも、部屋の隅の荷物から布を掛けてあった自身の長剣を持って戻ってくると、スラリと鞘から抜き取る。
柳偉の背後からぴたりとその頸動脈に刃を当てた。
不審な動きがあれば、躊躇せずに斬り殺すと言っているのだが、その柳偉は剣の切っ先には目もくれず、アリシアの次の言葉を待っている。
「……だって宦官は、後宮にのみ存在する役職で、官位は与えられないから……。表の政治には口出し出来ないでしょう?」
天帝の信頼を笠に着て、宦官が表の政治に干渉した例は多々ある。
だが、宦官はどこまでいっても宦官でしかない。
子を成せずに一代で終わるからだ。
例え一族の子供を養子に迎え血を繋いだとしても、影響力のある当の宦官が亡くなれば終焉は早くに訪れる。
「では、科挙を受験し表の役人にするには、孤児や捨て子がいいとは思うの。孤児や捨て子というのは、どんな時代でも一定数出るもの。この子供達を保護名目で集め、読み書きを習わせれば、農村部の人口が極端に減ることは無いから、税収には影響しないでしょうね」
でも……、とアリシアは頬杖のように右手を自分の右頬へと当て、ふぅと溜め息を零しながら続ける。
「貴族や富裕層達が反対しない分け無いわ。自分達の役職が奪われるかもしれないのだもの。それに一番の問題は、例えその中から有能な子供を見つけられたとして、貴族や富裕層の不満を抑え育て上げ、科挙を受けさせたところで、何人が合格するの?大臣達に太刀打ち出来るようになるのに、何十年と掛かるのではなくて?」
『それでも、……やらねばならぬ時があるのですよ』




