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西側の料理-5-

憂いが一つ解決したとなれば、酒も進む。

それに比例して怜蜂の口も軽くなっていった。


顓人(センレン)の報せによると、早朝申州を立つ折りにやはり岱宗の見送りは無かったそうです』


「では、あの二人の素性は気づかれないまま出立出来たという事でしょうか?」


アリシアが心配をしているのは、自分の身代わり役を押し付けてしまった少年達、エリックとレオンの事だった。


『娘々の身代わりには、婚礼衣装を着せておいたので気づかれる心配はないでしょう。もう一人の少年の方も、こちらの衣装を身に着けて主人の傍に立っていれば、顔立ちから西側の侍女の一人だと思われこそすれ、男だとは誰も思いますまい』


大蜃皇国の婚礼衣装は、新郎も新婦も全身が赤色である。それこそ、頭のてっぺんから靴の先に至るまで深紅色の衣装に身を包むのだ。

深紅の衣に金糸で細かな刺繍が全身に施された時間もお金も掛かった一級品である。

新婦は頭から同じく紅い絹を被り、寝所で新郎にしか顔を見せ無い徹底ぶりであった。

そんな出で立ちで現れたアリシアは、中央の兵士達だけでなく、申州の州兵達の視線を釘付けにした事だろう。

これより先、夫となる者以外には婚儀が終わるまで、顔を見せる事は無い。

即ち、アリシアは帰国することは無く、予定通り大蜃皇国の後宮へと輿入れする。

それは大蜃皇国(皇都)の決定であり、アリシア(西側)の意思表示でもあった。

たが、一瞬アリシアの出で立ちで人目を釘付けにしたものの、その後は顓人の立ち回りによって身代わり役はすんなりと馬車に乗り込んだ事だろう。


『気になるのであれば、彼らが皇都に着いてから詳しい話をお聞きになられるといい』


杯が進んでいる怜蜂の隣に視線を移せば、瑞蛉が魚料理に苦戦していた。


「……瑞蛉殿下、お料理はお口に合いまして?」


アリシアの声に、見よう見真似でナイフとフォークを使って食事をしていた瑞蛉が顔を上げる。


『うん、おいしいよ!いままで食べた事が無い味だけど、おいしい!……でも、』


ナイフとフォークは扱い難いのか、口に運ぼうとするもポロポロと落としてしまっている。


「普段お使いのこちらで召し上がられてはどうですか?」


アリシアが箸を差し出すも、瑞蛉は首を横に振って頑なに西側の食器類の使用を続ける。

アリシアのようにスマートに使いこなそうと思っているらしいが、その美しい所作を真似ようとしても、一朝一夕で出来るようなものではない。

小さな頃から自然に出来るようになるまで叩き込まれた王侯貴族のマナーの一つだ。


「では、皇都に着いたらわたくしと一緒に練習いたしましょう」


ですから今はこちらを、……にこりと微笑んで箸を差し出せば、瑞蛉は大人しくそれを受け取った。

使い慣れないナイフやフォークでマナーを守りながらの食事など、口に入る量よりも零してしまう方が多いに決まっている。

そんなにもたついた食事をしていれば、少ししか食べていなくとも満腹になってしまう。

それをアリシアは防がねばならなかった。

皇都に着くまでに兎に角体力を回復して貰わねばならない。

それには、十分な食事と睡眠をとってもらわなければならない。

その為に料理人達には、「病み上がりの瑞蛉殿下でも美味しく沢山食べられるものを」と注文を入れておいたほどなのだ。

肉料理は、スープで長時間煮込んでほろほろと簡単に崩れるほど柔らかくしてもらったり、魚料理もソテーではあるが骨を外して簡単に取れるような調理にしてもらっていた。

他の料理も食べやすく、胃にも優しいものをと頼んでおいたのだ。少しでも多く口に運んで貰わなければならなかった。

ナイフとフォークを使い慣れた箸に持ち替えた瑞蛉は、今までとは打って変わって食事のペースが速くなった。

この調子で瑞蛉が食事で腹を満たし、怜蜂が酒に少々溺れてくれれば良い――どちらにも早々に眠っていただいて、船長と話をしたい。だが、口の軽くなった怜蜂殿下からもう少し大蜃皇国の内情を探り出せる機会でもある。ああ、この後に柳偉が再び訪ねて来るのだった。

どれを優先するべきかアリシアが悩んでいると、瑞蛉が声を掛けて来た。


『朝は太后とごいっしょしないといけないから、お昼と夜はごいっしょしてね、娘々。約束ね?』


瑞蛉は、アリシアと毎日食事を供にする気でいるが、皇都では西側の料理などテーブルの上に並ぶ事はないだろう。

アリシアは、お茶の時間に合わせて双子達にお菓子やケーキを作ってもらい、それで練習するつもりであった。

これなら自分の都合の良い時に瑞蛉を招けば良いのだから、それ以外の時は後宮の内情や表の動向を探る事が出来ると考えていたのだが。


「毎日食事をご一緒しても、料理はこちらの物が並びますでしょうから、練習は出来ませんよ?」


『弟々、娘々は後宮に入られる。以後は、兄上の許可がなければ一緒に食事をするどころか、顔を合わせる事も難しくなる』


分かっているだろう?と、玲蜂が嗜めるように話して聞かせるが、元々後宮を自由に行き来していた瑞蛉は、首を傾げている。


『どうして?いままでどこに行ってだれに会っても、陛下も兄々達も何も言わなかったでしょう?』


瑞蛉が幼かった事もあり、兄達の宮だけでなく天帝の後宮にすら出入り自由だったのだ。

いきなり今日からは駄目だと禁止されれば、反発を覚えるのも無理は無い。


『今までは天帝陛下がお許しになっておられたからだ。大兄が帝位に、お前が皇太子に封じられれば、今までと同じという訳にはいかなくなる』


それに今はまだ幼くとも、数年内に瑞蛉は少年から青年になっていく。

皇太子が、天帝妃と万が一にも噂になるような事があってはならない。

そんな噂が出回った時点で、身の潔白が証明出来なければ瑞蛉は廃太子となる。それだけで済めばいいが、下手をすれば杯を賜る事になるだろう。

彩蝣が温情を与えたくとも力の無い彼の意見よりも、太后の意向や大臣達の意見が通ってしまう。

こんな事態を予測して、皇后の子供を生かしておくくらいの事を皇太后はやってのけるはずだ。

瑞蛉にもしもの事があった場合、万が一廃せざるを得なくなった場合に備え、赤子を処したように見せかけて生かしておく事くらい太后には簡単な事だろう。

新帝が一、二年でこの太后の裏をかけるほど人心を掌握し、策を張り巡らせる事は不可能だ。

夫、息子、孫の三代に亘って裏から政を操ってきた女傑に対抗するには、時間も人材も工作をする金品に至る何もかもが足りていない。

こんな状況で罠に嵌まれば、こちらが負けるのは当然だ。

それを回避するには、時も人も揃い仕留められる絶好の機会を伺い、その一瞬を決して見逃さない事だけだ。


『弟々、娘々はこちらでは実家と言う後ろ盾が無い。そんな状況下で天帝妃が皇太子と不義の噂が立てばどうなるか考えなくとも分かるーー死を賜る以外に無い』


お前は娘々の命を危険に晒したいのか?と、ひたと瞳を見詰めて問われれば、瑞蛉は黒い大きな瞳を更に見開き、首を左右に振るのみだった。


『暫くは大人しくしていなさい。落ち着いた頃合いを見て、私から大兄にお願いしてみよう』


結局のところ、玲蜂はこの末弟に甘いと言うことを再認識したアリシアは、気付かれないように口唇の端を上げて苦笑を零したのだった。


「朝食は皆様ご一緒に摂るのですか?」


『いや、陛下と皇后、それに皇子達だけが毎朝ご機嫌伺いの為、太后宮に出向いた後、朝食を供にする事になっています』


妃嬪達は自身の宮で食事を摂る。

太后に会う事ができる、つまりは彼女の完全な線引きだ――家族はここまで。それ以外の者は、彼女にとって家族とは見做されない者達なのだろう。

そして、毎朝天帝を自身の宮へ呼び付けて挨拶を受けると言う事は、天帝の方が太后よりも格下であると、態度のみで後宮のみならず家臣達にも知らしめるという事だ。

また、毎朝というのが太后の支配欲の強さを伺わせる。

息子は生まれた時から、そして孫が生まれればその孫達が幼い時から、朝食を共にすることで太后に対する畏怖と恐怖を植え付けて支配してきたのだろう。

本来ならば天帝が絶対的に格上であり、太后は天帝の母として天帝が道を誤ったり、家臣の進言に耳を貸さなかった場合に、身を挺してでも諌める程度で表舞台に自分から立つものではない。

だが、太后は後宮からは出ることは無かったが、朝食の席で朝議の議題に自分の意見を述べ、反対意見は息子である天帝に命じて潰していたのだろう。

同じく人事も自分の思いのままに、自分の親族を優遇してきたに違いない。

それを幼い頃から毎朝見せられてきた皇子達は、知らず知らず太后に恐怖を覚える事になる。

皇子の誰が天帝位を継いだとしても、彼女への畏怖や恐怖は無くなる事は無い。

そうなれば、父親と同じく太后に言われるままの政を行う事になるだろう。

このような事態を恐れたのか、大蜃皇国の女性達はどんなに高貴な身分であっても、読み書きを教わらないのだ。

大人しくお淑やかな娘に、夫に仕える良き妻、沢山の子供たちの手本となる母であればいい女性には、学問など以ての外と考えられてきた。

そんな大蜃皇国の後宮においてアリシアの存在は異質なものとなる事は間違いなかった。



――皇国語が話せるだけでなく、読み書きが出来ることも隠し(おお)せるまで隠し通した方が得策のようね――


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