西側の料理
アリシアと瑞蛉そして彼等から二歩ほど下がってメイランは、甲板から一つ階層を下にやって来ていた。
通路の奥にある部屋の前まで来ると、メイランは普通に扉を開けて入っていく。
『第二皇子様にご挨拶申し上げます』
毎回思うのだが、皇国のこの習慣には慣れる事が出来ない。
本来なら、部屋の主付きの女官や侍女が取り次ぐのだが、いつの間にか他所の女官や宦官が部屋に入ってきても問題無いなど、何を見聞きされているかも分からないなんて……アリシアは、どうにか自分の宮殿だけでも、止めさせる手立てを考えなければならなかった。
「大きな事だけでなく、瑣末なことまで問題が山積みね」
小さな呟きは、それでも瑞蛉の耳に届いたようで、『なに?』とアリシアの横にいる彼が見上げて問うてくる。
それには、何を聞かれているのか分からない、といった風に首を傾げるだけでやり過ごした。
暫くの間、アリシアは通訳無しではほとんど皇国語が出来ないと思わせておいた方が得策である。だが、瑞蛉は扉の内側にいる怜蜂に呼ばれたことで、アリシアとの遣り取りなどすぐに忘れ部屋の中に意識が向いていた。
ただ個室であると言うだけで、狭い部屋だ。
扉を開ければすぐに部屋の中が見渡せてしまう。
怜蜂の姿を視界に入れた瑞蛉は、次兄に挨拶をしようと膝を折った。
『二兄にご挨拶もうし』
『挨拶は不要だ』
瑞蛉の言葉が終わらないうちに、怜蜂が声を掛けた。
『娘娘、貴女も』
慌てて瑞蛉に続こうとしたアリシアにも同じように伝えてきた。
そして席に着くようにと促される。
まだ侍女達が到着していないが、席に着かないのもおかしいので勧められた椅子に腰を下ろした。
皆が席に着くと、極自然にメイランがお茶の用意を始めようとする。それをやんわりと取り上げたのは、鈺鋭だ。
あら?と不思議に思い視線で追っていると、目の前の怜蜂から不意に声を掛けられた。
『娘娘、我が国について少しは理解されたかな?』
慌ててメイランがアリシアの側で言葉を訳し始めるが、怜蜂はアリシアをじっと見つめて視線を逸らす事は無い。
なるほど、自分がお茶を用意するから、メイランはアリシアの通訳に専念せよ、という事らしい。
それよりもどう躱わしたものか、大変な嫌味が飛んできたものだ。
「……我が国とは、何もかもが違うという事だけ理解いたしました」
玲蜂の嫌味に、アリシアは困った風に眉を下げるに留める。
『そうですか……』
アリシアの返答は予想していたものだったのだろう、怜蜂は特に気にした風もなく鈺鋭が淹れたお茶を一口含み、そっとテーブルの上に置いた。
『ああ、それから顓人も無事に申州を発ったようです』
怜蜂は面白そうに瞳を細め、人の悪い笑みを口唇に掃いた。
上機嫌なのは、この所為か……さも今思い出したかのような口調だが、こちらが本題なのだろう。
これを伝えたいが為にわざと瑞蛉をアリシアの側に置いておいたのだ。アリシアをただ単に食事に誘えば断られる可能性もあるが、瑞蛉が側に居ればどんな手を使ってでもアリシアを怜蜂の元へと連れてくると踏んでの事だ。
一番の理由は、元気になった瑞蛉を狭い船の中で四六時中相手をするのは骨が折れる、という事だろうが。
『顓人兄兄はこの船に乗っていないの?』
アリシアよりも先に瑞蛉が反応した。
瑞蛉は、眠っている間に城から船に乗せられた経緯があるので、その間の事は何も知らないのだから仕方は無い。
だが、顓人が船に乗っていない理由を説明するには、瑞蛉の命が狙われた事を話さなければならくなる。
それは万に一つ、禄蝉が自分たち兄弟を狙ったか、もしくは天帝妃を狙った事まで話す必要が出てくる。
アリシアは、そっと怜蜂を盗み見た――どう出られるのかしら?
『娘娘の好意で船に乗せていただいた。だが、あそこにいる兵士を娘娘の船に全て乗せることは不可能だ』
わかるな?と尋ねられ、瑞蛉はこくりと小さな頭を上下に振る。
『それに、あれは皇都を護る天帝の兵だ。申州に残しておくことは出来ない。ならば、残こして来たあの大隊は誰がどうやって皇都に戻す?』
『陸路を行軍して?』
『そうだ、それしか方法は無いな。もしくは娘娘に頼み、我らが皇都に到着次第申州へと船を引き返してもらい、また船に兵を乗せて戻って貰うか……だが、それは何往復せねばならない?』
セントパルミアからの長旅の上、急遽本来最終地であった申州から更に北の皇都まで船を操縦させているのに、この後まだ五往復以上しろと命じればきっと暴動が起きる。
ただ乗っていればいいアリシアと違い、彼らは夜でも交代で見張りなどの仕事をしていたのだ。
それに、船には皇国に知られたくない秘密が多数ある。
そんな危険を冒してまで船を動かしたのは、これが緊急事態であったからに他ならない。
その事は、怜蜂はきちんと理解しているようだ。
『それならば、大軍ではあるが元々の行程であった陸路を指揮官に任せ、皇都まで北上する方が速いだろう』
『その為に、顓人兄兄を司令官にして残してきたの?』
『ああ、そうだ。それに』
『それに?』
『申州に謀反の動きがある』
瑞蛉が怜蜂の言葉の意味を理解出来なかったのか、不思議そうな表情で彼を見ていると、扉がノックされる音が部屋に響いた。
「入って」
気まずい雰囲気が漂っているが、何かしらの返事をしなければならない。
これが西側の決まりであった。
「失礼いたします。遅くなりました」
そう言って部屋に入ってきたのは、料理の乗ったトレイを持ったアリシアの侍女達だった。
扉の外には、数人の船員達も運んできた料理をワゴンに乗せて待っている。
話を中断させられた怜蜂が気分を害していないかと思ったが、食事だと気づき瞳をキラキラと輝かせている瑞蛉を苦笑を漏らしながらも柔らかな表情で見ていた。
テキパキとテーブルウェアをセットされていく。
まずは一品目、各々の前に置かれたのはハムやチーズ、カナッペなど数種類の小さな料理が乗った皿だった。
色どりも美しかったが、何より一口サイズだが品数が多い事にアリシアは目を見張った。
料理長は随分張り切っているみたいだ。
だが、アリシアの考えとは裏腹に、隣の瑞蛉からは不服そうな声が上がった。
『……これだけ?』
カトラリーを手に取ったアリシアに、瑞蛉がそっと囁くように尋ねてきた。
意味が分からずに、すぐ側に控えていたメイランを見遣ると、何かに気づいたのか彼女が代わりに答えてくれた。
『西側の食事は、机の上に一度に全部並べるのではなく、一人一人に一皿ずつ順に運ばれて参ります。宮中の宴席のような設えでございます。こちらは食事前の前菜と呼ばれるもので、最低でもあと五皿はお料理が出て参りますよ』
メイランの言葉に安心したのか、瑞蛉は笑顔を見せナイフとフォークを手に取り、アリシアの見様見真似でチーズを生ハムで巻いたものを口に運んだ。
『……おいしい!二兄も早く食べて!おいしいよ』
何を話していたのかもう忘れてしまったのか、瑞蛉は慣れないフォークを操りながら、にこにこと残りの料理も次々と口にしていく。
その様子にアリシアだけでなく、怜蜂も微笑っている。
「食事が終わってからお話ししましょうか?」
『いや、食べ終わったらきっと寝てしまうだろうから、当初の予定通り食事をしながら話をしましょう』
その余りの勢いに、アリシアは怜蜂へと提案をしてみたのだが、末弟の生態を熟知している彼からは反対の意見が出された。
「わかりました……」
『瑞蛉、食べながらでいいから、今から言うことを良くお聞き』
一人前菜を食べ終わっていた瑞蛉が怜蜂へと顔を向けると、静かにマルグリットがスープの皿と取り替えていく。
『さっき話した事は分かったか?』
『申州が謀反を起こすかもしれないっていうこと?』
『そうだ』
『でも、まだ決まったわけではないでしょう?』
『いや、ほぼ確定だろう。お前が倒れたのが何よりの証拠だ。だから顓人に残りの軍を任せ、我らは陸路よりも速い船で皇都へ向かっているのだ』
軍を置いたままにしておけば、申州に取り込まれてしまう恐れがあった。
瑞蛉は、目の前に置かれたスープにスプーンを沈めると、怜蜂の言葉を考えているのか、ぐるぐると搔き回すだけで一向に口に運ぶ素振りを見せない。
『でも、それを三兄が命令した事にはならないでしょう?』
ああ、そうか。
あれほど苦しんで、下手をすれば死んでいたかもしれないのに彼が案じているのは、申州ではなく――直ぐ上の兄の身の上だけなのだ。




