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西の侍女と東の宦官-3-

『肝に、……命じておきましょう』


柳偉は、それだけ言うのが精一杯だった。

まさか女に、しかも侍女如きに言い負かされるとは思ってもいなかったからだ。

だが柳偉の動揺を気にも止めず、メイヤー夫人は続ける。


『姫様にお仕えするのが嫌なら、はっきりそう仰ってね。第二皇子様に他の宦官(別の人)を手配頂かなくてはならないので』


『それは……奴才如き宦官が決める事ではございませんので……』


どんなに嫌な仕事であっても、上の命令には従わなければならない。

女官でさえもそれは覆せないのだ。まして一番最下層の宦官如きに拒否権などあるはずもない。


『嫌々仕えられても、私達も困るのよ』


柳偉の返答など初めから分かってはいたが、メイヤー夫人は右手を頬に添え、演技めいた動作で困ったというように「ふぅ……」と、溜め息を吐いてみせた。

柳偉の態度から、自分達に好意的で無い事はわかり切っている。

他の妃嬪達の前では気を張り詰め、自分の宮に戻ってきてから本来ならば腹心とも言える太監にも気を置けないのであれば、何処で休めば良いのだろう。

馬鹿過ぎる者は困るが、そこそこ賢く、口が固ければそれだけで構わない。

アリシアの生活が、他の妃嬪達に筒抜けにならなければ良いのだから。それくらいの人物ならば、幾らか候補があるだろう。


『だって貴方は、どなたを支持して、どの陣営に着くのか――もうご自身で決められているのでしょう?』


『……そのような、奴才如きが畏れ多い……』


頭を深く下げて表情を隠してしまった柳偉のつむじの辺りを見下ろしながら、メイヤー夫人は続ける。


『でも……今後姫様にお仕えした方が、貴方のだけでなく、その方の為だと思うのだけど?』


『……それは、どういう意味でしょう?』


柳偉は、チラリと上目遣いに視線を向けてメイヤー夫人に問いかけるも、その眼光は鋭い。

対してメイヤー夫人は、柔らかくいなして微笑んだ。


『あらそのままの意味よ、他意は無いわ――まぁまぁ大変、長居してしまったわね。わたくし達は、もう行かなければ……』


メイヤー夫人は、スカートの裾を摘んで綺麗なお辞儀を見せると、クルリと柳偉に背中を見せた。


『それでは、ご機嫌よう』


双子達もそれだけ言うと、慌ててスカートを軽く摘んでお辞儀をしてメイヤー夫人の後ろに続いて部屋を出て行った。



「レディ……」


先を歩くメイヤー夫人の背中に声を掛けるが、彼女は立ち止まることはなかった。


「レディ・メイヤー!」


「走ってはいけませんよ」


メイヤー夫人は甲板に出る直前に漸く振り返ると、慌てて後を小走りに駆け寄ってくる双子にやんわりと注意をした。


「それよりも」


「先程の宦官の事ですか?」


流石双子、同じタイミングで頷いた。


「姫様が側に置きたいと考えるのはわかりますが、……」


「彼は、……その……」


言い辛そうにイングリットが言葉を濁す。


「我々の手に余りそう?」


少し話しただけでも分かるが、彼は頭が良い。

機転が効き、一つを聞いて十を知り、そして言われずとも実行出来るタイプだ。


「それだけでなく、姫様を馬鹿にし過ぎています」


マルグリットは興奮気味に言い募ってきた。


「でも、我々には後宮の内情に詳しい者が必要だわ」


「それは、そうですが……」


双子達が柳偉を気に入らないのも分かるが、アリシアが彼を欲しているならばどうにか手に入れたいとメイヤー夫人は考えていた。


「分が悪くなれば我らを切り捨ててもよろしいのに……何をそんなに悩むことがあるのかしらね?」


――もし万が一、姫様に勝ち目が無くなれば、その首を持って敵側に寝返れば良い――


メイヤー夫人の零した言葉の意味にギョッと目を見開いた双子は、真意が分からずそのまま夫人を見つめた。


「だってそうでしょう?姫様の首と引き換えであれば、宦官一人の命乞いくらい聞いて貰えるはず……それとも、姫様の首だけでは足りないのかしら……」


振り返り、遠くに見える扉を見つめながらメイヤー夫人は首を傾げている。

彩蝣・怜蜂の陣営から寝返る為にアリシアの首では不足となると、更にその上ーー彩蝣か怜蜂の首が必要だと言うことだ。

だが、この陣営で分が悪い時というのは、彩蝣か怜蜂、特に怜蜂が亡くなった場合である。

彩蝣はいずれ遠くないうちに消えるので、手を下さずとも待っているだけでいい。

禄蝉陣営から見て、消えない目障りな人物は誰か。


「――瑞蛉殿下……」


それならば納得がいく。

アリシアの首と宦官の首だけでは、瑞蛉の命乞いは難しいだろう。

だから、アリシアを近づけさせないように言ったのだ。

元から彩蝣・怜蜂と禄蝉の中間に位置すれば、どちらが負けたとしても無傷で無くとも、命までは取られる事は無いとでも考えたのだろう。

だが、アリシアが瑞蛉の周囲をうろついていれば、誰の目にも瑞蛉は彩蝣・怜蜂の陣営に与していると見られる。


「もう、そんな悠長な事を言ってる状況では無いのに……」


「レディ?」


「さぁ、行きましょう。これ以上姫様を一人にしておいて良い事など何もないわ」


アリシアを一人にし過ぎてしまった。

長年アリシアに付き従ってきた者達だけにしか分からない言い回しだが、双子達も血相を変えて扉に背を向けたメイヤー夫人の背中を追いかけるように踵を返した。




部屋には柳偉ただ一人。

はっきり言うが、無用心である。

柳偉が誰かの命でアリシアに接触してきたのであれば、部屋の中を家探しされる可能性もある。反対に何か見つかっては拙いものを隠される可能性もあるというのに。

敵か味方かもまだ分からない人物を一人だけ置いて出ていくなど、正気の沙汰とは思えなかった。


『それとも――逆にこちらに何かしらの罪を着せて脅す材料とする気か、あるいは……面倒な人間は殺してしまう算段か』


誰も居ない部屋ならば、誰も証人が居ないと言うことだ。

それは、部屋の中の何かが無くなっても何かが増えても、誰も柳偉の無実を証明してくれる人間が居ない。

無用心だったのは柳偉の方だ。


『嵌められたか、…もしくは…一人で良く考えよ、と言うことか』


柳偉が誰に仕えていて、どんな命を受けて動いているのかは知らないが、アリシアに着いた方が道が拓ける――メイヤー夫人はそう言い残して去って行った。

確かに、アリシアは皇国の貴族達とは違っていた。

宦官に偏見も無く、人種の違う侍女にも優しい。

命令すれば済む仕事でも、きちんと報酬を出そうとしていた事や、侍女の怪我を手当てしようとしていた事でも分かる。

彼女は、良くも悪くも大蜃皇国に新風を巻き起こすだろう。

だがその西の風は、六百年の長きに亘り溜まった澱を一掃出来る程大きなものだろうか――柳偉の不安はそこにあった。

新風が竜巻や嵐を伴うほど大きなものであればいいが、ただのそよ風であれば――何も変わらないどころか、最悪の場合、更に皇太后に力を付けさせる事になり、今以上に酷い状態に陥ってしまう可能性が高い。

この心配が杞憂に終わってくれるならばいい。

アリシアが皇后に上り詰め後宮に君臨するようになれば、彼女付きの柳偉は皇后宮の全権を握る太監となることが出来る。

皇后(アリシア)が発する言葉は、柳偉を通さなければ外には伝わらず、柳偉を通さなければ外の声も皇后宮には届かない。

太監とは秘書のような仕事を主にしている為、皇后の声を聞くにも皇后に陳情しようにも柳偉を通さなければならい。

過去多くの太監がそうであったように、誰もが柳偉に(おもね)るようになるのは明らかだ。

絶大な権力を手に出来る願ってもないチャンスであった。


だがアリシアが転けた場合、柳偉には死が待ち構えている。

大蜃皇国の法に照らし合わせてみても、高貴な人間が道を誤った場合、直接罰せられる事は珍しい。

まずは彼らに仕えている一番下の宦官、女官が罰せられ、続いて侍女、そして太監の順に処罰されるが、当の本人はせいぜいが自宮に監禁くらいで済む。

アリシアが罰せられる時は、その宮の全員が処刑された後という事になる。そして、アリシアの立場は特殊で、西側との同盟がある都合上、どうしても彼女を殺すわけにはいかない。


『もう面倒事に巻き込まれるのは、御免被りたいのだが……』


自分以外誰も居ない部屋にぽつりと呟くと、長居は無用とばかりに静かに出て行った。

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