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西側の料理-2-

『禄蝉の預かり知らぬ事だとしても、申州が動けばそれは禄蝉が命じたも同じと看做(みな)される』


『小弟はただの病気だったかもしれないし……』


『それをどうやって証明するのだ?証明出来ぬものを誰が信じる?』


『それは……』


『娘娘が、何より太医も同じ見立てであった』


食中毒だとは明言しない辺り、策士である。

後々これを切り札に使う積もりなのだろう。

たった一言、太医に証言させればいいだけなのだから簡単だ。

しかも船の中で、太医は李太医のみ。彼一人だけに確認するだけだ――瑞蛉は、毒を盛られたのだな?、と。

命が惜しい彼は頷くだろう。


『皇都に戻れば、陛下の大葬と兄上の即位式が待っている。兄上の即位と同時にお前は皇太子に封じられる手筈だ』


『どうして?二兄は?大兄は、お身体が……弱いって……皆が言ってるよ?二兄が即位するんじゃないの?』


そう、彩蝣が病弱である事は周知の事実だ。

身体の弱い彩蝣を帝位に就けた場合、重責と外圧とで更に寿命を縮める可能性が高い。

だが、それを押してでも彩蝣を帝位に就け、瑞蛉に繋がなければならないのだ。

そうでなければ、六百余年続いた大国が滅びるかも知れない。

彩蝣と怜蜂のどちらも命懸けで事に及ぶつもりなのだろうが、目の前の幼い弟には通じるどころか話を混ぜ返してくるだけだった。


『私の母は、昭儀だ。亡くなったとはいえ皇后を母に持つお前や兄上、今もなお賢妃の母を持つ禄蝉の足元には及ばない』


それは分かるな?と言い含めるような物言いに、瑞蛉は大きく深呼吸をした。

頭で理解はしていても、感情がついていかないのだろう。

今まで兄達に守られてきた末っ子は、これからもずっとぬくぬくと兄達の庇護下で過ごすつもりだったのだ。

煩わしい事は、兄達が解決してくれる。

自分は言われた勉学と武術に励み、精々が兄達の足を引っ張らない程度に与えられた役職を、大きな失敗をしない程度にこなせばいいはずだった。


『兄上のお身体が弱いのは、周知の事実。子も望めぬ事もまた皆の知るところだ。ならば、皇太子には同じ皇后腹の弟が封じられるのは必然であろう?』


『じゃあ三兄は?三兄の母上は、賢妃娘娘だよ?』


幼い弟に言い聞かせるのは、父親代わりであった兄の役目であろうと、アリシアは口を挟まずに成り行きを見守ることにした。

静かにスープを口唇に運びながら、二人のやり取りは一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてる。


『禄蝉は、申州の勇足(いさみあし)のお陰で更迭される……太后殿下は、お前に手を出した申州を決してお許しにはならない』


それは、例え天帝の第三皇子を産んだ賢妃とその実家であろうとも、太后一人の力の方が強いということだ。

ましてや彩蝣ではなく、自身が次期天帝にと推そうと思っている瑞蛉に手を出されて、大人しく黙っているような人間では無いと言う事だ。


『じゃあ、三兄はどうなるの?』


『良くて他州で預かりと言う名の幽閉、悪くても申賢妃の宮で母子共々軟禁か……いずれにしても、杯や絹を賜る事までは無いはずだ』


目は届かないが、皇都から遠い他州での幽閉であれば、申州勢が入り込む余地は無く、孤立した禄蝉が再び愚かなことを考える事は無いはずだ。

母子を目の届く後宮内の宮で軟禁したとすれば、自分に楯突く勢力への見せしめに出来て、何よりいつでも手を下すことが出来る。それに、万が一他の皇子にもしもの事があれば、禄蝉を始末しその子供を擁立するつもりなのだろう。

どちらにしても直ぐに殺される事は無い、だが時と場合によってはそれも有り得るという危うい状態だ。

ここで太后が手を下してくれれば、私達は手を汚さずに済むのに……とアリシアは一瞬過った考えを頭の隅へと押しやると口唇をひらいた。


「瑞蛉殿下」


悉く意見を潰され、顔色を青くしている瑞蛉はアリシアの声に顔を上げる。

お可哀そうに、どう言い争ったところで十歳の子供が大人には勝てない……縋り付くような眼差しを向けられ、アリシアは柔らかく微笑んだ。


「ですから殿下が帝位にお就き遊ばしませ』


『どうして?』


意味がわからないと首を傾げる瑞蛉に、アリシアは子供にも分かるように直接的な言葉で説明を始めた。


「他でも無い大蜃皇国の天帝陛下になられるのですから、禄蝉殿下の更迭を解く事も可能でございましょう」


『どうやって?』


「怜蜂殿下が即位なさっても瑞蛉殿下が即位なさっても、恩赦が出されます。三回も恩赦が出されれば、申一族全員のの復権は無理でも禄蝉殿下と申賢妃の軟禁は解かれます。それに、――天帝におなり遊ばされた殿下が、禄蝉殿下(兄上)を復権させると仰れば、誰も止められる者はおりませんもの」


過去の例からも、天帝や王の大葬時と新帝や新王が誕生した時には大々的に恩赦や減税がなされるのが慣例だ。

どちらもイメージ戦略なのだろうが、統治者の最初と最後に自国民に対して最大限の慈悲の心を表すためのものだ。

例え統治の期間が短いと分かっている彩蝣が即位しようとも、これは行われる決まりだ。

そして例え彩蝣が即位後数ヶ月で亡くなったとしても、再び恩赦は発布される。

この後、すぐに瑞蛉が即位したとしても、それは覆される事は無い。

三回も恩赦が発布されれば、禄蝉の命だけは助かるだろう。


『本当に?』


「ええ、禄蝉殿下と申一族は除くと添えられない限りはきっと……」


『でも、大兄と小弟が天帝になれるとは限らないでしょう?』


明るい表情を見せた瑞蛉だったが、直ぐに元の暗い顔色に戻ってしまった。

怜蜂だけでなく、給餌をしてくれている侍女達も瑞蛉の言葉の意味がわからずにお互いを見合っているのが気配で分かる。


「彩蝣殿下は、瑞蛉殿下を皇太子にご指名なされるのですから、帝位に就く事は決まっておりますでしょう?」


『そうじゃなくて、二兄は大兄と小弟が皇后の子供だから、天帝になるって言ったけど……皇后の子供は小弟達だけじゃないよ?』


ここに来てアリシアは瑞蛉の言葉を理解し始めたのだが、逆に怜蜂は瑞蛉が高熱を出した事で記憶に混濁が起こっていると考えたらしい。


『何を言っているのだ?子皇后の子は、兄上とお前の二人だけであろう?』


『だって皇后は、阿娘(母上)だけじゃないでしょ』


怜蜂の慌てた様子とは裏腹に、瑞蛉は落ち着いている。

やはり、落ち着いた瑞蛉の態度からも、意識障害や混乱などといった症状ではない。ならば、本当にもう一人皇子が存在することになる……誰にも知られていない皇后腹の皇子が。



――彩蝣殿下の身が危ない!!――



瞬間、アリシアの脳裏に不吉な言葉が過り、思わずカトラリーを取り落としそうになったが、大きな音が上がったのはアリシア達の背後、メイランの手元からだった。

見ると、次の肉料理を切り分けていたナイフを落としたようだ。


『失礼いたしました……』


西側と違い、こちらでは食卓の上にならぶものは既に一口で食べられるように調理されているか、皿に乗せる前に一口で食べられるように切って盛り付けがなされる。

コックはその事を知らずに普通に料理を皿に盛ったようで、怜蜂の料理はメイヤー夫人が、瑞蛉のものをメイランが小さく一口サイズにカットしていたのだ。

焦ったところで船の中ではどうしようも無いが、アリシアも上手く動揺を隠せ無いのか少しナイフの葉先が震えている。

怜蜂も焦っているのか、そんなメイランをチラリと見遣っただけで、早口で瑞蛉に問いかけた。


『午皇后の事か?だが、彼女が懐妊したなどと言う話は聞いていない』


怜蜂は瑞蛉に確認するかのようにそれだけを口にしたが、何かに思い至ったのか口調を厳しいものに変えた。


『瑞蛉、……何を隠している?』


『……誰にも言わないって約束したから……』


後宮内を自由に歩き回れるのは、天帝は勿論だが彼の妃とその子供達もだ。

妃を娶る年頃になれば自分の宮を与えられそちらに移りはするが、それでも皇族は後宮に自由に出入りを許されている。

(こと)瑞蛉は、幼いという事もあり兄達の宮にすら自由に出入りしていた。

その中で、現在の皇后である午皇后の宮を通り道や抜け道にしていたとしてもおかしくは無い。

五年前に子皇后が亡くなると、大蜃皇国の慣例から直ぐに次の皇后が選ばれる事になった。それが、当時入宮して間がなかった午貴妃だったのだ。

入宮する前から貴妃として後宮入りすることが決まっていた午州の州姫であったが、子皇后はこれに反対の意を唱え続けていた。

それもそうだろう。

貴妃といえば、皇后にもしもの事があれば後宮を率いる存在だ。それが、年端もいかぬ子供に与えられていい訳がない。

何より年端もいかぬ少女と言えど、その美貌は遠い皇都にまで噂が入ってくるほどだ。

歳を取って老いてきた自分と違い、これから花の盛りを迎えるであろう美少女に皇后が畏怖を感じたとしてもおかしくはない。

だが、天帝の子を五人も産んだ皇后は、揺るがぬ地位を確立していたはずだったが、子も持たない午貴妃に敵愾心を隠そうともしなかった。


『午皇后の子供に会ったのか?』


ふるふると頭を振って否定する瑞蛉は、上目遣いに怜蜂を見上げる。

暫く見つめあっていたが観念した瑞蛉がようやく口を開き、ぽつりぽつりと事の次第を話し始めた。


『皇后宮は、三兄の宮に行く近道だから……』


禄蝉に会いに行くため、いつもの様に通り抜けている時にばったりと皇后に出会したという。

勿論、皇后が自分の宮を散歩していたとしても何らおかしくはない。

だが、彼女は瑞蛉を見つけると顔色を変えたという。

誰だか気付かずにいた瑞蛉だったが、久しぶりに会ったのが義母だとわかると自分から近づき元気に挨拶をした。


『皇后にご挨拶申し上げます』


最初青い顔色であった午皇后は、瑞蛉に近づくと微笑んだ。


『第五皇子もお元気でしたか?』


『はい!皇后は、ご病気だって太后がおっしゃっていたけれど、……だいじょうぶですか?』


『第五皇子は、弟が欲しく有りませんか?』


青い顔色の義母を気遣う瑞蛉に、午皇后は今までと脈絡の無い話をし始めた。

胸が大きく開いた服は、南方の特徴だ。

だが、どの地方の衣装でも大蜃皇国の衣装は、身体を締め付けないゆったりとしたもので、妊娠も後期にならなければ気づかれにくい。

皇后は片膝を突いた瑞蛉の手を取ると、そんな衣装の上から自分の腹を撫でさせた。

まだ衣装の上から触らなければわからないくらいの腹の膨らみだが、確実に彼女の腹部は膨らんでいる。


『……赤ちゃん?』


『はい。でもこれが太后に知れると、お腹の子供は殺されてしまうかも知れない……分かるでしょう?太后は、とても怖い方ですから……』



――無事に皇子が産まれるまで、誰にも話さないと約束してください。二人だけの秘密ですよ――

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