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顔を上げなくとも、それは視界の端に映った。
床に、人形が落ちている。いや、布っぽいし、ぬいぐるみと言った方がいいのかもしれない。手のひらよりはやや大きいけれど、片手で持ち歩くことができるようなサイズ感の、女の子のぬいぐるみ。ここの制服に似たブレザー服を着ている。
おそらくは、ロッカーにしまわれていたのであろう、それ。旧校舎だからか、廊下に扉付きの金属製ロッカーが並ぶ新校舎とは違い、木製の、扉がないものが、教室の後ろに並んでいた。
そこから落ちたのだろう。
「――ぁ……」
人影が、何か言ったかと思うと、ゆっくりとした足取りで、そのぬいぐるみに向かっていく。興味がわたしから、そのぬいぐるみに移ったのだろうか。
それはゆっくりとした動きで、ぬいぐるみを拾う。手も、脚同様に、黒いもやが少しかかっているようだった。人の形をしているはずなのに、人間とは到底思えない、それ。見ていると、嫌悪感がぞわぞわと這い上がってくるようだ。
「――……?」
ぬいぐるみを拾った後の脚が、ぴたりと止まる。顔を上げ、その全貌を見る勇気はない。だから、確信はない。でも、もしかしたら、ぬいぐるみを夢中になって、眺めているのかも。
少なくとも、脚を止め、動かなくなったのは事実だ。
――今しかない。
向こうは、わたしに気が付いていた。ずっと隠れていたって無意味。
放っておいて、どこかにそのまま消えてしまうことを願ったって、絶対にそんなことにはならない。
なら、今、この一瞬の隙をついて、逃げ出すしかない。
「――ッ!」
わたしは立ち上がり、震える脚で、なんとか教室から出るのを試みる。途中で机に何度か体が当たり、机がずれる感覚がしたけど、直す余裕もない。倒れていないだけマシ。
後で先生に、教室を使ったら綺麗に戻せ、って怒られるかもしれないけど、そっちの方が全然いい。今、この状況から脱することができるのなら、そんなの、怖くもなんともない。
わたしが入ってきた教室の後ろ側からは出られない。あの人影の横を通らないといけないから。
わたしは、前の方の扉から教室を出て、来た方とは反対側の廊下を走り、階段を駆け下りる。遠回りにはなるけれど、それよりも、あの人影の近くを通らないことの方が重要だった。
「――ッ、わっ!」
慌てていたからか、最後の一段、階段を踏み外す。それでも、何とか転ばずに着地。足をひねったけれど、折れたわけじゃないし、そこまで痛くもない。支障はない。
わたしはそのまま、旧校舎の廊下を走り、外へと飛び出た。
わたしを追う足音は、聞こえてこなかった。




