第9話 「ダイアモンド」
月末。
Ascensionへ続く階段を下りる前から、いつもより人の気配があった。
何人かの話し声が聞こえる。
凛はギターケースを持ち直した。
扉を開ける。
「凛ちゃん、今日は早いね」
受付のスタッフが声をかけてきた。
「本屋、早く終わったんで」
「珍しいじゃん」
「今日はたまたまです」
そう答えて、奥へ進む。
ステージでは、すでに機材の準備が始まっていた。
零花がドラムを確認している。
充はベースをケースから出していた。
晶はマイクスタンドを調整している。
「今日、ちょっと人多いよ」
スタッフが何気なく言った。
「そうなんですか?」
「開場前なのに、結構来てる」
凛は客席を覗いた。
確かに。
まだ開場前なのに、人影が見える。
「……ほんとだ」
零花も覗き込む。
「前より多いね」
「ちょっと増えたかも」
充が言う。
「俺たち、少し知られてきたんじゃ?」
晶は嬉しそうだった。
「Ascensionで、だけどな」
凛が返す。
「それでも十分だろ」
晶は笑った。
凛は曖昧に頷いた。
まだ、実感はなかった。
ただ。
知らない顔が増えていることだけは分かった。
準備を終える。
照明が落ちる。
拍手。
ステージへ上がる。
客席を見る。
前より、少しだけ近い場所まで人がいる。
そして。
壁際。
静月さんがいた。
今日も来ている。
凛は一瞬だけ視線を向ける。
もう、探しているわけじゃない。
客席を見れば、自然と見つかる。
最初の曲が始まる。
ギターを鳴らす。
零花のドラムが入る。
充のベースが続く。
晶の歌が重なる。
前より、音が近かった。
以前なら、自分の音を追うだけで精一杯だった。
今は、ドラムが聞こえる。
ベースも聞こえる。
晶の声も聞こえる。
その隙間へ、ギターを置く。
音が重なる。
ちゃんと、自分たちの音になっている気がした。
二曲目。
三曲目。
カバー曲が続く。
客席が揺れる。
身体を動かしている人もいる。
知らない顔。
でも、ちゃんと聴いてくれている。
MCを挟む。
少しだけ笑いが起きる。
以前ほど緊張しない。
それでも、慣れたとは思わなかった。
まだ足りない。
そう思う。
最後の曲。
晶がマイクを握る。
「聴いてください」
拍手が返る。
「『Lunatic Child』!」
イントロ。
先月、初めて演奏した曲。
あの時は手探りだった。
今は、少し違う。
次に来る音が分かる。
零花がどこで入るか。
充がどこを支えるか。
晶がどこで声を伸ばすか。
分かる。
だから、自分の音を置ける。
サビ。
四人の音が重なる。
まだ粗い。
まだ不安定だ。
それでも。
先月より、ちゃんと曲になっていた。
凛は客席を見る。
何人かが身体を揺らしている。
壁際。
静月さんも聴いていた。
曲が終わる。
一瞬の静寂。
そして拍手。
凛は息を吐いた。
*
終演後。
機材を片付ける。
ギターをケースへ戻していると、スタッフが声をかけてきた。
「今日よかったよ」
「ありがとうございます」
「最初の頃より、だいぶ慣れたね」
「……そうですか?」
「うん。音もまとまってきたし」
凛は考える。
「まだまだです」
「まあ、それはそうだね」
スタッフが笑う。
凛も笑った。
スタッフが受付の方へ目を向ける。
「そういえば今日、三十人以上入ってたよ」
「え?」
「当日も結構来てたし」
凛は驚いた。
「……そんなにですか」
「最初の頃から考えたら増えたよ」
「へえ……」
それ以上、言葉は出なかった。
嬉しくないわけじゃない。
でも。
頭に浮かぶのは、客の数じゃなかった。
『Lunatic Child』のサビ。
もう少し上手く弾けた気がする。
零花のドラムも。
充のベースも。
晶の歌も。
前より良くなった。
それは分かる。
もっとできる。
もっと上手くなれる。
そう思う。
でも。
今日の音は、嫌いじゃなかった。
機材を持って外へ出る。
夜風が少し冷たい。
凛は振り返った。
Ascensionの看板が見える。
もっとできる。
もっと上手くなれる。
でも。
今は、これでいい。




