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新月のふたり  作者: 六花
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第10話 「月光」

 仕事が終わった。


 コンビニを出ると、夜の空気が昼間より冷たく感じられた。


 凛は伸びをしてから、いつもの帰り道を歩き始める。


 今日は妙に疲れた。


 忙しかったわけではない。


 ただ、時間が長く感じた。


 早く帰って寝よう。


 そう思っていた。


 けれど、途中にある小さな公園が目に入った。


 街灯に照らされたベンチ。


 その向こうに、月が見える。


「……月、綺麗だな」


 足を止める。


 そのときだった。


 ベンチに誰か座っている。


 見覚えのある後ろ姿だった。


「……あれ?」


 凛は目を凝らす。


 手には缶ビール。


 空を見上げている。


「静月さん?」


 声をかけると、その人が振り向いた。


「ああ。神崎さん」


 やっぱりそうだった。


「こんなところで何してるんですか?」


「月見です」


 汐は缶ビールを持ち上げる。


「あと、酒」


「……そのままですね」


「分かりやすいほうがいいかなって」


 凛は思わず笑った。


 ライブのときとは、少し雰囲気が違う。


 いつもなら、壁際で静かにステージを見ている。


 話しかければ丁寧に答えてくれるけれど、自分から話題を広げることはあまりない。


 今は、いつもより力が抜けているように見えた。


「神崎さんは?」


「仕事帰りです」


「そうでしたね」


「コンビニのほうです」


「夜勤、大変そうですね」


「慣れました」


 凛はベンチを見る。


「……隣、いいですか?」


「どうぞ」


 座る。


 二人の間に、少しだけ距離がある。


 凛も空を見上げた。


 月が雲の切れ間から出ている。


「こうやって見ると、結構明るいですね」


「そうですね」


「静月さん、月とか好きなんですか?」


「嫌いじゃないですよ」


「意外です」


「よく言われます」


「誰にですか?」


「……誰にも言われてないです」


「なんですか、それ」


 凛は笑った。


 汐も笑っている。


 やっぱり、いつもより話しやすい。


 そこで、凛は気づいた。


「……もしかして、飲んでます?」


「はい」


「やっぱり」


「でも、まだ一本目です」


「そうなんですね」


 酔っているようには見えない。


 ただ、普段より口数が多い。


「何かあったんですか?」


「何もないですよ」


「じゃあ、なんで一人で飲んでるんです?」


「曲ができなくて」


「ああ」


 凛は納得した。


「それは分かります」


「神崎さんも?」


「ありますよ。何時間やっても、全然まとまらないとき」


「ありますよね」


 汐が月を見る。


「今日も、ずっと同じところで止まってました」


「新しい曲ですか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「まだ曲になるか分からないので」


「なるほど」


 凛は少し考えた。


「静月さんって、曲を作るとき、最初に何から考えるんですか?」


「そのときによります」


「メロディー?」


「それもあります」


「歌詞?」


「それも」


「じゃあ、何ですか?」


「……なんとなく」


「なんとなく?」


「音が浮かんで、それに合わせて言葉が出てくることもあるし。逆のときもあります」


「へえ」


 凛は少し驚いた。


 もっと理屈で作っている人なのかと思っていた。


「じゃあ、感覚なんですね」


「たぶん」


「たぶんばっかりですね」


「自分でもよく分かってないので」


 二人で笑う。


 話しているうちに、ライブのことが話題になった。


「そういえば、Lunatic Child、最近どうですか?」


「どうって?」


「曲とか。演奏とか」


「……練習はしてます」


「この前、前よりまとまってましたよ」


「本当ですか?」


「はい」


「じゃあ、よかった」


 凛は少し嬉しくなった。


「静月さん、毎回来てくれてますよね」


「はい」


「ありがとうございます」


「いえ。面白いので」


「面白い?」


「四人とも、演奏が違うから」


「そこですか」


「そこです」


 汐は楽しそうだった。


「Ayaはギターが前に出るし、Renは勢いがある。Kouは音をちゃんと残すし、Akiraは歌が強い」


「……よく聴いてますね」


「ライブ、見てますから」


 当たり前のように答える。


 凛は少し笑った。


「静月さんって、本当に音楽好きなんですね」


「好きですよ」


「どんな音楽でも?」


「割と何でも聴きます」


 その言葉で、凛は一つ思い出した。


「じゃあ……GLAMOROUS MOONって知ってます?」


「知ってますよ」


 返事が早かった。


「やっぱり?」


「有名ですから」


「私、好きなんです」


「そうなんだ」


「はい」


 凛は月を見ながら続けた。


「『Moonlit』って曲、知ってます?」


「知ってます」


「私、あの曲のギターが好きなんです」


「ギター?」


「はい。イントロのところ」


 凛は指で簡単にリズムを刻む。


「最初、すごく静かなのに、途中から音が広がっていくじゃないですか」


「そうですね」


「最初に聴いたとき、ギターってこんな弾き方もできるんだって思って」


「なるほど」


 汐は頷いた。


「音を詰め込まないほうが、逆に残ることもありますからね」


「そうなんです」


 凛の声が少し弾んだ。


「あと、『Night Walker』も好きです」


「ああ」


「こっちはライブで聴いてみたいんですよね」


「ライブ向きですよね」


「ですよね!」


 凛が笑う。


「実際に聴いたら、絶対もっと格好いいと思うんです」


「たぶん、そうだと思います」


「静月さんは、どの曲が好きですか?」


「一曲に絞るのは難しいですね」


「分かります」


「どれくらい聴いてるんですか?」


「四年くらいです」


「四年?」


「中学生の頃から」


「長いですね」


 汐は少し驚いたように言った。


「そうですか?」


「一つのアーティストをそんなに長く聴き続けるのって、意外と難しいですよ」


 凛は少し考える。


「でも、ずっと好きだったので」


 迷いのない答えだった。


「ギターを始めたのも、きっかけはそれでした」


「へえ」


 汐は頷く。


「じゃあ、本当に好きなんですね」


「好きです」


 即答だった。


 汐が笑う。


「いいですね」


 凛は、なんとなく嬉しくなった。


 ただ好きなものについて話している。


 それだけなのに、時間が経つのが早かった。


「……静月さんって、普段から飲むんですか?」


 話が途切れたところで、凛は缶ビールを見る。


「たまにですよ」


「強いんですか?」


「普通だと思います」


「そうなんだ」


 凛は月を見る。


「私、来年の五月で二十歳になるんです」


「そうなんですか」


「はい」


 もうすぐだ。


 今まで酒を飲んだことはない。


 でも、今日こうして月を見ながら飲んでいる人を見ていたら、少し興味が湧いた。


「そのとき」


 凛は汐を見る。


「一緒に飲みませんか?」


「俺とですか?」


「はい」


 汐が少しだけ目を丸くする。


「いいですよ」


「本当ですか?」


「はい」


 凛の表情が明るくなる。


「約束ですよ」


「忘れないようにします」


「忘れないでください」


「努力します」


 二人とも笑った。


 時計を見る。


 思ったより時間が経っていた。


「そろそろ帰ります」


「そうですね」


 凛が立ち上がる。


「静月さんも、飲みすぎないでくださいね」


「分かりました」


「じゃあ、おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 公園を出ようとして、凛は足を止めた。


「あ」


「どうしました?」


「そういえば」


 今まで何度もライブで会っている。


 こうして一緒に話したこともある。


 なのに。


「私たち、Twitter交換してませんよね」


「そういえば」


 汐もスマートフォンを取り出した。


「やってます?」


「やってます」


「じゃあ、交換します?」


「今さらですか?」


 凛が笑う。


「苗字しか知らなかったので」


「……それもそうですね」


 二人でアカウントを検索する。


「これです」


「ありがとうございます」


 凛の画面に、汐のアカウントが表示される。


 静月汐。


 今までずっと「静月さん」と呼んでいた。


 凛も自分の画面を見せる。


「神崎凛です」


「神崎凛……」


 汐が名前を読む。


 お互いの名前を、初めてちゃんと知った。


「じゃあ、今度こそ帰ります」


「はい」


「おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 凛は公園を出た。


 歩きながら、スマートフォンを見る。


 新しく増えた名前を眺める。


 静月汐。


 今までより、少しだけ近くなった気がした。


 夜空には、まだ月が出ていた。

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