第11話 「凛として咲く花の如く」
十一月。
朝晩の空気は、すっかり冷たくなっていた。
いつものスタジオに、四人が集まっていた。
零花がドラムの位置を確認し、充は譜面台を立てる。
晶はアンプの電源を入れながら、スマートフォンを眺めていた。
最後に凛が入ってくる。
「お待たせ」
「遅い」
晶が顔を上げる。
「まだ時間前でしょ」
「俺が早かっただけ」
「それならいいじゃん」
凛はギターケースを置いた。
「そういや、次どうする?」
晶が聞いた。
「いつも通りじゃない?」
零花がスティックをケースから取り出す。
「カバー、何か入れる?」
充が譜面をめくった。
「まだ決めてなかったよね」
「うん」
凛は返事をしながら、スマートフォンを取り出した。
画面を操作する。
少し迷ってから、四人の前に見せた。
「……これ、やりたい」
「GLAMOROUS MOON?」
晶が声を上げた。
「うん」
「珍しいな」
充が画面を見る。
「次のライブで?」
「そう」
「難しくないか?」
「難しい」
凛は即答した。
「だよな」
充は譜面を覗き込んだ。
零花も横から画面を見る。
「ああ、これか」
「知ってる?」
「うん。何曲か聴いたことあるよ」
零花は曲名を確認する。
「これ、最初に聴いた曲?」
「うん」
凛が頷いた。
「私がギター始めたきっかけになった曲」
「へえ」
晶が意外そうな顔をする。
「そんなに好きなんだ」
「好き」
凛は迷わず答えた。
「だから、一回くらい自分で弾いてみたかった」
晶が凛を見る。
「じゃあ、やってみる?」
「うん」
凛はギターを構えた。
原曲を再生する。
何度も聴いたイントロ。
ギターが入る。
凛も合わせる。
最初のフレーズ。
悪くない。
指は動く。
何度も聴いて、何度も弾いたフレーズだ。
けれど、曲が進むにつれて、違和感が増えていった。
凛が演奏を止める。
「……違う」
「どこ?」
零花が聞く。
「分からない」
「それ困るな」
充が譜面を見る。
「コードは合ってるぞ」
「分かってる」
凛は原曲をもう一度聴いた。
同じように弾いているはずなのに、違う。
弾けないわけじゃない。
音も、大きく外れているわけじゃない。
それなのに、聴こえてくるものが違った。
音の入り方。
次の音への繋がり。
ギターが鳴ったあとに残る感じ。
何度聴いても、それだけは合わない。
「……凛、そこ原曲と違う?」
充が言った。
「……そうかも」
「俺は原曲をそこまで知らないから分からないけど」
充は譜面を指した。
「譜面だと、こっちになってる」
「ああ」
凛は譜面を見る。
「でも、音源だとこっち」
「そうなの?」
零花が二人を見る。
「私、どっちに合わせればいいの?」
「譜面なら、俺はこっち」
充が答える。
「でも私は、原曲に合わせたい」
「じゃあ、俺と凛で違うことになるぞ」
「……そうだね」
凛はギターを見た。
譜面が間違っているとは思わない。
充が間違っているわけでもない。
ただ。
自分が覚えている音は違った。
ギターを始めた頃から、何度も聴いてきた。
最初に聴いたときのことも、まだ覚えている。
あの頃、自分にはこんな音が出せるなんて思えなかった。
何度も真似した。
何度も弾いた。
それでも、自分で弾くと違って聞こえる。
「もう一回」
凛が言った。
演奏が始まる。
凛は原曲に寄せようとする。
充は譜面通りに弾く。
その二つが、どうしても噛み合わない。
零花は二人の間を聴きながら、何度かスティックを止めた。
凛のギターを追えば、充のベースが浮く。
充に合わせれば、凛が違う場所へ行く。
「……凛」
「何?」
「そこ、俺は譜面通り弾いてる」
「分かってる」
「でも凛は違う音弾いてる」
「分かってる」
「どっちが正しいんだ?」
「……分からない」
零花が二人を見る。
「えっと……」
スティックを握ったまま、困ったように笑う。
「どっちに合わせればいい?」
凛は答えられなかった。
「とりあえず、凛に合わせる?」
「いや、譜面に合わせた方がいいんじゃないか?」
充が言う。
「でも、原曲は……」
「だから分からないって」
凛は黙った。
充は譜面を見る。
凛はスマートフォンの画面を見る。
どちらも間違っていない。
それが、一番厄介だった。
「一回、歌まで入れてみよう」
晶が言った。
ギターを構え直す。
「俺、歌う」
「うん」
凛が頷く。
原曲を止める。
晶がカウントを取った。
「いくよ」
演奏が始まる。
凛のギター。
充のベース。
零花のドラム。
そして晶の歌。
最初は問題なかった。
けれど、ギターのフレーズが増えるにつれて、晶の歌が遅れる。
歌を優先すると、ギターが遅れる。
ギターを優先すると、今度は息が足りない。
晶が途中で止まった。
「……これ、息継ぎする場所ない」
「原曲も?」
零花が聞く。
「あるにはある。でも、俺の今の弾き方だと無理」
「ギターだけなら?」
「弾ける」
「歌だけなら?」
「歌える」
晶はギターを見る。
「でも両方やったら、どっちか死ぬ」
零花が笑った。
「そんなに?」
「そんなに」
晶は譜面をめくる。
「これ、一人で歌いながら弾いてるの?」
「そう」
「すごいな」
「原曲はやってる」
「だからすごいんだよ」
晶は少し考えた。
「……まあ、俺が歌い方変えればできるとは思うけど」
「じゃあ?」
「そこまでして一人でやる必要ある?」
凛が晶を見る。
「……ないか」
「ない」
晶は即答した。
「俺、ギターもちゃんと弾きたいし」
凛は自分のギターを見る。
「じゃあ、分ける?」
「何を?」
「歌」
晶が凛を見る。
「私も歌うから」
「……それならいけるかも」
零花がスティックを構え直した。
「試してみよう」
原曲にはない形だった。
でも、四人で演奏するなら必要な変更だった。
もう一度合わせる。
今度は、凛と晶が交互に歌う。
ギターも少し簡略化する。
零花は二人の歌を聴きながら叩く。
充は譜面を見つつ、二人の音に合わせてベースを変える。
さっきよりはまとまった。
歌が途切れない。
ギターも崩れない。
ドラムも入る場所が分かる。
最後まで演奏する。
音が止まった。
「……さっきよりいいな」
充が言った。
「うん」
零花も頷く。
「こっちの方が合わせやすい」
晶は息を整えながら、ギターを見る。
「これなら歌える」
「じゃあ、これでいこうか」
零花が言う。
「うん」
凛は返事をした。
悪くない。
むしろ、今までよりまとまっている。
四人で演奏している感じもある。
原曲とは違う。
でも、それは仕方がない。
凛はスマートフォンを取り出した。
イヤホンを耳に入れる。
『Falling Upward』を再生する。
ギターが鳴る。
何度聴いても。
やっぱり、格好いい。
自分がギターを始めた頃から、ずっと聴いていた音。
何度も真似した。
何度も弾いた。
それでも。
まだ遠い。
さっきまで自分たちが弾いていた音と、原曲の音を交互に聴く。
違う。
何が違うのかは、やっぱり分からない。
けれど、分からないままでは終われなかった。
凛はギターを見た。
まだ足りない。
もっとできる。
顔を上げる。
「……もう一回だけ」
零花が時計を見る。
「まだやる?」
「うん」
充が譜面を閉じた。
「じゃあ、付き合う」
晶もギターを持ち直す。
「俺も」
凛は頷いた。
もう一度、音が鳴る。
今度は、さっきより少しだけ違う。
それでも。
凛には、まだ届かなかった。




