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新月のふたり  作者: 六花
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第6話 「見たこともない景色」

 九月の終わり。


 昼間の暑さはまだ残っている。


 けれど、日が落ちると風が少しだけ涼しくなっていた。


 汐はAscensionへ向かう道を歩いていた。


 駅前を抜ける。


 見慣れた階段を下りる。


 地下へ降りるにつれて、外の音が遠くなっていく。


 受付を済ませて、フロアへ入った。


 開演前。


 前より、人が多い。


 それでも、ぎゅうぎゅうというほどではない。


 汐は壁際へ向かった。


 前と同じ場所。


 自然とそこへ足が向く。


 別に決めているわけじゃない。


 ここが一番落ち着く。


 スマートフォンを取り出す。


 昨日保存した音源が目に入った。


 Lunatic Child_rough_01。


 数秒だけ画面を見る。


 それから閉じた。


 ステージの上では、スタッフが機材を確認している。


 ギターアンプ。


 マイク。


 ドラム。


 ベースアンプ。


 いつものAscension。


 いつもの準備。


 そんなことを考えていると、昨日の曲を思い出した。


 ……まあ、今日は関係ないか。


 その時だった。


「静月さん」


 声がした。


 顔を上げる。


 Ascensionのスタッフが客席の前を通りながら、汐に声をかけていた。


「あ、こんばんは」


「今日もよろしくお願いします」


「はい」


 スタッフはそのままステージへ戻っていった。


 汐は客席を見る。


 知らない顔が増えている。


 前よりも。


 そう思った。


 やがて照明が落ちた。


 客席から拍手が起こる。


 出演者が順番にステージへ上がっていく。


 最後に四人が並ぶ。


「こんばんは! Lunatic Childです!」


 聞き慣れた声が響いた。


 拍手が返る。


 Ayaがギターを構える。


 晶がマイクの前に立つ。


 充がベースを抱え、零花がスティックを握った。


 Ayaが客席を見る。


 一瞬だけ視線が止まった。


 汐と目が合う。


 すぐに逸れた。


 そして。


 最初の音が鳴った。


 跳ねるようなギター。


 そこへベースが入る。


 少し遅れて、ドラム。


 音が重なる。


 汐は顔を上げた。


 前より、まとまっている。


 もちろん、完成されているわけじゃない。


 零花は時々、少し前へ出る。


 充もまだ危ういところがある。


 晶の歌も荒削りだ。


 Ayaだって、まだ音が揺れる。


 それでも。


 四人の音が、前より近かった。


 曲が進む。


 客席が揺れる。


 前の方では手を上げている人もいる。


 ステージの上では、四人が楽しそうに演奏していた。


 Ayaがギターを弾きながら笑う。


 零花も、つられるようにスティックを強く振った。


 充はベースへ視線を落とす。


 晶は歌いながら客席へ声を飛ばす。


 何曲か続いた。


 短いMCが入る。


 晶がマイクを握る。


 短いMCが入る。


 晶がマイクを握る。


「次はオリジナルです!」


 客席から声が返る。


 晶が少し笑った。


「聴いてください」


「『Lunatic Child』!」


 Ayaがギターを持ち直した。


 一度、客席を見る。


 それから弦に指を置く。


 ギターが鳴った。


 静かなアルペジオ。


 音と音の間に、夜の空気が残っているようだった。


 そこへベースが重なる。


 ドラムが入る。


 歌が始まった。


 汐は黙って聴いていた。


 特別難しい曲じゃない。


 演奏技術を見せつけるような曲でもない。


 けれど。


 妙に耳に残る。


 音が真っ直ぐだった。


 そして、サビ。


「月明かりだけを頼りに――」


 音が開いた。


 客席へ向かって、真っ直ぐ飛んでくる。


「知らない道を走ってく――」


 ギターが重なる。


 ドラムが前へ出る。


 ベースがその下を支える。


 晶の歌が、その真ん中を抜けていく。


 汐は目を細めた。


「間違いだらけのこの音が――」


 四人の音が重なる。


「いつか誰かに届くまで――」


 最後の音が伸びる。


 歓声が上がった。


 汐はステージを見る。


 Ayaが笑っていた。


 零花も。


 充も。


 晶も。


 四人とも、楽しそうだった。


 そこで、ふと思う。


 この前、自分が作った曲。


 Lunatic Child_rough_01。


 あれは、自分が想像したLunatic Childだった。


 Ayaならこう弾く。


 Renならこう叩く。


 Kouならこう弾く。


 Akiraならこう歌う。


 勝手に考えて。


 勝手に作った。


 でも。


 実際のLunatic Childは違った。


 もっと青い。


 もっと真っ直ぐ。


 自分が作ったものより、不器用で。


 だからこそ、妙に面白い。


 ……こっちのほうが、いいかも。


 そんなことを思った。


 汐は息を吐く。


「……若いな」


 悪い意味じゃない。


 まだ音が揃わない。


 まだ迷っている。


 それでも、四人で鳴らしている。


 それが、なんだか良かった。


 曲が終わる。


 拍手が響く。


 Ayaが何度も頭を下げている。


 その姿に客席から笑いが起きる。


 本人は気づいていないらしい。


 晶が何かを言う。


 また笑いが起きる。


 Ayaが困ったように笑う。


 零花が横で笑っている。


 次の曲が始まる。


 ライブは、そのまま進んでいった。


 最後の曲。


 最後の音。


 そして、最後の拍手。


 ステージの上で四人が並ぶ。


「ありがとうございました!」


 深く頭を下げる。


 照明が落ちた。


 ライブが終わる。


 客が少しずつ出口へ向かう。


 汐も歩き出した。


 ステージでは片付けが始まっている。


 ケーブルをまとめる音。


 機材を動かす音。


 出演者たちの声。


 その横で、スタッフが笑いながら何か話している。


 いつもの夜だった。


 たぶん、この後は打ち上げだろう。


 汐はそのまま階段へ向かった。


 外へ出る。


 夜風が少し涼しい。


 駅へ向かって歩く。


 さっきの曲がまだ頭に残っていた。


 何を追っているんだろう。


 Lunatic Childは。


 そう思う。


 けれど、その答えは分からなかった。


 たぶん本人たちも知らない。


 だから面白いのかもしれない。


 汐は空を見上げる。


 月が出ていた。


 少しだけ笑って、歩き出した。


 *


「今日もいた」


 凛はギターをケースへしまいながら言った。


「誰が?」


 零花が振り返る。


「静月さん」


「ああ」


 零花が頷く。


「また来てたね」


 充は少し考えてから言った。


「……壁際の人?」


「そうそう」


 零花が笑う。


「よく覚えてたね」


「毎回来てるし」


 充は短く答えた。


「七月も来てたし」


 零花が言う。


「八月も」


 凛が続ける。


「今日も来てくれた」


 晶が振り返る。


「そんなに?」


「うん」


 凛はケースを閉じた。


 最後、少しだけ目が合った。


 でも、もう顔を見ると分かる。


 今日も来てくれた。


「ありがたいな」


 凛が呟く。


「ファンじゃん」


 零花が笑う。


「いや、別にそういうんじゃ……」


「でも毎回来てるんでしょ?」


「まあ……」


 凛は曖昧に返した。


 スマートフォンを取り出す。


 今日のライブ写真を確認する。


 投稿する写真を選ぶ。


 ステージの上で笑っている自分たちを眺める。


 ふと客席を見る。


 もう誰も残っていない。


 凛は画面へ視線を戻す。


 今日も来てくれた。

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