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新月のふたり  作者: 六花
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第3話 「Hello, Again」

 ライブが始まる少し前。


 汐は、前回と同じ場所に立っていた。


 フロア後方の壁際。


 ステージ全体を見渡せる位置だ。


 前回より、客が増えている。


 開演を待つ人たちの話し声が、あちこちから聞こえてくる。


 ステージでは、四人が準備をしていた。


 マイクの位置を確認する。


 ギターのチューニングを合わせる。


 ドラムの椅子を調整する。


 それぞれが、自分の準備に集中している。


 ギターを抱えた少女が、何度か客席へ視線を向けた。


 その視線が、汐のところで止まる。


 一瞬、目が合った。


 少女――AYAが、目を見開く。


 けれど、すぐに視線を逸らした。


 汐は気づかないふりをして、ステージへ目を戻した。


 やがて照明が落ちる。


 拍手が起こった。


 四人がステージへ上がる。


「こんばんは! Lunatic Childです!」


 AYAの声が響く。


 前回より、落ち着いている。


 まだ緊張は残っている。


 それでも、以前ほど硬くない。


 ギターを構える。


 最初の音が鳴った。


 汐は耳を澄ませた。


 前回とは違う。


 ギターが必要以上に前へ出てこない。


 ベースはまだ不安定なところがある。


 ドラムも、ときどき勢いが先に出る。


 それでも。


 四人の音が、前回より近くなっていた。


 誰か一人が目立つのではなく。


 それぞれの音が、同じ曲の中に収まっている。


 曲が終わる。


 拍手が起こった。


 AYAが笑う。


 その笑顔も、前より自然だった。


 次の曲が始まる。


 汐は腕を組んだまま、ステージを見つめていた。


 音が重なる。


 前回は、それぞれの音が別々に聞こえる瞬間があった。


 今回は違う。


 まだ荒い。


 それでも、少しずつ一つになっている。


 曲の終わり。


 ドラムが最後の音を叩く。


 ギターが続いて止まる。


 AYAが息を吐いた。


 その様子を、汐は見ていた。


 その後も何曲か続いた。


 MCでは相変わらず緊張している。


 言葉を噛んでしまい、客席から小さな笑いが起こる。


 AYA自身も恥ずかしそうに笑った。


 けれど。


 ギターを持つと、また表情が変わる。


 音を出している時だけは、迷いがない。


 失敗しても止まらない。


 次の音へ進んでいく。


 前回と同じだった。


 でも。


 確かに、違っていた。


 最後の曲が終わる。


「今日はありがとうございました!」


 四人が並んで頭を下げる。


 拍手が響いた。


 照明が戻る。


 客が出口へ向かっていく。


 汐も、その流れに混ざった。


 ライブハウスを出ようとしたところで。


「あの」


 声がした。


 振り返る。


 AYAが立っていた。


 ギターケースを背負っている。


「この前は、ありがとうございました」


 汐は一度、目を瞬いた。


 楽器店で弦の話をした少女。


「弦、使ってみました」


「どうでした?」


「思ったより弾きやすかったです」


 AYAは嬉しそうに笑った。


「音も、前に使ってたのとちょっと違って」


「そうですか」


「はい」


 そこで会話が途切れる。


 凛は何か言わなければと思った。


 けれど、言葉が浮かばない。


 それでも。


 これだけは伝えたかった。


「ありがとうございました」


 今度は、ちゃんと言えた。


 汐も頭を下げる。


「今日も」


「え?」


「前より、音がまとまってましたね」


 一瞬、AYAの表情が止まった。


「……分かるんですか?」


「前も聴いていたので」


「あ……」


 AYAは目を伏せる。


 前回も来ていた。


 今回も来ていた。


 それだけじゃない。


 演奏の違いまで覚えている。


 そんな客は、あまりいない。


「ありがとうございます」


 顔を上げる。


 今度は自然に笑えた。


「あの」


「はい?」


「……また」


 言いかけて、凛は迷う。


 何を言いたいのか、自分でもはっきりしない。


 ただ。


 もう一度、話してみたい。


 音楽の話を聞いてみたい。


「また感想、聞かせてください」


 汐は目を丸くした。


「感想ですか?」


「はい」


 AYAは頷いた。


「前も今回も、ちゃんと聴いてくれてたみたいだから」


 汐は考えるように黙った。


 それから、頷く。


「……分かりました」


「ありがとうございます」


 AYAは笑った。


 短い会話だった。


 それでも、凛の表情は明るかった。


 汐は軽く会釈をして、その場を離れる。


 背中が人の流れに紛れていく。


 AYAは、その方向を見送った。


 *


「凛ー!」


 ライブハウスを出たところで、後ろから声が飛んできた。


 凛が振り返る。


「零花」


 小柄な少女が駆け寄ってくる。


「終わったー!」


 両手を上げて伸びをする。


「疲れた!」


「元気じゃん」


「疲れたのと元気なのは別!」


「そういうもの?」


「そういうもの!」


 凛は吹き出した。


 少し離れたところでは、充が待っている。


「晶は?」


「まだ片付け」


「じゃあ、先に行こうか」


「うん!」


 三人で駅前へ向かって歩き出す。


 夜になっても、昼間の暑さが残っていた。


「今日、どうだった?」


 零花が聞く。


「どうって?」


「ライブ!」


「……まあまあ」


「えー」


 零花が不満そうに頬を膨らませる。


「絶対よかったじゃん」


「前よりは、よかったと思う」


「でしょ?」


 零花が笑う。


「私もそう思う!」


「自分で言うんだ」


「だって!」


 零花は胸を張った。


「今日、ちゃんと合わせられた気がする!」


「うん」


 凛が頷く。


「前よりよかった」


「ほんと?」


「うん」


「やった!」


 零花が跳ねる。


 歩きながら、凛が言った。


「でも、零花」


「ん?」


「今日、ちょっと抑えてたよね」


「あー……」


 零花が考える。


「うん。ちょっと」


「珍しい」


「だって、前に走ってたから」


「自分で分かってたんだ」


「分かってたよ!」


 零花はむくれた。


「私だって考えてるもん」


「ごめん」


「でもさ」


 零花は前を向く。


「みんなに合わせた方が、やっぱり楽しいかなって」


 凛は零花を見る。


「楽しい?」


「うん」


 零花は笑った。


「一人で上手く叩くより、みんなで合った方が気持ちいいじゃん」


「……それは、分かる」


 凛も頷いた。


 自分もギターを弾いていて、そう思うことがある。


 音が重なった瞬間。


 四人の音が一つになったように感じる瞬間。


 あれは好きだった。


「じゃあ、今日はよかったんじゃない?」


「ほんと?」


「うん」


「やった!」


 零花が嬉しそうに笑う。


「次も頑張ろうっと」


 凛も笑った。


「充は?」


「俺?」


「今日どうだった?」


「普通」


「またそれ?」


「じゃあ、前よりマシ」


 充は笑った。


「まだ始めて数ヶ月だし」


「でも、前より合わせやすかった」


「そう?」


「うん」


 凛が頷く。


「よかったと思う」


「ならよかった」


 充は、それ以上言わなかった。


 三人で歩いていると、零花が突然、凛の方を見る。


「そういえば」


「なに?」


「さっき誰かと話してたよね?」


「ああ」


 凛が頷く。


「楽器店で会った人」


「ああ、あの人?」


「そう」


「また会ったんだ!」


 零花の目が輝く。


「すごくない?」


「何が?」


「だって、この前は楽器屋でしょ?」


「うん」


「今日はライブ」


「そうだけど」


「偶然って二回もあるんだね」


「……まあ」


 凛は考える。


「そうだね」


「何話してたの?」


「前より音がまとまってたって」


「へえ」


 零花が感心する。


「ちゃんと聴いてるんだ」


「うん」


「じゃあ、また会ったら面白そうだね」


「……そうかな」


「だって音楽詳しいんでしょ?」


「たぶん」


 凛は笑った。


「いろいろ聞けそう」


「それなら、いいじゃん」


 零花は楽しそうに言った。


「今度会ったら、何聞くの?」


「まだ決めてないよ」


「じゃあ考えとけば?」


「なんで?」


「せっかく詳しい人なんでしょ?」


「……そうだけど」


 凛は考える。


「じゃあ、弦のこと以外も聞いてみようかな」


「いいじゃん!」


 零花は嬉しそうだった。


 *


 駅前のファミレスに入る。


 少し遅れて、晶もやってきた。


「悪い。片付けに時間かかった」


「遅い!」


 零花が言う。


「しょうがないだろ」


 晶が席につく。


「で、何食う?」


「私はパフェ!」


「ライブ終わった直後に?」


「いいじゃん!」


「まあ、いいけど」


 零花はメニューを覗き込み、真剣な顔をしている。


「チョコとストロベリー、どっちにしよう……」


「両方頼めば?」


 晶が言う。


「それだ!」


「おい」


 充が笑う。


「食えるの?」


「食べられる!」


「絶対途中で飽きるだろ」


「飽きない!」


 結局、零花はチョコパフェを注文した。


 凛はジュース。


 充はコーヒー。


 晶はハンバーグを頼んだ。


 料理が運ばれてくる。


 ライブが終わった後に、こうして集まる。


 特別な打ち上げというほどでもない。


 ただ、帰る前に少し話していくだけだ。


「今日さ」


 晶が口を開いた。


「客、前より増えてたよな」


「うん」


 凛が頷く。


「少しだけ」


「もっと増やしたいな」


 晶は楽しそうに言った。


「せっかくやるなら、客いっぱい入れたいだろ」


「いっぱい来たら楽しそう!」


 零花がパフェを食べながら言う。


「そういうこと」


 晶が頷く。


「次はもっと増やそうぜ」


「どうやって?」


 充が聞く。


「それはこれから考える」


「まだ考えてないんだ」


「今から考えるんだよ」


 晶が笑う。


 凛も笑った。


「次の曲、どうする?」


 晶が聞く。


「新しいの?」


「うん」


「まだ決めてない」


「じゃあ、何か探そうぜ」


 晶がスマートフォンを取り出す。


「これとかどう?」


 画面を凛に見せる。


「ちょっと難しくない?」


「そう?」


「今の私たちだと、練習時間足りないと思う」


「じゃあ、こっちは?」


 別の曲を見せる。


「それならいけるかも」


「じゃあ候補」


 晶が画面を閉じる。


「次の練習で決めよう」


「うん」


 話は自然と次のライブへ移っていく。


 練習の予定。


 やる曲。


 それぞれの学校や仕事のこと。


 取り留めのない話が続く。


 零花はパフェを食べ終わると、ドリンクバーへ向かった。


 充は二杯目のコーヒーを取りに行く。


 晶は次のライブの日程を確認している。


 凛は三人を眺めながら、ジュースを一口飲んだ。


 こういう時間は嫌いじゃなかった。


 ライブの反省をして。


 くだらない話をして。


 笑って。


 また次の練習の話をする。


 それを繰り返していく。


 *


 ファミレスを出る。


 駅前で、それぞれ帰り道が分かれる。


「じゃあ、また」


「おつかれー!」


「お疲れ」


 手を振り合う。


 凛は一人で歩き出した。


 夜風が頬を撫でる。


 今日のライブ。


 ファミレス。


 そして。


 ライブハウスの前で話した、あの人。


 前より、音がまとまっていた。


 そう言われた。


 嬉しかった。


 凛は歩きながら、ふと思い出す。


「……名前、聞いてなかったな」


 今さら気づいた。


 少し考える。


 けれど、すぐに笑った。


「まあ、いいか」


 もしまた会うなら。


 その時に聞けばいい。


 凛はギターケースを担ぎ直し、家路についた。

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