第4話 「夏色」
夜のコンビニは、昼間とは少し違う。
客の数が少ない。
店内に流れる音楽も、どこか遠く聞こえる。
凛はレジを離れ、棚の商品を確認していた。
パンの袋を一つずつ手に取る。
期限を確かめて、近いものを手前へ。
その中の一つに目が止まった。
賞味期限は、9月14日。
「……これ、明日までか」
新しい商品を奥へ入れる。
隣には、秋限定と書かれた商品が並び始めていた。
まだ夜は暑い。
それでも、店の中には少しずつ秋が入り込んでいる。
凛は空になった箱を片付けた。
そのとき、自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ――」
顔を上げる。
「あ」
思わず声が漏れた。
見覚えのある人だった。
ライブハウスで何度か見た人。
楽器店でも会った人。
いつも客席の後ろのほうで、静かにライブを見ている。
今日はギターを持っていない。
ラフな服装で、飲み物とパンを手に取っている。
向こうも凛に気づいた。
軽く会釈をする。
「こんばんは」
「こんばんは」
それだけ言って、汐は店の奥へ向かった。
凛は仕事に戻る。
しばらくして、汐がレジへやってきた。
飲み物。
パン。
それから小さな菓子。
「お願いします」
「はい」
商品をスキャンする。
袋へ入れる。
それだけのはずだった。
「この時間、よく来るんですか?」
気づけば、凛は聞いていた。
「たまに」
「夜型ですか?」
「……どちらかと言えば」
「私も夜のほうが好きです」
「そうなんですか」
「昼間って人が多いじゃないですか」
「そうですね」
「ちょっと疲れるんですよね」
「……分かります」
その返事に、凛は目を丸くした。
意外だった。
この人も、人が多いのは苦手らしい。
「そういえば」
「はい」
「名前、聞いてなかったですよね」
汐が顔を上げる。
「……そうですね」
「なんて呼べばいいですか?」
少し考えてから、汐は答えた。
「静月です」
「静月さん」
凛はその名前を口にした。
汐が頷く。
「私は神崎です」
汐の視線が、凛の胸元へ向いた。
名札。
「ああ」
「書いてありました?」
「はい」
「ですよね」
凛は笑った。
わざわざ言わなくてもよかったかもしれない。
「神崎さん」
汐がそう呼ぶ。
少しだけぎこちない。
「はい」
凛は袋を持ち上げた。
「静月さんって、この辺に住んでるんですか?」
「まあ」
「近い?」
「歩いて行けるくらいです」
「へえ」
それ以上は聞かなかった。
この人は、聞かれたことには答える。
でも、自分から話を広げる人ではない。
そんな気がした。
「神崎さんは?」
「私ですか?」
「はい」
「この近くです」
「そうですか」
また会話が途切れる。
気まずいわけではない。
ただ、静かなだけだった。
凛は会計を済ませながら、ふと思う。
そういえば、この人は何をしているんだろう。
「静月さんって、何してる人なんですか?」
汐は少しだけ困ったような顔をした。
「……声優です」
「え?」
凛の声が少し大きくなった。
「声優?」
「はい」
「へえ……」
自分の周りにはいない仕事だった。
「アニメとか?」
「そういう仕事もあります」
「テレビに出たり?」
「基本的には声の仕事なので」
「ああ」
凛はなんとなく頷く。
「スタジオとか行くんですか?」
「行くこともあります」
「ことも?」
「家で録る仕事もあるので」
「へえ」
凛は素直に感心した。
知らない仕事の話は面白い。
でも、それ以上は聞かなかった。
なんとなく、この人は自分から話したいことをあまり話さない人だと思ったからだ。
「音楽もやってるんですよね?」
汐が顔を上げる。
「……分かります?」
「ギター持ってたので」
「ああ」
凛は笑った。
「趣味ですか?」
「まあ……」
「好きなんですね」
凛が言う。
「静月さんも」
汐は、今度は迷わなかった。
「好きです」
即答だった。
凛は思わず笑った。
「ですよね」
さっきまでの返事とは、少し違う。
声がほんの少しだけ強かった。
それが妙に印象に残った。
「じゃあ、またライブで」
凛が言う。
「……はい」
汐は袋を受け取った。
一度、軽く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
汐は店を出ていった。
自動ドアが閉まる。
凛はその背中を目で追った。
「静月さん、か」
名前を一つ知っただけ。
それだけなのに、少しだけ距離が近くなった気がした。
*
「それ潰れる」
「え?」
「文字」
玲が紙を指差した。
凛の部屋の床には、何枚もの紙が広がっている。
ロゴ。
缶バッジのラフ。
ステッカー。
タオルのデザイン。
その中心に、Lunatic Childのグッズ案が並んでいた。
「ここ、文字入れたら見えなくなる」
「じゃあ大きくする?」
「そうすると、こっちが狭くなる」
「じゃあロゴを小さくする?」
「それは嫌」
「なんで」
「ロゴは大きいほうがいいから」
「はいはい」
玲はペンを走らせた。
紙の端には、
Lunatic Child 2019
と書かれている。
「これ、缶バッジ?」
「うん」
「タオルも作る?」
「作りたい」
「売れる?」
「知らない」
「知らないのに作るんだ」
「だって欲しいじゃん」
「誰が?」
「私が」
「自分用じゃん」
「……じゃあ、みんなも欲しいってことで」
「雑だなあ」
二人で笑った。
玲は別のラフを取り出す。
「こっちは?」
「それ好き」
「ほんと?」
「うん。零花かわいい」
「本人に言っといて」
「絶対喜ぶ」
「だから描いた」
「なるほど」
凛は紙を並べ替える。
「でも、これTシャツにしたらどうなる?」
「まだ考えてない」
「考えてないんだ」
「初めて作るんだから仕方ないでしょ」
「そうだった」
玲は笑った。
しばらく二人でラフを眺める。
「そういえば」
「ん?」
「あの人どうなった?」
「あの人?」
「楽器屋で会った人」
「ああ」
凛は考えた。
「今日、コンビニに来た」
「また会ったの?」
「うん」
「すごいね」
「そう?」
「ライブ、楽器屋、コンビニ」
「言われてみれば」
「だいぶ会ってるじゃん」
「偶然でしょ」
「まあね」
玲はペンを回した。
「名前聞いた?」
「聞いた」
「へえ」
「静月さん」
「名字?」
「たぶん」
「たぶん?」
「そこまで聞いてない」
「仲良くないじゃん」
「仲良くないよ」
「名前聞いたのに?」
「それくらい聞くでしょ」
「凛が?」
凛の手が止まった。
「……何」
「知らない人に、自分から名前聞くんだ」
「……」
「昔は人の顔見るだけで緊張してたのに」
「昔の話しないで」
「だって本当じゃん」
「……可愛くない妹」
「はいはい」
玲が笑う。
凛も笑った。
「最近、その人の話よく聞くなと思って」
「そうだっけ」
「そうだよ」
凛は考える。
確かに。
ここ最近、何度か話している。
でも、それだけだ。
「まあ、変な人ではないよ」
「へえ」
「音楽詳しいし」
「凛が言うなら、そうなんじゃない?」
玲はそれ以上聞かなかった。
紙を一枚、凛の前へ滑らせる。
「ほら。こっち見て」
「ん?」
「この部分」
「ああ」
話は自然にグッズへ戻った。
「線、もうちょっと太くしたほうがいい?」
「うん。印刷したら潰れそう」
「じゃあ、ここも?」
「そこは残して」
「分かった」
玲はまたペンを動かす。
凛はその横で、ラフを眺めていた。
こういう時間は昔から変わらない。
家族のことや、学校のこと。
それぞれにいろいろあっても、二人でいるときだけは、昔と同じようにくだらない話ができた。
「ねえ」
「何?」
「このタオル、もう少し可愛くできない?」
「凛が言う?」
「何それ」
「自分で描けば?」
「無理」
「知ってる」
「ひどい」
玲が笑う。
凛も笑った。
*
玲が帰ったあと、部屋は急に広く感じた。
机の上には、途中までのグッズ案。
その横に、ギターが置いてある。
凛はそれを手に取った。
アンプへ繋ぐ。
コードを鳴らす。
音が部屋に広がった。
もう一度。
今度は、少しだけ強く。
今日聞いた言葉を思い出す。
好きです。
あの返事だけは、妙に迷いがなかった。
凛は弦を押さえる。
音を伸ばす。
消える直前まで待つ。
それから、次の音を置く。
もう一度。
さっきより少しだけ強く。
窓の外では、虫の声が聞こえていた。
夏の音は、まだ残っている。
けれど、夜の空気は少しずつ変わり始めていた。




