冒険者85 沼に沈むということ
夜を過ごして、朝になり。
早朝の病院食を食べていると廊下から荒い足音が扉越しに聞こえてきた。
俺の部屋は個室で、しかもナースの話によると一般病棟とは少し違う場所にあるらしい。
起き抜けから静かだったのはこの病棟に居る患者が極僅かになっているからで、しかも外には専門のナースも居るとのこと。
病院食も俺がイメージしている質素なものと異なり、量が少ないながらも明らかに手間が掛かっていると解る見た目をしている。
さて、そうであるからこそ。 此処に入院している人間は特殊な事情の持ち主か、あるいは純粋な富裕層に限られるのではないかと考えている。
そして、そんな場所で荒々しく動くことを病院側は望んではいまい。 にも関わらずに足音の調子が止まらないところを思うに、相手は随分早いようだ。
足音の相手は俺の病室前で止まり、短くノックを三回行う。
面会の予定は聞いていないが、俺自身が既に普通ではない状態での入院だ。 関係者が突然訪れてきたとて然程不思議ではない。 強いて疑問なのは、一体誰が来たのかだ。
どうぞ、と俺は短く応える。
その声に合わせて、引き戸は一気に開かれて一人の女性が姿を現す。
レディーススーツに身を包んだその人は、俺を見るなり目を揺らしていた。 金の髪をこの二年で伸ばしていたようで、腰に届く程の髪を終端部分で一つに纏めている。
元から成人済みではあったが、この二年でますますの美貌を獲得したようだ。 最早モデルですらも霞むようなルックスが、現実を受け止めるのに必死になっている。
「た、立花……さん?」
「……ええ、お久し振りです。 榊原さん」
「――立花さんッ!」
一直線に彼女は俺に駆け寄る。 そのまま飛び込むような形で俺に抱き着き、突然の抱擁にこっちが白黒してしまった。
確かに彼女とはそれなりに友好な関係を築いていたと思うが、ここまで心配する程だろうか。
そのまま榊原は泣き出してしまい、全身の倦怠感を我慢しながら両手を中空に漂わせることになってしまった。
わんわんと子供のように泣きじゃくる彼女を見るに、相応に苦労をしたと解る。 俺がその場に居れば幾分か楽にはなったと思うが、そんなことは考えていても意味はない。
およそ十分はそうしていただろうか。 榊原は唐突に正気を取り戻し、失礼しましたと離れる。
病院着の胸の部分には濡れた箇所が出来ていたが、そこを指摘するつもりはない。 こういうのは笑ってスルーが一番穏当だ。
「あ、あの……お体の具合はどうですか?」
「いやぁ、随分なまってしまっていますね。 リハビリをして直ぐに戻れるか、ちょっと不安です」
恥ずかしさで頬を僅かに染めつつの質問に、素直に返す。
起きてからもそうだが、身体に残る倦怠感は今まで体験した比ではない。 完全に動けない程ではないものの、それでも三十分も動けば息切れを起こすだろう。
だが、俺の状態は普通よりも遥かに良い。 基準は定かではないが、通常は二年も植物状態を経験していれば起き上がることも難しい筈だ。
それが起きて、まだおかゆであれど食事を摂れる。 身体も歩こうとすれば歩けるレベルで抑えられ、流石は冒険者の身体だと感心していた。
しかし、榊原からすればそうではないのだろう。 不安な顔をして、申し訳ない顔を浮かべてはすぐに直角に腰を曲げた。
「すいませんでした。 私が弱かった所為で……」
「――ストップです。 それは違いますよ」
彼女には最後まで言わせない。
俺の静止に彼女はゆっくりと顔を上げる。 申し訳ない表情はそのままに、同時に困惑もあった。
彼女は本当に自分の所為だと思い込んでいるが、どう客観的に見ても俺のあの行動は間違いだったろう。
妙な感情。 今ではソアやナラから出てきたものの可能性が高いが、それに支配されてほぼほぼ暴走に近い形で戦闘に入ってしまった。
あの時点で榊原が介入するのは現実的ではない。 仮にしたとして、それは随分なデメリットを背負うことになっていただろう。
だから、悪いのは俺にある。 あの感情程度を御しきれない時点で自分は未熟そのものなのだ。
「あの時に戦ったのは自分です。 俺の意思とも言えませんでしたが、それでも行動した時点で責任の所在は明らかでしょう。 勝てない戦いにいきなり勝負を挑んだ馬鹿。 それが俺です」
「そんなことはありません!」
冷静な評価だが、榊原としては納得いかなかった。
少し怒気を込め、彼女は勢い任せに言葉を吐き始める。 それは俺が倒れてからの流れであり、同時にあのダンジョンがどういう形で決着したのかの説明だった。
俺が倒れた後に、ナラが表に出てザークリフを瞬殺した。 その刹那を視認した人間は居らず、ザークリフの死体からどのように斬ったかを推測することしか出来なかったらしい。
更にあのダンジョンには声だけとはいえマリーザの存在もあった。 彼女は最初からこちらを見ていたようで、どうやらダンジョンそのものにマリーザは仕掛けを施している。
俺の身体を操る別の存在。 ナラは堂々と榊原達と交流をしていたようだ。
酷く軽い調子で中国ダンジョンのボスを討伐しつつ、あの場の疑問の殆どを説明していってくれたとのこと。
そのお陰で異世界を受け入れてはならないと当時あの場に居た冒険者全員が考え、同時にいの一番に動いた俺を完全な訳ありとも知覚してしまった。
あの勝負をした時点で今更だ。 彼女もそう思って老人と相談の上で俺の正体を教え、機密として確り誓約書を書かせた。
今では最初期の面子の大部分が俺の存在を知るところとなっている。
あんな出来事が無ければもっと隠していきたかったのだが、こうなってはしょうがないと彼等は妥協した。
彼等が守った線は、初期組かそうでないか。 あの時期に入社したばかりの新人には事故が起きて俺が植物人間になってしまったと伝え、家族にも同様の情報のみを送っている。
父親も母親も、叔父からも絶えず連絡はあったそうだ。 その際のやり取りは、正に怒涛と呼ぶに相違はなかったとのこと。
「私も現場に居た人間として説明の場に同席していたのですが、立花さんのご両親は泣かれていました。 こうなるのであればこちらに就職などさせなかったとも言われてしまいました」
「それは……すいません」
「いいえ、ご両親の言葉は正しいです。 危険があると事前に言ってはいても、実際にそうなれば誰だって責めずにはいられません。 あの方達の行動は正しい。 起訴に走らなかったのは奇跡に近いです」
ダンジョンで発生した事故であるが故、この二年は両親が見舞いに訪れることは出来なかった。
どんなに希望しても如何なる問題が発生するか不明の中で不用意に接触させることは出来ないと、老人が悪役を買って接近を封じた。
それでまた一悶着が起きたが、これにも真剣に付き合い続けたそうだ。
何度も何度も電話や対面で話し合いを継続して、今は俺が起きるのを待ちながらなんとか普段の生活を送れるようになっている。
家族が普段通りでいられているのは、まだ俺が死んではいないからだ。 本当に死んでしまえば、きっと正気ではいられなかった。 未来の俺がそうであったように。
「私達は立花さんのご家族を影ながら警護もしていました。 その中で、悲しみに暮れるあの人達を見て覚ったのです。 ――――私達は、何を置いても強くならなければならないんだと」
「榊原さん……?」
不意に、彼女の雰囲気が変わった。
冷えた空気が辺りに広がり始め、彼女の口が緩く弧を描く。 微笑んでいる筈の表情は、しかしその言葉とは反対の印象を覚えた。
「私達はてんで解っていませんでした。 敵とはなにか、ダンジョンとはなにか、知るとはなにか、その全てをまったくもって自覚していなかったんです。 だから……そうですね」
――目が覚めたような気分なんですよ。
微笑は真実、彼女が出せる心からの笑みなのだろう。
だけれども、その笑みは歪んでいる。 そしてこの笑みを浮かべる存在を俺は知っていた。
あれは狂気を是とした表情だ。 おかしくなることが必要だと受け入れてしまった人間の顔なのだと。




