冒険者77 前世の俺、来世の俺
その場はしんと静まり返った。
壁の軋み、虫の動く音、誰かが身動ぎする音もこの部屋ではよく聞こえてくる。
防音処理なんてミリも考えていない設計には笑ってしまいそうになるが、今はそれに苦笑を零すことも出来はしない。
異常なのだ。俺の周りから突然に音が消失するなど。
更に言えば頭の中で声が聞こえたのも普通ではない。姿を探して視線を右往左往するも、灰色になった空間に人間の姿は一人だって見つかりはしなかった。
心臓が嫌な音を立て始める。焦りはしないまでも、この不気味な状況には緊張感を覚えざるをえない。
一体、誰が語りかけてきているというのか。
『酷いな、一緒に育ってきた仲だろ?』
「誰だ」
『俺だよ、俺俺。 その体の持ち主さ』
声は気さくだった。気安く、軽く、まるで旧知の仲のように接してくる。
だが俺にはその声の持ち主に心当たりはない。またこの感じかと思うも、今回は相手側が俺と対話をする気のようだった。
特に直ぐに正体を教えてきたのには驚きだ。自身が何処の誰かを語るだなんて、その背後を疑わざるをえなくなる。
確か、皆が言っていたのはソアだった。翔の名前では呼ばれず、故に最初は反応に一拍遅れた。
あんまりに唐突だと無視したような形になってしまい、それでオッジに肩を叩かれたこともある。
この黄金国家で戦士団の訓練生をしていた彼は、突然別人に体を取り込まれてしまった。返せるものならさっさと返したい気持ちだが、現状ではそれは叶わない。
一体、どんな話をする気なのか。警戒心を強めると、途端に吹き出すような笑い声が響いた。
『ははははは控はははは、おいおいなんだよその警戒。 まさか俺が乗っ取られたと思って怒鳴りに来たとでも思っているのか?』
「普通はそうだろう。 いきなり体を奪われたんだ、俺だったら是が非でも取り戻しに動く」
『ははは、成程な。 確かにその通り。 見知らぬ奴に体を取られるなんてゾッとしない話だ。 ……でも今回は見知らぬ奴じゃないから良いだろ』
「俺は知らんが」
『もう解ってるだろ。 俺はあの黄金国家で戦士団に所属していた戦士、ソア・ファシー。 ――――お前にとっての前世だ』
頭の中の声は、酷く断じるような言葉で告げてくる。
ファンタジーな出来事はこれまでも数多く体験してきた。未来を見ることから始まり、ダンジョンでボスと戦い、果ては異世界の人間と会うことになった。
異世界人との出会いは常に意味深な形で終わり、俺に何らかの影響を与えてくる。
そんなことを望んでいないにも関わらず、まるで逃げられないのだと足を掴まれているかのようだった。
今回もきっとそうなのだろうと思ったが、この声の主は意味深なままにする気は無いみたいだ。
『お前は俺の言葉を信じない。 ナラに対してもそうだったんだ、生半可な証拠じゃその頑固な頭は現実を受け入れちゃくれないだろうよ』
「なら何を証拠にする?」
『全てだ。 お前が半死半生の今この瞬間に、俺が体験した限りの異世界ってのを見せてやる』
「……そうくるか」
証拠は必要だ。人は言葉だけで全てを納得することはできない。
提示されたものが真実を物語れば語るほど、突きつけられた側の逃げ道は潰されていく。
そして、最初からソアは俺に逃げ道を与えていなかった。一体どうやっているのか、擬似的に過去の出来事を体験させてきているのだ。
俺の手で現状を変えることは出来る。だが、それで変わっても過去が変わることはない。
言ってしまえば此処は仮想現実であり、今も感情豊かに接してくるオッジも本物ではないのだ。
それどころかあの人情味のあった教官でさえも作り物に過ぎず、本物は先の未来で今も生きているのだろう。
『この世界を生きていけば、どんなに筋道を変えても殆どの疑問が氷解する。 神の眼ってのがなんなのか、ナラやマリーザがどうしてお前に好意的だったのか、前世の俺がこうして意識を保ったまま出張ってこれたのは何故なのか――――そして、ダンジョンを作らなきゃならなかった相手の存在とは何か』
「それら全てが嘘であると断じるかもしれないぞ?」
『いいや、絶対にお前は否定しない。 否定すれば、お前は必ず後悔することになる。 ……俺が今、そうしているように』
最後の言葉は寂寥を覚えるほどに小さな声だった。
瞬間、灰色の世界に色が入る。物音の数々が蘇り、この部屋の真の状態を俺に伝えてきた。
瞼を閉じて横になる。色々思うところはあるも、二つほど確かな情報を手に入れることが出来た。
一つは現実の俺が半死半生であること。もう一つは、俺の意思で仮想現実は終了しないことだ。
俺の知る限り。即ち彼の人生をこれから体験していくことになる。
どうでもいい部分はいくらでも変えることが出来るが、恐らく重要な部分までは変えることはできない。
人生は無数の分岐の上にあるという。しかし今回、ソアが重要イベントに流れるように誘導したことで分岐要素は少なくなっている。
つまり、このまま戦士団に所属し続けるのはよろしくない。最後には変わらないかもしれないが、此処に居るだけでルートが勝手に固定される。
幸い、俺が辞めるのは簡単だ。
オッジとの関係が終わってしまうものの、ルートを不規則な流れに変えることが可能となる。
歪みがどんな形で襲いかかってくるか解らないが、だとしても変える努力をしていかなければソアの目論見通りで終わってしまう。
なら、やれることをやっていこう。俺はそのまま寝て、次の日から本で常識を吸収しながら戦士団の訓練にも教官に頼んで混じり始めた。
「――っふ、はぁ!」
木剣を使った素振り。
戦士団用の宿舎の周りをランニング。終われば立ち上がれなくなるまで次々と対戦相手を変えての模擬戦。
模擬戦時には武器は本物になり、使い手側に幾度も血を流させて死の予感を覚え込ませようとしていた。
オッジの話ではこの模擬戦で死人が出るのも珍しくないとのこと。どんな酷いトレーニングだと罵倒を吐きたくなったが、言えばきっと教官の性格からして特別メニューが降り注いでくるだろう。
「そこまで! 全員整列!!」
結局、この模擬戦でまともに立っていられたのは三百人中二百人前後。
残りは気絶しているか怪我で動けなくなっている者であり、そういった面々を見る教官の目は酷く冷たい。
きっと戦士団としての資格無しだと裁定を下しているのだろう。
見捨てられた彼等の末路は察するにあまりある。俺も最初はそうしようかと思ったが、弱く見られるのは個人的に嫌だったので他の方法を取ることにした。
「本日も立っていた者達は見事だった! 特にソア、君の動きは見違えるようだ」
「ありがとうございます」
「依然として記憶は喪失したままだが、再試験を受ければ間違いなく戦士団に戻ってこれるだろう。 いや、戻ってきた時点でお前はもう正式に戦士の一人として登録するのも不可能ではない。 絶対に合格するんだぞ」
「っは、解りました」
周りの目から羨望を受けつつ、内心で笑みを形作る。
記憶を失い、それでも参加しようとする。更に記憶を失った事実を足枷にせず、未来へ飛ぶ為の起爆剤として振る舞う。
俺には才能があると、周りはそう信じるだろう。その流れはやがて当たり前のものになっていき、試験当日を迎えても通過して当たり前だと思う筈だ。
少なくとも、付き合いがリセットされただけで関係の悪化はなるべく阻止している。蛮族めいた喧嘩を仕掛けてきた場合でも気絶に留め、周りからの好感度を稼ぐ。
持ち上げて、持ち上げて、過剰な程に持ち上げて――――――そこから下に落ちていけばどうなるだろうか。
答えはその日を迎えた時に解るだろう。その瞬間を楽しみに思い、俺は意識して爽やかな笑顔を振りまいた。




