第十八歩 神の眼
「ナラ様……?」
オッジ・ザークリフの疑問は当然だった。
この場に居ない者の名前を言っても、そんな人間は普通出てこない。
ザークリフ当人は当たり前だが一人で来ていると認識しており、まさかナラの姉が出て来る訳がないと確信していた。
今回の仕事は、エル=ラクムからの正式な命令だ。直接命じたのは彼が所属する騎士団とは別の組織を統括する貴族だが、話自体はマリーザが住まう宮殿内に広まっている。
彼女と会話をする機会はザークリフには無かった。その期間は長く、彼が戦士長の身分になってから一度も顔を合わせたことがない。
どうして会わなくなったのかなんて、彼としては理由は明らかだ。
ザークリフはナラを殺した。マリーザが望んでいなかったにも関わらずだ。全てを知ったのは事態が終わった後で、ザークリフは荒れに荒れた。
その果てに異動を命じられ、以後彼女とは公的な接触すらも拒絶されている。
彼の嘗ての地位には別の人間が据えられ、その人物はマリーザとよく会話をしているところを散見された。
もしかすれば二人はと周囲の人間に邪推をさせていたが、ザークリフは遠目で見るだけで彼女の態度に無数の嘘を発見している。
現に、ナラが死ぬ出来事の要因には一人の男が居た。その男を巡り、姉妹は対立することになってしまった。
最終的には事態は丸く収まる予定だったが、それは周囲の思惑によってご破算にされてしまっている。だから現在まで、姉妹の仲は極度に悪化していた。
姉側はまだ憎悪にまで至ってはいない。喧嘩をして正々堂々と勝負を付けたかったと後悔している。
だが、妹であるナラの放った憎悪は姉の比ではない。話し合いの余地など、少なくとも妹側には一切存在していなかった。
「どうしたんだい、オッジ。 あの人がダンジョンを作る上でなんの仕込みもしていないなんて有り得ないでしょ。 実際、僕の眼を通せばあの人がそこかしこに紛れ込ませた監視網を視認出来るよ」
「……では、今この瞬間も」
『――流石ですね、やはりその力は強力過ぎます』
唐突に第三者の声が入った。
ダンジョンの空高くから下に向かって発されているような声に、誰もが顔を上に向ける。
姿は無い。音を発する道具も見ている限りでは解らない。だが、ナラの黄金の眼には全てが見えていた。
『お久し振りですね、ナラ。 最後に会った時とは随分姿が変わったようで』
「姉様」
マリーザの声はどこか懐かしさを含んでいた。
争ったとはいえ、ナラは自分の妹。他に姉妹は居らず、結局男性は生まれなかった。
男性女性で王位継承に差がある訳ではないものの、それでも周囲は男の後継者が欲しかったことだろう。
二人は必然的に正当な王族たらんと必死に努力して、幼い時分では姉妹というよりは戦友のような間柄でもあった。
家族は大事だ。それが深い繋がりのある妹なら、もっと大事だ。
だからマリーザの声には優しさがある。先程のナラの様子を見た上で、それを受け入れる優しさが。
とある事件で悪かったのは誰でもない。誰もが加害者で、誰もが被害者だった。
視点一つ違うだけで、二人の仲を引き裂いた事件は万華鏡が如くに変化していただろう。
「呼んだ手前、来ないと思ってたよ。 だから伝言にしたのに」
『貴方に呼ばれて来ない道理はありません。 魔法の目と口を用いての遠隔になりますが、それでも貴方の為であれば時間はいくらでも作りましょう。 ……それが、家族としての私の向き合い方です』
「反吐が出るような言葉を有難う。 まぁけど、ソアのことをまた殺そうとしたよ。 そこの男は」
『ええ、よく見ていました。 ……オッジ』
「っは」
ザークリフの返事に迷いはない。
嘘も言い訳も無く、彼は跪いた姿勢のまま返事をする。
彼がマリーザに言葉を送られたのは久し振りだ。嘗ては仲の良い関係を築いていた両者だが、今正に彼女から発された声はあまりに冷え切っている。
『先ずは何故と聞きましょう。 判決はその後です』
「……彼が戦場に出たからです」
『彼の魂が誰であるかを知った上で、それでも貴方は貴方の流儀を通した。 そういうことですね?』
「その通りです。 後悔も悲哀もありますが、それでも私は私の信念を貫きました。 ――――これはソアとも約束したことです。 もしも敵対する時があれば、その時は容赦をしないと」
迷い無く断じる声にマリーザは即座に言葉を返さなかった。
今、ザークリフの命はマリーザの手の中だ。彼女が死ねと言えば死ぬことになり、生きて償えと言われれば何があっても生きていかなければならなくなる。
その胸中にどんな想いがあろうと、信念を掲げてその通りに彼は日々を過ごすだろう。
ナラの顔が歪む。翔の時とは異なり、ハイライトを喪失した瞳には殺意の炎が燃え盛っている。
信念を持つのは良い。それを貫きたいと思うのも自由だ。だが、許容するか否かは違う。
ナラは彼の信念を許容しない。自分どころか大事な人間まで殺してみせた信念を唾棄し、あってはならないと侮蔑する。
「如何に情報操作をされたとはいえ、君の所為で死んだ側からすれば大変不愉快な台詞だ。 よもや、それを聞いて無事で済むだなんて思ってはいないだろう?」
「無論です。 ……ですが、その身体は貴方のものではない」
「――へぇ。 じゃあやってみなよ」
戦意を放つ。
翔の意識があった時とは異なる重さが全員に圧し掛かり、榊原を含めた冒険者達は何度目かも解らぬ驚愕を抱く。
これまでも翔が戦う様は見て来た。不調な状態では万全に動けたとは言えないものの、それでも多数のモンスターを倒し切った様子を知っている。
しかしこれは、あの時点よりも強力だ。その戦意は通常の範囲を逸脱し、最早覇気とも呼べる域に到達している。
黄金の焔が立ち昇り、見ていた人間全てが圧倒された。自然と身体は彼の前で白旗を上げようとして、何とか意識的にそのままを維持させている。
覇気の全てはザークリフにのみ向けられていた。つまり榊原達は残滓を受けただけなのだが、それでも王者として立つナラに勝てるとは微塵も思えなくなっている。
異世界側には常に戦いの歴史があった。
日常的にモンスターと戦い、更には人間同士での殺し合いも起きている。
平和な日本人からすれば彼等の日々は信じられないもので、故にどうしても差が生まれてしまう。
これこそが日本人が強者になれない理由だ。戦いを知らない世代が圧倒的に増えてしまい、いざ戦う必要が出てきても逃げの一手を選んでしまう。
ちょっとした殺意や恨みに過敏に反応してしまい、怖れを抱いて怯んでしまうのだ。
それが一概に悪いとは言えないまでも、今此処で眼光鋭く見据えられないのであればザークリフにもナラにも及ばない。
「……今一度、失礼します」
両の拳をザークリフは構えた。
胸の高さで揃えた腕は片方を前に、もう片方を後ろに引いている。
腰を低く落として突撃体勢を取り、相手の動きに神経の全てを集中していた。
ナラは自身の足元に転がる血に塗れたナイフを拾い、何の躊躇も無しにゆっくりと前に歩き出す。
リラックスした姿は散歩をするが如し。歩調に乱れもなく、これから攻撃されるとも思っていないようだ。
――なのに、ザークリフは警戒心を高める。
接近すればする程に身構え、相手の次の動作を見極めようと視線は武器に注がれていた。
近付いて、近付いて、近付いて。
間近に迫ってなおも止まらず、武器を振るう気など無いのではないかとさえ思わせた。
刹那、彼は見た。ナラの黄金の眼が僅かに煌めくのを。
殆ど無意識に全力の拳を放ち、その瞬間を視認した人間は三人以外居ない。
明確に心臓を狙う一撃には殺意が込められ、一度は殺した存在をもう一度殺そうとしていた。
「……」
鮮血が両者の間に噴き上がる。最後まで榊原達は蚊帳の外で、二人は視線を交わし続けていた。




