第十七歩 残酷たれ、怨嗟の姫よ
この世の中は基本の法則に従っている。
異世界はさておき、地球では物は下に落ちるし突然手から火が出ることもない。
ただの石が黄金に変わることもなく、どちらかと言えば理不尽の方が当然の世の中だった。
故に人は奇跡を望んだし、救われる話を物語で求める。特に死んでしまった人と今一度出会う話は、大衆には非常にウケる。
恋に発展でもすれば最高だ。多くの人間が物語を前に涙を流し、世の中こうだったらと思うのである。
そして、人々が望んだファンタジーは今正に此処にあった。
人の想い描く奇跡はこのダンジョンには存在するし、ロマン溢れる刺激的な日常もこの場にはある。
現代人が喪失した熱い感情を今一度蘇らせ、未来では悲惨な社会を立て直すことに成功した。
なら、榊原が想像する奇跡も起こるだろう。それがどんな形になるにせよ。
「――お、おい」
最初に気付いたのは、激突間近の二人の様子を伺っていた冒険者の一人だった。
驚きを含んだ声と共に近くの仲間の肩を乱暴に叩き、直ぐに人差し指を先に向ける。
一体なんだと声が聞こえた仲間達も一斉に顔をそちらに向け、同様に驚きに目を見開いた。
彼等が見ていたのは血の池に倒れていた翔だ。死体となった彼は長時間放置すればダンジョンに吸収され、魔力となって階層の維持に使われる。
弔いたいのなら早い段階で回収せねばならず、かといって彼の近くに二人は居る状態だ。
仮に飛び出しても死ぬのは目に見えている。現状の正確な理解が進んでいない以上、迂闊な行動が下手を打つ結果に終わるのは明らかだった。
冒険者として活動する過程で非常識への理解度の速さは上がっている。翔の経歴が既に普通のものではないことは解っていて、榊原が激怒した段階でその正体についてもおおよそは予測がついていた。
もしも翔が彼等の思い描く人物であれば、現状は最悪も最悪。今後の未来も暗闇に閉ざされることになる。
だから悪いとは思いつつも、その当人とは別であってほしかった。どうか、それこそが真実であれと願ってもいた。
――――だから、翔が胴体に風穴を開けながらも起きていく光景に驚かされた。
彼の肌は急速に熱を取り戻していき、まるで時間が逆行したかの如く腹に開いた穴が塞がっていく。
肉が風船のように膨らんで繋がっていく。半分以上喪失した臓器も早回しで再生し、一体どういう原理か神経が伸びて元の通信網を再構築する。
肌の傷に一瞬だけ光が走り、直後全てが治った。
反面、彼の体外に出ていった筈の血液はそのまま。つまり圧倒的な血液不足の筈なのだが、そんなことは微塵も感じさせない滑らかな動作で起き上がる。
二本の足で確りと立つ様子は、少し前までの死体とは思えない。まるで漫画の中の出来事のように復活する様子に少々の恐怖すらも抱かされた。
そうして立った刹那、激突間近だった二人も翔の気配に顔を動かす。
片方は喜びに。もう片方は警戒に。
それぞれ表情を変え、一番に口を開けたのはザークリフだった。
「……超再生か。 まだそれを持ち得る程の実力者ではなかったと思ったが?」
「――舐めないでほしいな、オッジ。 ……いや、この場合は戦士長とでも呼ぶのが妥当かな?」
「……誰だ、お前は」
起き上がった翔には違和感があった。
瞳は黄金に染まり、その輝きには誰かの面影がある。口調も先程と異なり、何処か少年めいたものがあった。
一番おかしいのは、オッジの肩書を正確に知っていること。
唐突に言われた役職にオッジは拳を構え、榊原と戦っていた時よりもその目は鋭くなった。
そんな様子の彼に、翔はけらけらと笑う。口を歪め、目を細め、相手を馬鹿にするような態度にはやはり幼さが垣間見える。
「解らないかい? まぁ、僕が死んでそれなりに経った。 忘れてしまっても不思議ではないけれど。 ……ああ、言っておくけどソアではないよ。 あの人は今眠ってもらってるから」
「姫様からはその魂の持ち主について既に聞いている。 ソアではないとするなら、お前は一体誰だ」
「んー、そうだね。 あっちにも伝えてほしいから君にはメッセンジャーになってもらおうか」
靴の先で地面を叩き、肩を回しながら翔の姿をした誰かは――その瞬間に笑みを凶相に変えた。
膨れ上がるのは、先程までの翔が放っていたとは思えない程の憎悪。この世の底で何年も煮詰めたような深い怨嗟は、その場の人間全員に死を連想させた。
闇の中で黄金が輝いている。どこまでも彼等を見やるその目に、歓迎を意味する感情は全て含まれていない。
あるのは徹頭徹尾、恨みのみ。物理的に他者を押し潰してしまいかねない感情の奔流に、一番の敵が誰かをザークリフは理解した。
「姉様に伝えてくれ。 貴方の欲しがっていた人はもう僕のものだ。 諦めてさっさと別の男にいきなってね」
「――――まさかッ」
言葉に、ザークリフは目に見えて驚愕を顔に宿した。
同時、その姿勢が直ぐに崩れる。片膝をついて頭を垂れる姿勢は、さながら王族に跪く下僕のようだ。
周りは急な彼の変化に追い付けない。敵である筈の翔にどうして突然そんな真似をするのかと困惑しっぱなしだ。
「ナラ様。 まさか生きておられたのですか」
「死んでるよ。 ……いや、この場合は半分生きていると言うべきなのかな。 魂の半分は僕だから」
ナラは少し前まで翔の内部にしか存在していなかった。
何かを語りたくとも翔だけに見えるシステム画面で文字を表示するだけで、こうして意識自体を表に出すのは不可能に近かった。
この肉体の過剰な損傷、翔自身の意識の完全喪失。二つの偶然が発生したからこそ、現状の肉体制御権を手にすることが出来たのである。
しかし、この状況も長くは続かない。活動する為にナラは彼の損傷を治したが、それはつまり翔がまだ生きられることになる。
意識が浮上すれば自動的に肉体制御権は戻り、またナラは内側に押し込まれるだろう。
だが、この事実をナラ以外の誰も知らない。
榊原は彼女の発言から翔の話を思い出したが、それが肉体を支配するだなんてのは聞いていない。
つまり彼女は翔に全てを語らなかった。隠し事をしていて、ザークリフの態度を見るにどうやらかなり地位の高い存在なのだとも解る。
敵なのか味方なのかは不明であるも、一つ解るのは彼女に剣を向けられないことだ。もしも切り付ければ、それは翔の身体を傷付けることになってしまう。
ぐっと堪えた榊原に、ナラはにこやかな表情を作った。友好的にも見えるその表情は、先の恐ろしい顔を知ると途端に嘘臭く見える。
「やっ、初めまして。 一時的に身体を借りてるけど、ちゃんと返すから安心して。 僕も彼には死んでほしくないからさ」
「……それは、」
「あれ? 本当かって顔してるね。 大丈夫、大丈夫、なんならそこの筋肉達磨を殺したって別に構わないよ。 ……なにせ僕を直接的に殺したのはそいつだからね」
「……ッ!?」
思わず榊原の目はザークリフに向けられた。
異世界の幽霊。彼女は死に、そして何かしらの目的を持って翔の内部に憑依している体を取っている。
当然ながら霊となっている以上は死んでいて、彼女の口振りから若くして死んだのは間違いない。
それなら、寿命以外で死んだと考えるのが自然だ。そしてこの場合、多くが事故や病気を想像する。
ザークリフは榊原の視線から逃れるように顔を逸らした。その表情には後悔がありありと浮かんでいて、ナラの発言が真実であると肯定してしまっている。
ザークリフの顔を見て、ナラはまたもけらけらと笑い出す。どこまでも嘲笑に塗れた笑いは、聞いている人間に気持ちの悪さを抱かせた。
「なんでそんな顔をしてるのさー? あの時の君は義憤に燃えて、如何にも自分が正義です!って顔をしてたじゃないか。 僕が悪者だったんだろ? そうなんだろ? それならもっと前向きにいこうよ。 ピースピースだ」
「……ナラ様」
「ほらほら、笑顔でいこうよ。 ソアと僕と君の三人でさ。 ――あの時みたいに仲良くいこうぜ?」
ナラの言葉を聞けば聞く程、ザークリフの顔色は悪くなっていった。
そんな調子の彼にナラは気を良くして、おもむろにステータス画面を出現させる。
「お前も出てこいよ、マリーザ」
そして、別の誰かの名前を呼んだ。




