#39
“The Scar In Memories”
*
「――――――」
ハカナの目に映るのは、規則的に並べられた机と椅子。教壇と黒板。夕方、黄金色に染まり行く教室の中で、彼は自分の席に座っている。気づいた時には彼はそこにいた。
(――――また、 この夢だ)
横に見える窓から覗く、見覚えのある校庭と夕陽。認識出来るもの全部、どれもこれもが彼には慣れ親しんだものだ。だが……
(……違う)
いつも見る悪夢に、変化が訪れていた。
(違う……なんだこれ。なんだこれは)
その変化に動揺するハカナは、右に左に視線を動かす。目を逸らすように。歪められていない真実を認めないように。形にならない吐き気が彼を襲う。
だが、これは夢だ。見たくないものでも、目を背けたくなるようなものでも。認識してしまえば、意識してしまえば。嫌でもそれが何なのか理解をしてしまう。
彼のいる席。目の前。机の上。
……刻まれた、無数の自分のものでは無い傷跡。
続けて彼の頭の中に声が聞こえる。嘲笑。哄笑。邪険。悪意と思わぬ悪意。
確かにこれは彼の知る光景だった。被虐も暴力も彼には当たり前のものだった。そう、彼はその世界でもただの家畜だった。
しかし、それらはハカナがずっと目を逸らしてきたものだ。
彼がその真実を認めてしまったなら。
(きっと、僕は……)
――――この世界は、地獄だ。
ハカナにとって、世界の全てが地獄そのものだった。どこであろうとそれは変わらない。だから自身の心は、見ているようで見たくもない現実から目を逸らし続けていた。灰色に染った世界でも同じく。
『君のそれは、正しく狂気だ。何故、君はそう思えるんだい?』
……彼の耳に、声が届いた。ひどく、耳障りな声だ。耳を塞ごうにも夢の中ではやはり体は思うように動かない。直接、脳内に嘲笑混じりの声が響く。
『それこそが、答えじゃないかい?』
憐憫も悲哀もなく。ただ滔々と答えを知っているとばかり、当然だと言わんばかりに、悪夢はハカナに問いを囁き続ける。
そして最後に結論を突き付けるように、彼に向かってこう言った。
『――――喰いな、家畜野郎。喰われる前に、喰っちまえ』
やはり。これは、悪夢だ。
*
(…………最悪な、気分だ)
悪夢から覚醒した瞬間、ハカナが思ったのはそんなことだ。幽明の境を漂っていた意識が、未だに汚泥に飲まれたかのように不快感に苛まれている。
彼は悪夢を見た。あれは悪夢に、違いない。汚れた大海に溺れ、ただ、泥の中を藻掻き続けるだけの悪夢。もう、二度と見たくはない。
『――――お前には生きる意志があるか?』
この世界に迷い込んで、シンゴの最初の言葉がハカナの内に響く。
(あぁ、そうだ……)
この灰色の世界に来た時から、確かに彼には存在していた。初めからずっと、ハカナ自身の内から生まれた“それ”は、狂気に飲み込まれた今でも彼を駆り立て続けている。
仮令、苦痛に満ちていたとしても。
仮令、蹂躙され続けたとしても。
仮令、魂までもが冒されたとしても。
仮令、一縷の希望すら見えなかったとしても。
仮令、これが自ら生み出した歪みだったとしても。
彼の身体は、止まることを許されずに足掻く。
彼の精神は、潰され切れずに奮う。
彼の魂は、耐えられずも叫んだ。
(……これは僕の生きる意志だ。
僕はまだ……生きたいと、そう願っている)
あらゆる要素が詰んでいる。初めから手詰まりだ。ハカナに出来ることなど最初から何も無かった。
(だけれど)
震える指先はまだ動く。そんなものは関係ないと、彼の内にあるものは訴え続けていた。
彼の内にある『■■』は変わらず、ハカナを駆り立てる。その生きる意志は、絶えず彼の全てを動かしていた。今も、過去も変わらず。
そして、「■■」のままに、彼は自分の身を起こそうとして……異変に気付く。
(……身体の自由が効かない?)
それどころか直後、衝撃がハカナの顔を襲った。力任せに頭を揺らされている。その感覚で、誰かに胸ぐらを掴まれていることが彼には分かった。痛みに顔を顰め、ハカナは慌てて目を開いた。
「なっ!?」
そこには馬乗りになって、ハカナに向けて赤く染った拳を振り上げたセレンの姿があった。




