#33
“Children Of The Corn”
「……そろそろ、吐いたほうがいいんじゃねーの?」
ザンカの言葉にハカナの反応はない。ただ嗚咽だけが、彼の口から漏れ出ていた。ハカナの右腕は無残なまでにボロボロになっている。件の毒はまだしばらくは効いている筈だが、これ以上の行為は体より先に心が壊れてしまうだろう。
ここまでしても、ハカナが口を割ることはなかった。彼に言えるようなことなど、本当に何も無いのだから当然と言えば当然だが。焦りがザンカの胸を過ぎる。
「ハァ……。マズったかなァ。こりゃ、マジでハズレを引いちまったか……?」
どうしたものかと、ザンカが頭を掻いていると……
「ザンカ、まだ終わらないのッ!」
場違いな、童女の甲高い声が陰鬱とした部屋に響く。その声にザンカはぎょっとして入口へと振り返った。
「フルフエルのお嬢!? こっちに来るなって言っただろ!」
そこには、まだあどけなさが残る齢十ほどの童女が立っていた。
短く切られた金髪に、新緑のように鮮やかな緑色の瞳。ザンカたちの着ているものよりは はるかに古古しい白色の外套。その上から萌葱色の肩丈ケープを着こなし、多様な装飾品を身に付けている様はまるで神代の妖術師のようだ。
幼い姿とはいえ、その格好に相応しいほどの神秘性を纏う彼女は『マラコーダ』の神仔に相違ないだろう。
「……なんで隠すそうとするのよ?」
「いやー……。そりゃ、ねぇ?」
ザンカは童女――フルエフルの視線から目を逸らす。フルエフルのジト目に彼は参ったなと肩を竦めた。ザンカの消極的な様子にお構い無しに、彼女は部屋に踏み入る。天真爛漫に、彼女は人懐っこい笑顔でザンカに近寄ったが、彼は顔を引き攣らせてハカナを庇うように前に出た。
「……何よ? まだ何も吐いてないんでしょ? ザンカが駄目だったら私の出番! いつもそうしてるじゃない!」
「そりゃあ、そうだけどよ……。お嬢のアレはコイツにはキツすぎると言うか。止めてた方がイイんじゃないかなーというか」
ザンカに先程までの威勢はない。彼の煮え切らない態度が、逆にフルエフルに火を付けた。
「私の『神性』が信用出来ないって言うの!? ……いいから任せないよ!」
「あっ、ちょっと! 待てってッ!」
ザンカの制止も虚しく、フルエフルは倒れているハカナへと駆け寄った。
*
……意識が混濁している中、ハカナは目の端に映る先客が嗤っている気がした。
ザンカと彼以外にもう一人。この部屋には人“だった”ものがこの部屋には存在していたのだ。
先客は部屋の隅で壁に寄りかかり、だらしなく頭を垂れていた。服装は既に変色してボロボロに破れていて、原型も留めていない。死んでからどのくらい経っているのか見当も付かなかった。四肢には部屋の枝から伸びた蔓が絡みついている。
先客は白骨化していた。あたかも、この部屋に命を吸い上げられたかのように。ハカナは物言わぬ髑髏が嗤っていると幻覚した。
朦朧とする意識の中、ハカナの口に何か硬くて小さなものが放り込まれる。ゴクリと、ハカナは反射的にそれを飲み込んでしまった。滞りなく、それは彼の胃の中へ。
……そう言えば昨日は結局、あの携帯食糧も食べることが出来なかったなと、彼は他人事のように思った。
ハカナの虚ろな瞳に、フルエフルの姿が映る。ハカナからしたら奇異に映る姿をした彼女は、彼には妖精に見えた。その妖精が何事か繰り返し呟いている。
……れ、……えあれ、栄えあれ――――
その言葉の意味を理解する前に、ハカナの身体に異変が起きた。僅かな違和感から徐々に、徐々に。違和感は無視が出来ないものへと変質していく。
初めに抑えがたい吐き気がハカナを襲った。しかし、吐き出そうにも苦悶の吐息が漏れでるのみ。慢性的な嘔気が彼を苛む。
次に腹の内で何かが蠢く感覚。暴れ回り、所狭しと這いずり回る。何かが、居る。しかし、正体は見えるはずもない。不明の蹂躙が彼を蝕む。
――――熱い。熱い。熱い。
麻痺をしている右腕を除いた彼の全身に異物が這いずり回る感覚が巡っている。
早く終わってくれと彼が願っても、叶う事はない。死が真横に居る。その死は一定の距離を保ったまま近づいて来ない。逃げようにも空の嘔吐を繰り返そうとする体には力が入らない。藁にすがる事すら彼には許されなかった。
それは首筋に刃物を当てられた感覚に似ていた。例えば、気まぐれにそれが彼の身体を傷付けようものなら、すぐさまハカナは死ぬだろう。だが、いつまでも傷付けられる事はなかった。
体の養分が軒並み吸い取られているかのようで、彼の体はもう動きそうにない。まるで標本。
冒涜的な『恐怖』が、彼を弄び続ける。
いつまでも、いつまでも。
理解できぬまま。反抗も叶わぬまま。
ただただ、ハカナは正体不明の肥やしとしての役割を酷使され続けた。人の尊厳を台無しにするには十分過ぎる理不尽。自身を人ではないと思わせるには十分な行為。
……既に何時間が経っただろうか。数分も経ってないかもしれない。今のハカナには、一秒が三十秒。一分が三十分に感じている。いつまでも業苦は収まる様子がない。
――――気が、狂いそうだ。
そう彼が思った時。とうとう、その時は訪れた。
それは出口を見付けた。胃から食道、食道から口内へ。流れるように、這っていく。
生命の誕生。豊かなる恵み。口内から外へ、それは産声を上げた。
――――ハカナの口から這い出た、おぞましいほどに美しき大地の祝福。芽吹き、穂は流れ、実った。
……生命に満ちた『豊穣』の玉蜀黍。
ハカナは飲み込まれていく。暗い暗い闇の底。夢で見た、名も知らない彼女はハカナを見て笑っている。
『これであなたもこちら側』と。
そこでハカナは自身の内の何かが、プツリと切れる音を聞いた。




