#32
“Purity And Danger”
*
「う……ん……?」
ハカナが目を覚ますと、そこは暗い部屋だった。まず感じたのは森林を何十倍にも濃縮したような、濃厚な植物の臭い。再びハカナの意識が遠のきかけるが、何とか踏みとどまる。朦朧とした意識のまま、彼は体を起こした 。
「痛ッ。ここは…………?」
頬の痛みに顔をしかめながら、ハカナは辺りを見回す。
部屋というよりは、まるで木で出来た箱の中だ。入口の扉はあるものの、壁は剥き出しの木々。枝は伸びたまま、剪定もされていない。樹木がそのまま成長をしてこの部屋を形作っているかのようだ。
木々は半ば枯れかけているものの、苔がまばらに生していて、淡い金緑色の光を発し光源となっている。部屋の隅には壁から水が伝い、虹の色ではない普通の水溜まりが出来ていた。
「ハッ。ようやくお目覚めか? ここは、俺たち『マラコーダ』の家さ」
その声にハカナは身構える。部屋の影から鋭い三白眼の少年……ザンカが現れた。息を飲むハカナを見て、ザンカは目と口を歪ませる。
酷く癇に障る笑い方だと、ハカナは思った。どうやら部屋の中に居るのはザンカとハカナ、二人だけのようだ。
「知ってることをさっさとゲロっちまってたら、楽になったのになァ? ま、自業自得ってことでここは一つ」
「だから……僕は何も知らないって……!」
「……意外とお前も強情なヤツだなァ、オイ」
そう言いながらハカナの髪を掴み上げ、ザンカは呆れたように吐き捨てた。ハカナに抵抗する力などあるはずもなく、されるがままだ。
「ま、いいさ。どうせ時間はそれなりにある。お前が口を割らないってのなら……俺にも考えがあるぜェ?」
仕方ねえなァ、などと言いながらハカナを掴んでいた手を離し、ザンカは外套の中に手を入れ懐から何かを取り出した。先が鋭く尖った棒状の矢だ。その矢をザンカはペン回しの要領でくるりと回す。
「こいつは俺の武器に使ってる矢さ。ただし、特別製だ。こいつには、とある『毒』を塗ってある」
「ど……く……?」
ハカナに悪寒が駆け巡る。その反応にニヤリと笑うザンカの顔は何処までも底意地が悪い。
「ハッ。心配すんな。別に、死ぬような毒じゃない。死ぬような……なッ!」
ザンカは一切の躊躇なく、その矢をハカナの右腕に突き刺した。
「あああぁッ!!!」
鋭い痛みがハカナの腕を襲う。身をよじろうにも、彼の体は思うように動かない。
「あっあ…………あ……!」
ハカナの腕から血が流れ出て、部屋の樹木を濡らした。痛みと、熱い感覚が彼の脳に伝わる。そしてハカナは右腕を見た。突き刺された矢は抜けることなく、刺さったままだ。矢が腕から生えているような感覚が彼を襲う。
「――――――――――ッ!!」
ハカナの言葉にならない絶叫が部屋の中に響いた。
「ハッ。イイ声で鳴くじゃねーか。……痛みはもうないはずだ。こいつに塗られてるのはそういった種類の毒さ」
悶えながらもハカナは気付く。痛みは最初だけ、今は熱さはあれど、痛みは既に感じられない。それどころか……
「あぁ、もう感覚もなくなってるか」
塗られた毒は麻酔の一種なのだろうか。矢を刺されたハカナの右腕は感覚が全くなくなっていた。右腕ごと失ってしまったかと錯覚するほどに。ハカナがいくら動かそうとしても、目に見えている右腕はぴくりとも動かない。
「……でだ。こっからは、お前次第」
ザンカは靴の裏をハカナの右手の中指を押し当てる。そしてハカナの指を反対……手の甲側に逸らせた。
「な……なにを……?」
「なにを? 見りゃあ分かんだろ?」
ハカナの質問にザンカは嫌な笑いで答える。この先に起こることを想像して、ハカナの頭から血の気が引いた。
「お前らの神仔……ありゃあ、なんだ?」
「し……知らな……ああああああ!!!???」
ゴキリ、と鈍い音と感覚だけがハカナな脳に伝わる。見るまでもない。想像通りだ。ザンカに踏まれていた彼の中指が完全に反対側に、普通は曲がってはいけない方向へと曲がっていた。
それなのに痛みと呼べるものはない。ただ熱っぽい感覚だけが右腕にあった。だが、自分の体が無惨に蹂躙されていくという恐怖が、ハカナに声にならない悲鳴を上げさせる。
「ハッ。たかが、まだ一本じゃねーか。この毒を使ったのはお前がまた寝ちまわないように、ってワケさ」
「あ……あ…………」
ザンカの言葉がハカナには別の世界の言葉のように聞こえた。彼の言っている事が理解出来ない。何故、彼はこんな非道なことを行えるのだろうと虚ろな目でハカナはザンカを見ている。
「……次だ」
今度は薬指。足を掛けられたハカナはヒッと短い悲鳴を上げる。
「お前らが連れてる神仔が使った神性。なんだありゃあ? あれはヤバい。言え、お前らは一体……何を企んでいる?」
「だからッ……僕は何も知らないって……! あぁっ!!??」
「二本目」
ザンカは淡々とした作業のように、ハカナの体を壊し続けた。今は痛みこそはないが、毒が抜け切った時をハカナは想像する。その想像がハカナの『恐怖』を増幅させ続ける。そして、ザンカは他人事のように囁いた。
「さっさと吐けば楽になれるぜ。最初に言ったように命は保証してやるからよォ」
他はどうかるか知らねえがな、と呟いてザンカの冷たい瞳がハカナを捉える。その冷酷な目は、まるで人間を見るものではない。今、蹂躙している存在は人間ではない、それ以下の畜生であると彼の目は物語っていた。
その目をハカナは知っている。そしてザンカがハカナにとって、何であるかを彼は理解し、気付いてしまった。
「――――――」
「ん-? 聞こえねえな なんだァ?」
「――――お……前らは……人間じゃ、ない……」
『恐怖』に夢現になりながら、ハカナはせめてもの抵抗の言葉を口にする。それを聞いたザンカは「ハッ」と鼻で嗤らい、ただでさえ歪んだ口元を更に歪ませた。
「いいや、これこそが人間さ!
教えてやる。俺のコナトゥスは『汚穢』! 生きるってのは汚れることだ。こうやって罪穢れることこそが、俺の意志さ。だから、こうしてても――――」
ハカナの人差し指を、ザンカの靴裏が捉える。
「――――心が痛むことは、ない」
この少年は、屠殺者だ。
憐れみも、怒りも、哀しみも、ハカナに向けることは決してない。自身が穢れ、汚れることを厭わない。死の臭いを纏う執行人。
そして、そんな彼に蹂躙されているハカナは……
……死を待つだけの、ただの家畜だった。
ザンカが言い終わった直後、三本目のハカナの指がひしゃげ、砕けていった。




