#28
“Even Cold Water”
*
「……じゃあ、私は先に病院に戻るわ」
「うん。話を聞いてくれて、ありがとう」
「……それと、少ししたら私たちは出掛けるから」
「あぁ、それはさっきラタネから聞いたよ。どこに行くの?」
「……戦場」
「え……? それって、どういう……」
揺れる声とは裏腹にハカナの胸にはあぁ、やはりという気持ちが沸く。ラタネと話していた時からそんな予感はあった。ハカナの様子に何かしら思う所があったのか、レキナは一つ情報を付け加えた。
「……シンゴがこのままだと、今日の休戦期間に入れば死ぬのよ。タイムリミットって奴ね」
「……っ」
そこで彼は思い出す。確かに、シンゴは言っていた。
『神々は俺たちが戦わざるを得ない理由を用意した。一つは、寿命――――』
この世界にいる人間は、二十歳までしか生きることが出来ない。シンゴはそれに近い年齢だとハカナは思ってはいたが、まさか今日だとは。
「それと、戦うことと、何の関係が……?」
「マレブランケの一つが、そのルールを司っていて。そこの神仔を倒せばルールがなくなる、という話らしいわ」
「らしいって。一体、誰がそんなことを……」
「シンゴよ。元々、マレブランケの内で流れる噂程度のものだったみたいだけれど。シンゴはそれが間違ったものではないと断言した」
ハカナは絶句する。彼女たちはどうしてそんな確証もない情報で命のやり取りをしようとするのだろうか。彼には全く理解できなかった。
「だからって、戦い……殺し合いをするのは」
「……安心しなさい。あなたはここにいればいい」
「…………ッ」
「これは残念だったけれど。あなたはどうも、戦えそうもないしね。悪いとは言わない。仕方のないことだと思うわ」
心の裏にあるものを指摘されたような気がして、ハカナの目に動揺が走った。どこか他人事のように淡々と言う彼女に対して、彼の胸に焦燥感が募る。
「彼が死ねば、私たちも終わり。こればかりはどうしようもないわ。私たち、アウトサイダーはそんな危ういバランスの上に立っているもの。
彼以外が生き残ったとしても、その先がない。私たちが生きる為には、殺さなくちゃいけないのよ」
ハカナの体の内で、何かが這いずり回る。彼女の言っている言葉の意味は分かるが、脳が理解を拒む。拒もうとしてるのに、『恐怖』がその正体を否応がなしに囁く。ハカナは彼女らと自分の隔たりを自覚した。
(あぁ、そうか……)
それは人の殺生観だ。生きるために他者を殺す覚悟。この世界で生きる為の理。だが、仕方の無いことだと、彼には割り切ることが出来なかった。
こういう時、例えば物語の主人公であれば迷うことはないのだろう。自分の命が失われるかもしれないのだから。勇気を奮い立たせ、恐れを上塗りにして立ち上がるだろう。
だが、ハカナは普通の少年だった。そんな感情は湧き上がらない。それどころか理解した途端に、彼女たちが今までとは違った意味で恐ろしくなってきた。
「じゃ、またね。ハカナ」
レキナは彼の様子に気付かずに病院に戻っていっく。彼には返事が出来なかった。ハカナの体は震え、声も出せそうにない。
そうだとも。殺し合いをしているなら、彼女たちは人殺しでなければならない。助けて貰った恩義もあるのに。怪我を治して貰った借りもあるのに。さっきは彼女が普通の女の子だと思ったはずなのに。
ハカナは彼らが怖い。
震える彼だけが一人、取り残された。
(……僕は、どうしたらいいんだろう?)
彼はそんな疑問を考え続けているが、答えが出るはずもない。しばらくの間、呆然とハカナはその場に留まり続けた。どうしても病院に戻る気が起きない。答えの出ない思考が、時間だけを無為に浪費させていく。
そうして、どれだけの時間が過ぎただろうか。
「ん……?」
ふと、ハカナは遠くからこちらに向かってくる人影に気が付いた。アウトサイダーたちのいる病院にまで迷いなく一直線に向かってくるようだ。数は五人。
「あれは……?」
疑問が彼の口を衝いて出ているが、答えは決まってるようなものだ。
――――悪魔。この世界で殺し合いを行う者たち。つまり……敵ということになる。目に映る情報にハカナの思考が追いつく。
(戻って、シンゴたちに伝えなきゃ……!)
しかし、思いとは裏腹に体は動かない。足が地面に縫い付けられたかの如く、彼の身体はピクリともしない。そうこうしているうちに人影たちは病院に侵入していく。それでも……やはり、彼の体は動かない。
――――病院から発砲音が響いた。
「あ…………」
その音でようやくハカナは我を取り戻し、動くことが出来た。そして、走り出す。
彼らの居る病院とは真逆の方向に。
彼の心はとうに折れていた。折れた心をそのままに、辛うじて継ぎ接いでいただけだ。ひび割れたそれは何よりも脆く、軽く押しただけで再び崩れ去った。取り返しのつかないほどに。ただ『恐怖』がハカナの体の内を巡り、突き動かす。
つまるところ……ハカナは逃げ出したのだった。




