閑話 凌霄葉蓮は殊の外に 後編
「そこを退け!」
見覚えのある、あの頃よりも老け込んで見る影もない裏ぶれて荒んだ姿になった大柄な男の姿に、エオルは護衛に着けられたはずの騎士の存在も忘れて抜剣し、叫んだ。
とっさに巻き込まれぬよう、切り結んでいたカーティスが大きく後ろに飛んでエオルの剣戟を避ける。
成長途中の体の体格差を補うために回転し、宙を舞って切りつける。
剣舞の動きを取り入れたこの剣術は、ファリルアーナに教え込まれた。
リュフェスタの騎士学校でも誰も土をつけられなかった、エオルの強さそのものだ。
「思い上がるなよ、小僧が!」
「っやはり、そう上手くは行かないか」
打ち合った剣が振り抜かれ、力任せに吹き飛ばされる寸前に、エオルは相手の力を利用して後ろに飛び、回転して勢いを殺すと着地した。
その横顔を、汗がしたたり落ちていく。
突然転移させられ、放り出されて状況の変化についていけていなかったらしいジャマラーダが、剣戟の音に我に返り、背から抜き放った大剣に青白い炎を纏わせ、斬り込む。
それを受け止めたはずのガドルの大剣が、バターでも斬るかのようにあっさりと断ち切られ、その切っ先がガドルの首をかすめる。
「チッ」
大きく舌打ちして腰の短剣を抜こうとしたガドルの動きよりも早く、主の動きに意を汲んでとっさに膝をついたジャマラーダを飛び越え、再び飛び込んだエオルが刃に土の術式を展開し、その首をはねる。
斬り飛ばされた瞬間に展開された術式により、ガドルは絶命することなく、己の体が地に倒れ伏すのを見た。
「なんつーことを……」
まるで生きているかのように言葉を紡ぐガドルの首を、無造作にくくられた髪を掴んで拾い上げ、カーティスはうっすらと酷薄な笑みを浮かべた。
「我が君。これへの事情聴取は、私にお任せいただいてよろしいでしょうか」
「ああ。……許す。真相を、詳らかにせよ」
まとわりついた血を払い、地に倒れ伏したガドルの体を無感情な瞳で眺め、エオルは状況を把握するために歩き出した。
その歩みを止め、エオルは懐を探って血を固めたような深い赤色の結晶を探り当て、それをカーティスに投げた。
首を下げているのとは別の手でそれを受け止めたカーティスは、その結晶を眺め、問い掛けるように首を傾げた。
「その結晶を口に含ませておけば、術式は丸2日は保つ。その間に全ての裏取りを完了させよ。必要な人員は好きに手配して構わない」
エオルの中で何かが確実に変わったのを、カーティスもジャマラーダも、首だけとなったガドルでさえも感じ取った。
「承知いたしました。我が君」
深々と頭を垂れて礼を取るカーティスを一瞥することもなくその場を歩み去っていくエオルの姿に、カーティスは満足げな笑みを浮かべる。
「お前はろくでなしだが、ひとつだけ感謝してやってもいい。我が弟を、本物の王にしてくれたことだけは心から感謝してやる」
そう言って酷薄な笑みを浮かべたカーティスは、ガドルの口を有無も言わせずにこじ開けるとエオルに渡された結晶を押し込み、楽し気な笑みを浮かべた。
「さて、何から教えていただきましょうかね。楽しみです」
その瞳に浮かべられている狂気にも似た深い憎悪に、ガドルは初めて、その瞳に恐怖を浮かべた。
「報告を」
馴染んだ気配に浅い眠りから目覚めたエオルは、半身を起こして少しばかり気怠そうに呟く。
カーテンの隙間から射してくる日の光を見るに、既に太陽は中天を回っているようだ。
随分と寝過ごしてしまったようだと、エオルは見るともなしにカーティスを見る。
「此度の件、企ては鉄と火の国ラハディードのようです」
「あそこは、今は主に恵まれていなかったよね?」
雑談の延長のように軽い調子で問うエオルに、カーティスもまた、持ってきたお茶を勧めながら天気の様子でも伝えるように軽い調子で答える。
「そうですね。そろそろ保ちそうにありませんね」
「なるほど。後継は?」
「武も智も兼ね備えた正妃の子息が、リュフェスタとの国境争いに送られていたかと」
エオルの問いに打てば響くように返ってくるカーティスの言葉に、エオルはふむ、と考え込んだ。
常々思っていたが、ずっとエオルの傍らにいるとは思えない調査能力に舌を巻く。
情報とは、諜報とは取捨選択だと以前にカーティスが言っていたことを思い出す。
誰に調査させるかも大切だが、どの情報を有用と見なし、何を調査すべきと判断するかによって情報は生きも死にもするという言葉に、ようやく少しだけ納得がいったような気がした。
「その人物は、父王から疎まれているのだろうか、それとも重く用いられているのだろうか」
「この場合は疎まれているようです」
カーティスの返答に、エオルはようやくカーティスが何をしようとしているかが見えた気がした。
「その領土争いだが、3年ほど前にラハディード側からの一方的な盟約の破棄と、屁理屈にも劣るような言いがかりによる領土侵犯に端を発した小競り合いの後、にらみ合ったまま膠着状態に陥っていたはずだ。リュフェスタへの打診は、私の方からソスラン殿下へと書状をしたためよう」
記憶を確かめるようにざっくりと経緯を整理したエオルに、カーティスが黙って頷く。
最近分かってきたことだが、こういう場合はカーティスの持っている知識と齟齬がなく、内容に補足もいらない及第点の回答らしい。
表情や仕草に出さないように気を付けながら、内心エオルは及第点が取れたことにホッと息を吐く。
「その王子は、こちらの提案に乗るだろうか」
エオルの呟きに、カーティスは自信を滲ませた笑みで応じる。
「まず間違いないかと。元々その聡明さと人望を疎まれて排斥され、臣籍に下ったものの正妃である母君を弑され婚約者を取り上げられており、現王と側妃の浪費と無意味な出兵により国庫は火の車で、民衆による蜂起が早いか、その子息による簒奪が早いか、という状況のようですよ。我が国の口利きがあれば国境から兵を引くことができ、膠着状態となっている現状を打破する一助となりましょう」
「……それは、支援しない手はないですね」
ニヤリと、エオルとカーティスは笑みを交わして次の一手を心に描く。
「現王の身柄は、こちらにいただければ最高ですけれど」
カーティスの言葉に、真っ暗な穴蔵の中で見た物言わぬ躯を思う。
開かれたままの目の、口の、その虚ろを忘れることができない。
エオルの魂に刻み付けられたあの凄惨な戦いの記憶に比べたら、それは確かに根源的にエオルを打ちのめすだけの強烈さを持たない記憶なのかもしれない。
それでも。
あの命は、エオルが救えなかった命なのだ。
エオルが救うべき、救えなかった命。
その重みに、心がきしむ。
国を愛し、民を愛し、その思いを胸に可能な限りの速さで、可能な限り最小限の犠牲で勝ち取ったはずの勝利だ。
「余罪の追及については、兄上に一任します」
エオルは、湯気の上がるカップを両手で包み込んで冷えてしまった指先を温めながら、苦い思いを飲み下して微笑む。
「昨日から何も食べていないでしょう? 少しぐらいは食べたほうが良いと思い、用意してもらいました」
お茶と一緒に載せられている野菜のスープと、パンと、サラダと。
見事なまでに肉が抜いてあるメニューに、エオルの口元に苦笑が浮かぶ。
自覚がないだけで、そんなに分かりやすかっただろうかと自問自答する。
こんなメニューが出される時点で、少なくともカーティスには筒抜けだったのだろう。
エオルは促されるままに鮮やかなオレンジ色に赤が映える花が散らされたサラダを、口に含む。
ツンと鼻を通る辛味に、思わずじっと見つめ、笑みを浮かべた。
花だけでなく、見覚えのある白い葉脈が特徴的な蓮の葉のような葉を見つけて思わず笑いが零れた。
この国の長として、掴み取った勝利の、これがその味かとエオルは思った。
それは、本当に殊の外に。
「ナスタチウムか。やっぱりこのサラダ、辛いや」
そう呟きながらしっかりとその味を噛み締めるように味わうエオルの頬を一筋の涙が伝うのを、カーティスは黙って見ないふりをして、その場を立ち去った。




