閑話 凌霄葉蓮は殊の外に 中編
「報告書は読みました」
書籍や書類を広げて作業や協議がしやすいように置かれている、一枚板の簡素なテーブルの上に地図を広げ、顎のあたりに手をやりながら何ごとかを考え込んでいたカーティスが、エオルの言葉に顔を上げる。
「奴らの拠点は、この辺りと踏んでいます」
今回の作戦のために複製された比較的詳細な最新地図の上に、ペンで丸をつけたカーティスの手元を、エオルも見つめる。
「確かその辺りは荒野でしたね」
「はい。荒野ではありますが、若干の起伏があり、まばらな草や入り口が目立ちにくい洞窟が複数あり、潜伏には向いた地形なのです」
「なるほど」
「その上厄介なことに、その洞窟の中には古くから住居または物資の保管倉庫として使われてきたものがあるらしく、地下に回廊が掘り巡らされているものもあるようです」
カーティスの言葉に、イレーネの非難を受けるほどにカーティスが事態の深刻さを把握しながら手を出しあぐねていた理由を見出してエオルは腕を組んで考え込んだまま、ちらりとカーティスの顔を伺う。
「確かにそれは厄介ですが、私たちが力を合わせて事にあたればそう難しいことではないように思うのですが」
「そうですね。仮に奴らの中に術者がいないとなれば、我らの勝利は確実でしょう。ですが、失敗が許されない以上、万全を期すために潜入して内部構造、集団の構成、目的、囚われた者たちの行方等々、調査に少々手間取りました」
万時慎重なカーティスらしい物言いに、エオルも特に異論を差し挟むことなく頷く。
いつだってカーティスが漏れのないように緻密な調査、準備、計画を立てるからこそ、圧倒的に経験が足りないエオルが曲がりなりにも王としてこの国を統率している体裁が整えられている。
エオルはそのことを、よく知っていた。
「既に取引された者たちの行方も把握済みですので、そちらについても確実に事後処理の対象とする予定です」
カーティスの言葉に、エオルはただ黙って頷いた。
全ての悲劇を防ぎきることなど不可能だし、悪事を根絶することも不可能だ。
「全ての者が前向きに、希望を抱ける国など幻なのだろうか」
ポツリと呟いたエオルの言葉に、カーティスはただ言葉もなく頭を垂れるのみだった。
理想と現実はいつだって程遠い。
奪われ、傷つけられるのはいつだって力ない者たちだ。
それでも、理想は追わなければひと欠片だって叶わないのだ。
手から零れ落ちるものを嘆くだけでは、全て零れ落ちて何も残らなくなってしまう。
だから決して、嘆いて終わりにだけはしない。
可能な限り沢山のものをこの手の中に残せるように、必死に駆け回り、足掻いて掴み取る。
「それでも、私は諦めたくない」
グッとこぶしを握ったエオルに、カーティスがうっすらと笑みを浮かべる。
その笑みを瞬時に怜悧な表情に切り替えて、エオルをじっと見据える。
「紛れ込んだ術式により、こちらが奴らの動きに注視していること、そして術式を放ったことを把握していることは既に割れています。よって、事は一刻を争います」
「承知しています」
エオルの言葉にひとつ頷いて、カーティスはスッと地図を指し示す。
「では、作戦の詳細について説明させていただきます」
「これは殲滅戦です。ユラン隊とヴィーゼル隊は私の指揮の下で偵察先行、ペシュテ隊とデルピス隊は敵の逃亡を阻止すべく周辺の警戒と遊撃を、ジャマラーダは私の合図を待ち、陛下と本体への斬り込みを行ってください。シファとクーレは後方で要救護者または救出対象の治療のため待機、彼らの守護にはホーシャ隊が当たってください」
「「「「はっ!」」」
ひそめられた声も、それが数十人を数えるものとなればそれなりの音量になる。
緊急時のため正式な敬礼を免除された銘々が、全身に熱気をみなぎらせて見つめる先に自分自身がいることに、エオルは自身の双肩に乗る責任の重みを、改めて感じていた。
これに揺らぐことなく、崇拝にも近い信頼を背負って戦い続けた父王の姿を、長兄の姿を、そしてソスランの姿を思い出す。
「総員、散開せよ!」
「「「「「応!」」」」
声を張ってひとこと告げたエオルに応え、あっという間に皆が散っていく。
ちらりと視線を投げたカーティスの顔に浮かんだ笑みに、まずは及第点かと内心、エオルは息を吐いた。
急襲を避けるために不可視の結界を張り巡らせた幕舎で、テキパキと救護受け入れに備えて浄化と癒しの術を扱える2人の指示に従って動き続ける兵の動きを見遣った後、エオルは眼下に広がる荒野を見渡した。
その首筋を、汗が伝っていく。
思うのは、これから討つ相手のこと。
組織立った計画、行動、実行力。
そのどれを取っても、今この時にこの規模の犯罪を組織できるのは相当な手練れで実力経験併せ持つ人物だ。
それは、身内である父王が纏め上げていた傭兵団に離反者が出たということに他ならなかった。
カーティスは文官としての功績が注目されがちで、明らかに武勇に優れ、軍事を司っていた長兄のリオネルに比べると実績がなく、術師としての実力も注目されてこなかった。
エオルに至っては、何の実力も経験もないただの子供でしかない。
戦後の窮乏した状態で、ここまで大きな波乱もなく行政運営を維持し続けられたことが、カーティスの緻密さが生み出した奇跡のようなバランスによって成し遂げられたことで。
本来であれば、荒くれ者の多い組織であり、国だったのだから、武力が崩壊した時点で抑えが利かなくなっても不思議ではなかったのだから。
だから、最初からカーティスの目を搔い潜るつもりで成された離反に、カーティスの敷いた精緻な監視網だからこそ感知したようなものなのだから。
だから、だから。
仕方がなかったで、済ませられれば良かったのに。
窮乏した人間を、多少の報酬と引き換えに他国へと渡らせているのであれば良かったのに。
荒れ果ててしまったこの国に見切りをつけた人々を、新天地へと送る手助けをしているのであれば、何の問題もなかった。
この地で、必死に生きようとしている人を、庇護すべき人民を私利私欲で物のように売買しているというのなら。
エオルは、かつて自分自身が突き落とされた悪意の坩堝を、拭い去り難い苦痛と屈辱を思い出す。
あんなものは、あってはならない。
何者も、他者の尊厳を踏みにじることはあってはならないのだ。
「……ガドル。なぜお前は」
かつて父王の傍らにいた、大柄な気の良い男のことを、思う。
何度も遊んでもらった、元々は山賊上がりだという男は、こんな風に他者を扱うような非道な人物に見えなかった。
彼に何が起きてこうなったのか、今のエオルにそれを知る術はない。
たったひとつ確実なことは、こうなっては、結末を変えることができないということ。
「どんな理由があるとしても、私は王として彼の者を裁かなければならいということだ」
法を犯し、臣民を損なった者を、エオルは見逃すことなどできない。
例え最愛の家族であっても、それは変わってはならないことだから。
「陛下、合図です」
打ち上げられた氷の塊が細かな粒子になってキラキラと輝くのを、見る。
こんな状況でなければ、それは美しくも儚い幻想的な光景で。
エオルはその儚い輝きを目に焼き付けるかのようにじっと見つめ、祈りを捧げるかのように頭を垂れ、一瞬の後に感傷を振り払うかのように前を見据えた。
「跳ぶぞ。私に捕まれ」
「えっ…うわっ!」
あらかじめカーティスに渡してあった目印となる火種に、エオルの編んだ術式を繋いで戸惑うジャマラーダを掴んで転移する。
エオルは過去の幻影を斬り伏せるために、腰に帯びた剣の柄を強く握りしめた。




