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願いの行方  作者: 泣き癖


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2/4

母の異変

 七夕の翌朝から、打って変わって母は穏やかになった。ずっと不安を口にし、夜には事あるごとに涙を流していた母の笑顔を久しぶりに見た。

 姉の病室でも、楽しそうに笑いかけて話す様子に、姉と二人して怪訝な表情で、お互いの顔を見合わせていた。

 よくもまあ、お参りひとつでこれ程までに変われるものだなと感心する。ここまで効果があるのなら、何かを信仰するというのも悪くは無いのかもしれない、と思っていた。

 明らかにおかしいと気付くまでは。

 母の異常に気付いたのは、七夕祭りから数日が経った日のことだった。

 

 灯の容体が急変した。

 病室へ駆け込むと、灯は酸素マスクをつけられ、点滴の管が繋がれていた。目は閉じたまま、胸だけが浅く上下している。

「昨夜から熱が下がらなくて」

 佳代は濡らしたタオルを絞り、灯の額へ載せる。

「先生は?」

「さっき来てくださったわ。薬を変えて、しばらく様子を見るって」

「それだけ?」

「今できることはしてくださってるから」

 凪は母の顔を見た。その表情も声も、終始穏やかだった。

 今までなら、医師の説明を何度も聞き直し、他に治療はないのかと食い下がっていた。わずかな数値の変化にも怯え、灯の手を握りながら、お願いだから治ってと繰り返していた。

 今はただ、汗で張りついた灯の髪を丁寧に撫でている。

「お母さん、平気なの」

「何が?」

「お姉ちゃん、悪くなってるんだよ?」

「分かってるわ」

「先生、何て言ったの」

 佳代の手が止まった。

「このまま熱が続けば、体力がもたないかもしれないって」

「それだけ?」

「それだけって?」

「何とかしてくれって言わなかったの」

「先生たちも一生懸命やってくださってるもの」

「この前まで、他の病院にも聞くって言ってたじゃん」

「あの時はそう思っていたわ」

 佳代は困ったように笑い、灯の頬を柔らかく拭った。

「今はただ、そばにいてあげたいの」

「治ってほしくないの?」

 佳代はしばらく黙り、眠る灯を見つめた。その目には確かに愛情があった。苦しそうな呼吸に合わせて眉を寄せ、ずれた布団を直してやる。

 けれど、凪の欲しい言葉は出てこなかった。

「灯が苦しくないようにしてあげたいわ」

「違う」

「何が違うの?」

「治ってほしいか聞いてるの」

 佳代は責められた理由が分からないように首を傾げた。

「この子がどんな状態でも、お母さんはずっと大切よ」

「そういう話じゃない」

「落ち着いて。灯が起きちゃうでしょう」

 その言い方まで、いつもの母だった。だが、今までとの明確な変化に、母が異常であると確信する。

 


 その不快感に耐えかね、凪は病室を飛び出した。病院の待合所のベンチに座り、スマートフォンを取り出す。検索欄へ母の症状らしきものを打ち込み、検索しては消した。だが、それらしい病気は何も見つからない。そもそも母は至って元気だ。病気とも、疲労とも思えなかった。

 凪は暫くの間、ベンチの上で膝を抱え込み、額を膝に当てたまま動かなかった。

 母が変わったのは、いつからだ。

 七夕祭りの時、母は神社へ行き、願い札を書いて御神木へ結んだと聞いた。帰ってきた時には、久しぶりによく眠れそうだと笑っていた。その翌日から、急に明るくなった。

「凪!どこに行ったのかと思って探したじゃない」

 少しだけ顔を上げて見ると、心配そうな表情をした佳代がいる。

「凪、お家に帰りましょう。お昼は何か食べる?」

 そう言う佳代の様子は、やはり普段と変わらない。凪は何事も無かったかのように立ち上がり、佳代に付いて歩く。

「いらない」

「そう。無理しないでね」

 凪は自分の心臓の鼓動を感じる程緊張し、声が震えているのを感じた。

「この前、神社で何したの」

「あれ、話さなかった?お願いしてきたのよ、灯の病気が治りますようにって」

「覚えてるんだ」

「もちろん」

「今もそう思ってる?」

 佳代は答えず、凪の頬に触れた。

「行ってよかったわ」

「何で?」

「あそこへ行ったら、気持ちがすっと軽くなったの。神様が受け止めてくださったのね」

「何も変わってない」

「ええ」

 佳代は微笑んだ。

「でも、ありがたいでしょう?」

 凪は反射的に一歩下がった。

 佳代は不思議そうな顔をしたあと、また前へ向き直った。冷たくなったわけではない。現に病室では、灯の手を両手で包み、爪の色を確かめ、額の濡れタオルの温度を見ては取り替えていた。

「帰り、スーパーに寄って良い?起きたら桃を食べさせてあげようと思って。灯、昔から桃が好きだったでしょう?」

「そうだね」

 灯の昔のことも、どれも覚えている。何も忘れていない。それなのに、灯が明日も生きていることを求めていないように見える。

 病院からの帰り道、佳代は静かに呟いた。

「天ノ杜様には、本当に感謝しないとね」

 母は、昔から天ノ杜神社にここまで心酔していただろうか?

 確かめるしかない。

 凪はポケットの中で、スマートフォンを握りしめた。

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