003 私が言った些細な事まで覚えていてくれる師匠最高過ぎて今すぐ嫁になりたい
「イケメンの匂いがする」
自分でも何を言っているんだと思う。けれども寝ぼけた頭に届いたのはさっぱりとしたイケメンの匂いだった。しかもそれはそこらかしこからする。
見渡したところで自分の部屋ではないところに寝ている状況に混乱する。けれどもこの匂いと同時に記憶が蘇ってくる。
「そっか。私召喚されたんだ」
全くと言っていいほど現状に気落ちはしていないが、しいて言うならば、昨日寝落ちた時に師匠の麗しい匂いを直で嗅げなかった事と私をここまで運んでくれた師匠の温もりを全く思い出せない事に心底時間を戻してほしいと思う。
師匠の服も一晩経ったはずなのに師匠の匂いは消えない。袖を匂えば幸せの匂いが漂ってくる。この師匠に対する気持ちが召喚の際に自動的に出される契約とでも言うのだろうか。召喚主に逆らわないようになされる契約。本当にこれが契約というのならば何と恐ろしい事だ。私のこの師匠に対する大きな愛も全て契約のうちだというのだろうか。たとえこの愛が契約だろうと私の心からのものだろうと関係無い。私はこの先この気持ちを抱えて一生生きていくのだ。これが契約というのならばずっと一緒師匠のそばにいれば良い。そうすればこの気持ちが消える事もない。
「幸せすぎる」
私の中では今までにないイケメンとともに過ごす未来がもう浮かんでしまった。そして眉間にシワを寄せて嫌そうな顔をする師匠の姿も想像できてしまって楽しくなる。
昨日用意してもらった私の部屋。あいも変わらず何もない。昨日まで誰も住んでいなかったのだから当然だ。短時間の滞在ならば家具を買っても仕方がないが、これからずっと師匠と一緒にいられるのならこの部屋を自分のものにしてもよいだろう。可愛いお洋服だって揃えたいし、雑貨も買いたい。この時ばかりは師匠の金銭感覚が狂っていて良かったと思う。
そう言えば空腹だ。晩酌を作って食べる前にこの世界に来たから空腹なのも仕方がないだろう。そう言えば冷蔵庫の中には食材があるのだろうか。師匠は料理をしないと言っていたし、料理をする為の食材は無いだろう。そうなれば食材も調達する必要がある。きっと調味料だってないだろう。
ベッドから立ち上がろうとして体からずり落ちたものに気づく。
「っ! こ、これはっ」
師匠の、毛布っ!?もしかしなくともこれは師匠が毎晩使って眠っていた毛布ではないだろうか。師匠の愛しい匂いが染み込んだ毛布だ。師匠は毛布がない私に優しさでかけてくれたのかもしれないがこれはもう返さない。私の部屋にあるのだから私のものだ。
それも綺麗に畳んでベッドの上に置く。先ほどまで師匠が用意してくれたという点で光っていたこの部屋だけれど、毛布を置いた瞬間から神々しくて布団を見れないほど眩しくなった。
ベッドサイドに置かれていた椅子には昨夜まで私が着ていた洋服が畳んで置かれていた。なんて律儀な師匠なんだ。というより私は師匠に寝顔を見られてしまったのか。乙女の恥だ。立ち直れない。薬代わりに師匠の顔を拝もう。服を着替えて、先ほどまで着ていた師匠の服は今までにないほど綺麗にたたむ。
階段降りてリビングルームへ向かえば師匠が座って本を読んでいた。
「おはようございます、師匠。今日も麗しいです」
「……やはり頭はおかしいままだったか」
「ものすっごく正常です」
良かった。昨日の事には触れられなかった。鼻血吹いて倒れたなんて格好悪すぎる。いや、吹いていないけど。内心吹いていただけだ。
これでコーヒーでも飲んでいたのならば、眩しすぎただろうと思うけれど、昨日飲んだコーヒーの味を思い出せば複雑な気持ちになる。
「ししょー、コーヒー淹れましょうか?」
「……あぁ、頼む」
まるで夫婦の朝の会話の様で毎日でも淹れてあげたくなる。棚を勝手に漁ればすぐに見つかった。この家のコーヒーはインスタントで湯さえ入れればコーヒーになる。
「……」
たったそれだけの工程でどうやったら昨日のような味になるのか不思議で仕方がない。カップに入れ差し出せば、迷う事なくカップを手に取りコーヒーを口に含む。格好良い。
「……うまい」
粉を湯に溶かしただけでそんなに驚かないでほしい。思わず遠い目になっしまった私は悪くない。
「あ、そだ」
再び本に視線を戻していた師匠はもう一度私の方を向いてくれる。
「どうした」
「今日お店の事教えてくれるって言ってたんですけど、先に買い物に行ってきていいですか?」
「買い物?」
「ほら私、この世界に来てまだ何もないじゃないですか。せめて下着の買い替えを欲しいなと」
「……それはそうだな」
師匠にとっては獣型が来ると思っていたのだから準備ができていなくても仕方がないし、何より女性の下着など買い揃えられるものでもないだろう。
「それに」
「それに?」
「冷蔵庫も食料棚もすっからかんです。私実はちょっとお腹減ってるんです」
そこで私のお腹はタイミング良く鳴った。
「……それは済まなかった」
師匠はパタンと本を閉じ立ち上がる。彼自身もこの家に食材がない事は十分理解しているはずだ。
「行くぞ」
「え? だ、大丈夫です! ししょーの手を煩わせるまでもありません!」
私一人で買い物に行こうと思っていたのに師匠についてきてもらうのは申し訳なさすぎる。ただでさえ面倒くさがりで、家を出るの面倒くさがって私を召喚したぐらいなのだから、わざわざ外に出てもらうなど本末転倒だ。
「構わん」
「で、でも……」
男性である師匠に女性の下着屋に付き合わせるなど、どんな嫌がらせだ。お互い何も得しない。
まだ渋る私に師匠が言葉を続けた。
「お前、店の場所分かるのか?」
「……案内をお願いします」
それもそうだ。勢いで出かける気満々だったがそもそも私はこの街を知らない。素直に頼めば師匠からはニヤリという悪戯な笑みが帰ってきた。
イケメンか。
「まぁ、荷物持ちとでも思っておけ」
「つまりこれはデートですね」
「何故そうなる。買い出しだ」
「それではデートに行きましょう!」
「買い出しだ」
なんだかんだ文句を言いながらも玄関まで向かう足を止めない所好きですっ!
一階には玄関が2つある。1つ目は今いる住居スペースに上がる為の階段が設置されている玄関。そしてもう一つは
「ほわぁっ! 素敵素敵っ!」
『魔道具店マリー』の入口だ。住居スペースの方の玄関から外に出て後ろを振り返れば可愛らしいお店が目に入る。これを彼が経営しているのかと思えばあまりにも可愛らしすぎるが雰囲気がとても良い。花に囲まれて、まるで隠れ家とでも言うようにおしゃれ。私はこんな素敵なところで働けるのかと楽しみになる。その為には一刻も早く商品である魔道具というものを覚えなければ。一体それがどういうものなのか私にはまだわからない。けれど師匠から手取り足取り教えてもらえるのは楽しみだ。
「おい、ニヤニヤしてねぇで行くぞ」
「はいししょー!」
今すぐ師匠のその左手に腕を絡ませたいけれど我慢我慢。理性を総動員させる。この時に間違っても師匠の前を歩くなどと言う愚行は起こさない。もし前を歩こうものならば街を歩く美術品である師匠の姿を見る事ができない。
「視線が煩い」
「私の愛の視線を受け取ってくれたんですね!」
「安心しろ。今すぐ返品してやる」
「大丈夫です! 私の愛は粘着性があるのでそう簡単に外せません」
「ならその辺の店で『粘着もぎ取りスプレー』でも買っていくか」
「何ですかその物騒な商品」
愛を受け取ってもらうにはもう少し時間が必要なようだ。
「俺の前を歩け」
「街が分からない私が前を歩いても目的地に辿り着けません」
「……なら横を歩け」
「横……っ! つまりは夫婦として隣を歩け、という事でしょうか?!」
「違う」
結局の所、私は最初と同じように彼の後ろを歩く事にした。結果的に良かったかもしれない。私は前の世界では「方向音痴」というものが当てはまるようだ。見知った道であるにも関わらず、油断をすれば全く知らないところに出てしまう。
道に迷って師匠に迷惑なんてかけられない。
師匠は迷う事なく道を歩んでいく。時々周りの人から凝視されているけれど、その視線はイケメンに対するものでもあり、「食事でもないのに出歩いている」という驚きに対するものだった。その人たちの反応からいかに師匠が普段から外に出ないかを痛感させられた。
「師匠はこの辺りの道に詳しいですね」
「長年住んでいるし、外食のたびに出かけるからな」
逆に外食の為にしか出ないと言っているようなものだ。
「ほら、ここだ」
師匠の声に師匠を見つめていた意識を師匠へと向ける。そこでようやくお店にたどり着いていた事に気がついた。
「ここは服屋さんですか?」
「あぁ。女物のな」
家から一番近かったそのお店はまさしく女性専用とでも言うように可愛らしい見た目だった。
「すぐに買ってきますっ!」
師匠は朝私が言っていた下着の替えが欲しいというのを覚えていたのだろう。小さな事まで覚えていてくれる師匠に改めて尊敬の念を送りながら店へと足を運んだ。
中には沢山の女性客がおり店員さんも接客をしていた。下着はすぐに見つかり自身に合うサイズと可愛らしい見た目のものをいくつか手に取り籠に入れる。
師匠を持たせてはいけないと籠を握り直しレジの方へと駆け出すが、ここは服屋。いやでも可愛らしい洋服が沢山目に入ってくる。
「……一着くらいは着替えが欲しいかもしれない」
私は今着ている服しか服を持っていないのだから1着くらいは着替えを買っても良い。自分自身にそう言い聞かせ、私の好みにあった気に入った一着はすぐに選びそれもかごに入れレジへと持っていく。
だいたい師匠が私好みの服が沢山置いてある服屋に連れてくるのが悪い。師匠は私の好みを把握した上でこの店に連れてきてくれたのだろうか。もしそうならば師匠は天才だ。これを愛と呼ばずに何というのだろう。間違いなくこの店は私の行きつけのお店になるだろう。そして嬉しい事に値段もそこまで高くはない。安い訳でもないが、この洋服たちのようにしっかりとした作りでこの値段ならば十分すぎる。レジに籠を置いたところで、レジの横にかけてあったエプロンが目に入り思わずそれも籠に置いた。
店員のお姉さんは少し笑った後にそれも会計に入れてくれた。本当はまだまだ服を買いたかったけれど師匠から使っていたお金を無駄遣いする訳にもいかないし、最初だから何が必要かも分からない。生活用品として足りないものはまだまだ沢山あるのだから。むしろここで洋服とエプロンを買ったのは失敗だったかもしれないが、料理をする上で今来ている洋服と今買った洋服の2枚しかない大事な服を汚してしまう可能性を捨てきれない。エプロンならば多少汚れたとしても問題ない。それがエプロンの役目なのだから。
「ししょーっ!お待たせしました!」
店の外へと飛び出せば師匠は腕を組んで柱に寄りかかっていた。何これイケメンすぎる。ちょっとその辺りに画家いないだろうか。今すぐこの師匠の姿は収めるべきだと思う。なんならカメラでも良い。これを拡大コピーして家の壁中に貼れたらどんなに幸せだろうか。
私の大きな声に私が出てきたと気がついたのか目を開け私をその瞳に移す。その瞳に私も住みたい。
「喧しい変態」
「あぅっ」
私を軽く叩いた後に私の荷物に手を伸ばして持ってくれるなんてイケメンすぎる。飴か鞭かどちらかにしてほしい。一体師匠は私をどうしたいのだろうか。私を翻弄しても手遊んで楽しいのだろうか。私は弄ばれて楽しい。
「次に行こう」
「はいっ!」




