レディ アンド ガーディアンズ;5
VIPルーム“トヨトミ・ゴールド”を出た途端、オーサカ・セントラル企業団のムラマサ理事は貼り付けていた笑みを捨て去り、不満も露わに肩を怒らせていた。
オニ・デーモンめいた怒気と形相に、安物のバイオ合成エールを片手にしゃがみこんでいた男が思わず顔を上げる。理事と目が合った。
「何だね君は」
「なっ……何でもねえよ!」
エールのカップはしっかりと握ったまま背を丸め、慌てて逃げていく酔っ払い。ムラマサ理事は周囲に剣呑な視線を向ける。遠巻きに様子をうかがっていた人々が、一斉に視線をそらした。
当然だ。機嫌の悪いVIPほど、あからさまな“危険信号”を出している者はそうそういない。関わり合いになればロクなことにならないだろう。そんなこと、安酒で管を巻く酔っ払いにだってよくわかる。
「全く……」
ムラマサは吐き捨てるように言うと、威圧的な大股で歩き始めた。ドーム競技場から帰ろうとする人々に逆行し、人波を切り裂くように前傾姿勢でずんずんと進んでいく。
大階段状の応援席“ロッコー・スパイン”を上り、ドーム競技場の屋根近くへ。金属製のポールに渡された鎖と、提げられた“関係者以外立ち入り禁止”の札も構わずに境界を潜り抜け、薄暗がりのバック・ヤードに入り込んだ。
「おい、私だ」
虚空に向かって呼びかける。ややあって、大柄な人影が柱の影からのそりと現れた。軽薄なニヤニヤ笑いが、どことなく屍肉喰らいの獣を思わせる。品のない男だ。
「理事殿、遅かったじゃねえか。勝負がついたら来る、って言ってたろう?」
「ん? だから、試合が終わった後、大急ぎで来たつもりだが」
大男は呆れたような顔で、挑発的な身振りで首をすくめる。
「オイオイ! 試合観てねぇのかよ? あのナゴヤのピッチャー見たら、どっちが勝つかなんてすぐ分かんだろぉがよ!」
ムラマサ理事は火に油をぶちまけられた形で目を見開いたが、相手のニタついた顔を見て深く息を吐きだし、怒りを胸の中に押し込めた。
「……貴様の挑発に乗るつもりはない」
「済まねえなぁ、俺たち独立傭兵はクライアントだろうが商売敵だろうが、相手にナメられたら終いなんでね」
「なるほど、確かに以前雇った傭兵も、似たようなことを言っていたよ」
努めて冷静に、肝を据えて胸を張り、屍食獣めいた独立傭兵と対峙するムラマサ理事。
「だがその傭兵の方が、挑発するにしてももう少し品は良かったがね。名前は確かXYS……“イクシス”と言ったか。本当は、彼に依頼するつもりだったんだがね。断られてしまって、それで君に……」
「“イクシス”だと!」
その名前を耳にした途端、ニヤついていた男の顔色が変わった。刃のように鋭く、ぎらついた眼光がクライアントのムラマサに突き刺さる。
「奴が!」
サイバネ化された大きな両手が、ムラマサ理事の両肩をがっちりと掴んだ。
「奴がいるのか! ここに?」
「痛い痛い痛い! こら、落ち着け……!」
万力のようにクライアントの両肩が締め上げられる。鬼気迫る独立傭兵は、興奮のまま前後左右に大きくムラマサの身体を揺らした。
「イクシス! 奴が!」
「落ち着け! 話を聞け! ……聞け、“マキヤ・ローム”!」
自らの名前を聞いた途端、義腕の独立傭兵は固まりついたように動かなくなった。ムラマサ理事はサイバネ義手にがっちりと捕まったまま、深く溜息をつく。
やれやれ、“イクシス”の名前を呼んだだけでコレか。使いにくいにも程がある! ……とはいえイクシスが使えない以上、コレを使うしかないのも事実だ。街中でも構わずに“汚れ仕事”を請け負うプロの傭兵は少ない。背に腹は代えられないのだ……
「マキヤ、手を離せ」
「……了解」
ニヤニヤ笑いまで欠落した、表情のない顔で両手を離す独立傭兵。ムラマサは自らの肩を、大儀そうにグリグリと回した。
「えらい目にあった……。さて、気を取り直して今後の計画を詰めるぞ。安くないカネを払ってるんだ、貴様にも働いてもらわなければな」
「了解」
独立傭兵は両腕をだらりと垂らして、棒のように直立していた。返事も自白剤を盛られたかのように感情のない、ぼんやりしたものだ。ムラマサは自らの額に手を当てて溜息を吐く。
「そのためにも、まずは貴様に正気に戻ってもらわなければな! しっかりしてくれよ!」
八つ当たり気味にサイバネ傭兵の胸を平手で叩く。
「了解」
しかしたくましい胸筋の上に防弾別ベストを着こんでいた傭兵は身じろぎ一つせず、ひっぱたいた側のムラマサは却って痛みに呻くことになったのだった。
「ぐ、ぐうっ……! くそ! どいつもこいつも、思い通りにならん……!」
仕方ない、このままここにいても埒が明かん。一旦ドームを出て、クライシも呼んで、別の場所で打ち合わせをするしかないか……
「マキヤ、一旦ドームを出ろ。場所を変えてもう一度ミーティングを持つ。次のポイントは、また連絡する」
「了解」
そう言ってふらふらと、バック・ヤードを出ようとする独立傭兵。……しかし、“関係者以外立ち入り禁止”の札が提げられた鎖の付近で再び全身を硬直させた。
「ん? どうしたマキヤ、状況報告を
「おオオオオオオ!」
両目と口を大きく開けたマキヤは、地の底から響き渡るような雄たけびをあげた。思わず独立傭兵のサイバネ義腕を掴むムラマサ。
「何だ? 今度は何なんだ!」
「オオオオオオオオ! オオオ、イイイイいいいいいいいいいいい!」
痙攣をおこしながら、壊れたように叫ぶ独立傭兵。
「イクシスぅうううううううう!」
とうとう怨敵の名前を叫ぶとムラマサ理事の手を払いのけ、暴走トラックもかくやという勢いで走りだした。
『“ナゴヤ・セキュリティズ”の皆さんと……わたくしを守っていただきたいのです。企業団のムラマサ理事と、あの方が雇うであろう、テロリストたちから』
サイバネティクス・ヘッドセットに内蔵されたスピーカーから聞こえてくる、ケイカの声。……彼女に持たせている小型マイクが、彼女とムラマサ理事、そしてメカヘッドとの会話を拾い上げているのだ。
「フン……」
ネオ・コーシエン・ドームの大階段型応援席、“ロッコー・スパイン”の最上段、いわばマウント・ロッコーの頂と天空との境目。天を支える列柱の一本に背を預けながら、フルサイバネ傭兵・イクシスはケイカの話を聴いていた。
ケイカがこの試合観戦に拘り、私にボディガードを頼んでいた理由はこれだったのか。他の依頼とブッキングするからと断ってから、顛末はどうなったのか、気にはなっていたが。今は……
足元の客席に視線を向ける。特徴的なオレンジ色のカエル頭と、“ストライカー雷電”の男が、試合を観戦しているのが視覚センサに収まっている。
彼女がベットした“ナゴヤ・セキュリティズ”……その応援をしているストライカー雷電、そして“偶然”彼女と出くわしてコンタクトを取った、あの機械頭。いつもながら、全く運のいいことだ。これならば、後は連中に任せておけば問題はなかろう……
大急ぎで階段を駆け下りていく機械頭が目に入る。そして立ち上がるストライカー雷電……立ち上がりながら、こちらに視線を寄こしてきた。目が合った! 奴もいつもながら、全く油断ならない。
思わず柱の影に身を潜める。
“XYS”とケイカ・ナゴノとの関わりは、今回の件に限って言えばノイズにしかならないだろう。私も早くボディを換装して、自分の仕事に集中しなければならんな……
「イクシスぅうううううううううううう!」
独立傭兵が巡らせていた思考は、突然響きわたった絶叫に吹き飛ばされた。
(続)




