第14話 最強馬になる
本文中で中山競馬場に入りきらないであろう人数の観客が入っていますが、恐らくこの作品時空のJRAが改修して広くしたのでしょう、そう言うことにしてください。
・・・私無茶苦茶書きすぎだよね、元から無茶苦茶書いてたつもりではあったけど。
秋競馬は進んでいく。
菊花賞が終わり間も無くして、サツマキリコの有馬記念での騎乗騎手が川添智一になることが決まった。
川添騎手は三冠を制した経験も有る、大舞台で強いジョッキーである。また、気性難の馬で勝った経験も多く、気の強いところが有るサツマキリコにはピッタリだと評判である。
優一は川添にサツマキリコの特徴を教えた。乗ってみての癖、脚質を試した手応え、今まで乗ってきた中の全てを川添に話した。
しかし、その間も川添はその言葉の奥を読むように、鋭い目線で優一を見ていた。目元は笑っていたが、その気配は強く感じ取れていた。何しろこれからは敵なのだ、大事なことを隠していてもおかしくない。
「心配しなくても、乗ってきてわかったことは全てですよ」
優一はそう言って笑う。川添も最後は芯から笑って去っていった。それを見送って、優一はホッと一息ついた。
「随分緊張してたね」
それを見ていた多賀子が、そう声をかけてくる。
「まあ、何しろあれだけの馬を引き継いで、しかも敵になるんだ。気も使うよ」
優一はそう返す。
「そう。全部川添さんに話したの?」
「ああ、俺が実戦で確かめたこと、全て言ったよ」
多賀子の言葉に、優一はそう返す。多賀子は楽しそうに笑った。
「よっぽどサツマキリコのこと買ってるんだね」
多賀子はそう笑って言う。
「ああもちろんだ。あれだけ強い馬はそうそういない。半年前はロマンオンザターフに乗ってそう思っていたんだけど、それ以上を感じられるんだ。わかるだろう?
負けるならあの馬にだろうし、それ以外の馬には負けたくないしな」
優一はそう返す。遠い目で、サツマキリコの馬房が有る方を見ながら。
「それでも勝負は捨てない。さすがだね」
多賀子はそう言って、頼もしそうに笑い優一を見る。
「ああ、それだけの馬に挑んでも、勝ちだけは捨てない。たとえそれが万が一の確立でも、有る限り捨てないんだ。俺らは、勝つためだけに乗る、そういう役目さ」
優一はそうハッキリ言った。多賀子が嬉しそうに笑った。
秋競馬は進んでいき、ジャパンカップはアシタが勝利した。
しかし、ファンは満足しなかった。宝塚記念を見る限り、ロマンオンザターフの方が強い。しかも、それよりも強いと主戦が言っていたサツマキリコも出ていない。アシタは強いと言っても、最強馬ではない。
だからこそ、ファンの期待は有馬記念に注がれていた。
本当の日本最強馬は、どっちなんだ!
有馬記念が近付くにつれ、ファン達は熱狂していった。
*
そしてその有馬記念当日がやってきた。この日の指定席券は予約開始直後に完売、ファンの中には競馬場内でいい場所を取ろうと徹夜するものすら出てきて、一番先頭の人物は1週間前、前週の競馬開催が終わった直後に並び始めたほどの人気ぶりだった。
もちろん競馬場は超満員、20万人を超すファン達が世紀の対決を見ようと競馬場を訪れた。正確には20万1412人、これは1日に競馬場を訪れた人数の最多記録を更新するものだった。
熱狂の中、有馬記念のスタートが近付いていく。
人気はやはりサツマキリコとロマンオンザターフの2強状態だった。両者ともオッズは2.6倍、オッズに表れないほど小さな差でサツマキリコが1番人気と発表された。
何せ3番人気が50倍台になるほど2頭に人気が集中していたのである。やはりファンはこの2頭の勝負になる、と言うよりこの2頭の勝負が見たい! と思っているようである。
返し馬に移る。優一はロマンオンザターフの手応えを感じ取る。それはまさに100パーセント。凱旋門賞をピークに作ったが、一度緩めることで再度そのピークをこのレースに持ってくることができた。厩舎スタッフに感謝する。
そして、返し馬で体をほぐしつつ、後から来るサツマキリコの様子も窺った。彼の馬も調子が良さそうだった。向こうも三冠がかかる菊花賞にピークを持っていったが、今回は見る分ではそれと同等、いやむしろそれ以上の仕上がりかもしれない。そう感じるほどサツマキリコは調子が良かった。
その後輪乗りを終え、ゲート前に集まっていく。ファンファーレが鳴る。いよいよ世紀の決戦、有馬記念のスタートである。
ゲート入りは順調。スタートが切られ、ロマンオンザターフがポンと好スタートを見せた。
差し馬が好スタートを切るのは良いことである。上手く行けばいつもと同じペースでいい位置が取れるし、そうでなければ、他の馬があの馬に前に行かれては大変と、無理にペースを上げていることが多いからだ。
だが、そこでロマンオンザターフは定位置の中団を目指さなかった。優一は手綱を抑えず、逆に押していってロマンオンザターフを単騎逃げに持っていった。
観客達からは歓声があがった。あれは凱旋門賞の時の乗り方だ、同じ様に逃げる構えだ! 全国の競馬ファンが沸き立った。
それは、今回逃げる馬がいないから、と言っても大胆な騎乗だった。しかし、これは優一が前から考えていたことである。相手は確実に自分達以上の末脚を見せるのだ、だったら末脚勝負に持ち込まれては駄目だ。
ならば、こうしかない。ゴールするまでにサツマキリコに絶対詰められないだけの差を付ける。そのためには大逃げを打つのだ。押し出された形とはいえ、凱旋門賞で逃げた経験はここではプラスになった。
さて、サツマキリコと川添の方はどう出るか。不動。川添は手綱を抑え、恐ろしいほど動かなかった。モナムーと違い、この馬は自分から動いてレースを動かせる馬ではない。完全な末脚勝負に徹するより他勝ち目は無いのだ。
だから、川添は動かなかった。どこまでも、どれだけ差が開こうともこの馬の形をやり通す。その川添の決意は、優一にとっては痛手だ。何しろ、慌てて脚を使ってもらった方が勝ち目が有るのだから。
優一はロマンオンザターフをハイペースで逃げさせていた。平均ペースを続けるとしても、それはようやくレコード前後しか出せない。それならば、サツマキリコレベルの強い馬なら、差して出せるタイムだ。だからそれ以上の好タイムを出すために、ペースは速くないといけない。
これは賭けである。凱旋門賞は持ったとは言え、平均ペース相当の早さだ。それをペースを速くして最後まで持つのか、それはわからない。
だけど、あのタフなロンシャンで平均ペースを続けられたのだ、日本の競馬場ならちょっとしたハイペースなら押しきれるはずだ。優一はそう計算する。
1週目のスタンド前を通過する。この時、馬群は大きく2つに分かれていた。ロマンオンザターフを追いかける組と、後方で足を溜める組とである。
前で競馬をしている馬達は、強い馬を追いかけないと勝負にならないと見ている。おそらくロマンオンザターフは最後まで持つ。その馬に勝つには捉えられる位置にいないと話にならない。それは彼らなりの勝負だった。
しかしながら、その覚悟は勝つには甘かった。ロマンオンザターフは、単騎逃げでいる限り、自分のペースで走っているのだ。ならば最後まで脚は持つ可能性が高い。その時格下の彼らは追い付くこともできないだろう。
本当に勝ちたいのなら、ロマンオンザターフに競りかけなければいけなかった。強い馬のペースを乱さない限り、向こうがバテる可能性は無い。だから乱しにいくしか勝ち目は無かったのである。
もちろん、自分の馬が先にバテる可能性の方が大きい。だからと言ってみすみす単騎逃げを許すならば、勝つ可能性はゼロだ。彼らに必要だったのは刺し違えてでも倒す覚悟だった。ただ追いかけるだけで済ました彼らに、勝ちの二文字は無かった。
一方、後方の馬達。彼らのほとんどはハイペースに付いていっても勝ち目が無いという、消極的な理由で後方にいるのだった。中にはサツマキリコをマークしているつもりの騎手まで居る。末脚で上回る馬ならともかく、一番切れる相手をマークして勝ち目が有るつもりなのだろうか。彼らが本当に勝つ気で競馬に乗っているのか、疑問に感じるレベルだ。
そんな中、サツマキリコの他に、唯一まともな勝算を考えて後方待機をしている馬がいる。高鞍上のジャパンカップの勝ち馬アシタだ。
高はとにかく極度の負けず嫌いだった。彼はどんな時でも勝負を仕掛ける。元々人気が有る馬に乗ることが多かったが、たとえ勝算がほとんど無い馬でも、わずかにある勝ち目を目指して乗る、それこそが日本を席巻してきたトップジョッキーの一番優れた所だった。
そんな彼は、自分の形に徹するために後方にいた。アシタもサツマキリコと同じく、後方で溜めに溜めないと切れないタイプだ。勝つためには後方にいるしかない。だからこそ勝ちを諦めない高はここに付けたのだ。
「いや、前は随分飛ばしているね。これだと直線勝負では追い付けないかもしれないよ」
高は、一人ごちるようにそう言う。もちろん目的は有る。隣にいるサツマキリコの騎手、川添を揺さぶるためだ。
「お互い、厄介な馬に乗ってるね。溜めないと切れない。不器用な馬は、これだから辛いよね」
高は、そう今度は確実に川添に話しかける形で言った。言いながら隣にいる川添の顔を窺う。
そこで高はギョッとする。彼の顔はさわやかに、全く困った様子は無い。
「そうですね、でも大丈夫ですよ。多分この馬は高さんの馬よりは器用ですから」
川添は涼しい顔でそう答えた。
その言葉は言外に、いつもと違う競馬でも勝ち目は有ると言っているものだった。高は、自分が考えていた勝ち目が狭まったのを感じていた。それでも勝ちの可能性は捨てない、高はあくまで後方待機に徹するのだった。
1000m通過は58秒9、そのままのペースをロマンオンザターフは続けていた。このままのペースを続ければレコードが出る、そんなペースである。
ただ、中山競馬場は最後に坂が有る、このままのペースで押しきるのは無理だろう。勝負はいかに差を付けて坂を迎えるか、そこだ。
先行集団と後方集団は、どんどん差がついていく。向こう正面では、ロマンオンザターフとサツマキリコは30馬身近くも差がついていた。タイムにして約6秒差、これは1ハロン12秒のペースを続ければ、サツマキリコが上がり3ハロンを全て10秒で走っても追い付けるかどうかの計算だ。
1ハロン10秒と言うのはサラブレットの極限に近いスピードである。それを3ハロン続ける、サツマキリコなら可能かもしれないが、それは直線が3ハロン有ったらの話である。
中山競馬場の直線は310m、1ハロン半くらいしかないのである。さすがにコーナーでは最高速を出すのは不可能、ならば最後脚を伸ばしてもサツマキリコが勝つのは不可能である。
だから、優一は願う。まだ仕掛けるなと、強く祈り続ける。
優一は残り1000mの標識を越え、第3コーナーへと向かう。それから遅れて、サツマキリコを含む後続達も残り1000mの標識を迎えた。
その瞬間、川添はサツマキリコを追いはじめた。ひときわ激しい歓声が沸いた。後方を窺い、彼の馬が動いたのを感じ取った優一は震えそうなほどの悪寒を感じていた。
気付かれていた! 優一は愕然とする。それは優一が知っていた、唯一のサツマキリコの勝ち目である。
サツマキリコは後方から進める競馬を得意とする。最後まで溜めないとその脚は切れない。それが一般の認識である。
しかし、優一は秋の競馬で、その先の進化を感じ取っていた。後方から溜めていかないといけないのは変わらないが、だが末脚を伸ばしきってもまだ余裕が有った。だから優一は思っていた、もしかしたら溜めていきさえすれば、もっと長い脚を使えるのではないか。
その考えを実行したものが、今川添がやっている捲る形でのロングスパートである。優一は実際乗ってみての全ては伝えたが、実戦で試さなかったことはあえて話してなかった。それは確証が無いのと同時に、何より自分が乗るロマンオンザターフにとって不利な話だったからである。
しかし川添も名手、ロングスパートの可能性に、調教で乗った時か返し馬の時か、それとも今乗りながら感じ取ったのか、はたまた負ける覚悟でこれしかないと選択したのかわからないが、しっかり気付いていたのである。
優一は歯噛みする。そして、それから前をしっかり向き直した。まだ差は大きい、例え捲りを使ったって、差しきれるかどうかはギリギリの差を付けているのだ。それならばこの馬の実力を信じて追い続けてやる!
優一は覚悟して、馬を走らせ続けた。
淡々としたペースのまま、第4コーナーを回っていく。ペースは早いまま、優一はまだ追わずに直線を迎える。そこで初めて優一は追い始める。
余力を残すため、追い出しを我慢した。しかし追ってもロマンオンザターフは弾けるように伸びるわけではない。何せここまで力を使っているのだ、ほんのちょっと速くなっただけ、最後には速さを維持するだけになるだろう。
だけど最後まで行けたなら、勝利の可能性は残っている。
直線を迎えても、ロマンオンザターフとサツマキリコの差は15馬身は有った。ここからサラブレッドの極限に挑戦するような末脚を見せないとサツマキリコは勝てない。
だが、それができるのがサツマキリコだ。グイグイと差を縮めていき、残り1ハロン200mでは10馬身、半ハロン100mでは5馬身差まで追い上げてきていた。最後はきわどい勝負になる、そんな勢いだ。
だが、中山競馬場はここから坂が有る。心臓破りと恐れられる急坂、それをロマンオンザターフはまだ力強く登っている。まだ脚は残っている、まだまだ行ける!
優一は必死に追い続ける。サツマキリコも坂には苦しんでいるのか、差が縮まらなくなってきた。
追う、優一。追う、川添。鞍上は少しでも速くと必死に追い続ける。
坂を上り終える。そこでまだ差は2馬身、残りの距離を考えるとこのままではサツマキリコは追い付けない。
しかし、そこからサツマキリコは驚異の伸びを見せた。1完歩で1馬身は詰めていた。あっという間に追い付かれ、優一は隣の、少し前まで乗っていた元愛馬を見てしまった。しかし、最早そこに彼の馬はいなかった。
ゴールの瞬間、サツマキリコはロマンオンザターフに1馬身差を付け勝利した。ロマンオンザターフのギリギリの勝負は、破られてしまった。
タイムは2分28秒2。これまでのレコードを1秒以上更新するタイムに、観客達がどよめいていた。
負けた。優一はそれを理解した。瞬間、涙が流れてきた。どんなにいい勝負をしたって、相手が前乗っていた馬だって、悔しいものは悔しい。優一はそれが我慢できなかった。
ロマンオンザターフが、慰めるように軽くいなないた。それに対しても、優一は謝るしかなかった。しっかりしてくれよ、とロマンオンザターフは呆れている気配だった。
前の方で、川添が馬を緩めていた。このままなら並ぶ。優一は涙をぬぐうため、一旦ゴーグルを外し、そして素早く涙を拭いてまた付け直した。
「今回は、勝たせてもらったよ」
川添は、上機嫌でそう言ってくる。
「おめでとうございます。わかってはいたんですが、やはり強いですね」
優一は、気丈に笑ってそう答える。それでいいと言わんばかりにロマンオンザターフはいなないた。
「そうだね。この馬は、俺が乗ってきた馬でもかなり強い。一番強いかもしれない」
川添は、そう返してくる。もう1頭三冠馬に乗っている川添が言うのだ、よほどの物だろう。
そこから一拍間を置いて、優一は口を開けた。
「凱旋門賞、勝ってください」
優一は言う。
「俺らが勝てなかった凱旋門賞、勝ってください。俺達に勝ったんですから、それを目指してください。・・・日本競馬の悲願、叶えられるのはあなた達しかいないんです」
優一はそう言った。本気の一言だった。惜しい負け方をした自分達を上回ったのだ。本当は自分が最初に勝ちたかった、それは有る。だけど資格は、向こうにしか無くなったのだ。
「ああ、そうだな。俺だって勝ちたい。絶対に目指すよ」
川添は、真面目な顔で頷いた。優一の熱い思いが、伝わった。
それから川添は、馬の向きを変えて、ウイニングランをしていく。優一とロマンオンザターフはそれをちゃんと見ることも無く、検量室の方へ戻っていった。
年が明けて、年度代表馬にはサツマキリコが選ばれた。三冠に加え有馬記念を勝った、しかももう1頭の最強馬候補を引けたのだ、当然の話だった。
ロマンオンザターフも最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。だけどやはり一番の年度代表馬を取れなかったのが悔しかった。
表彰式で、幸野調教師からサツマキリコの凱旋門賞挑戦プランが正式発表された。騎手はこのまま川添で行くと明言された。一度降りた優一に、もう一度声がかかることは無いだろう。
ロマンオンザターフは引退式も終え、種牡馬になるべく北海道に帰っていった。いつかあの馬の子供で、もう一度夢を見たい。そう優一は願っていた。




