第11話 夢を見る権利
第4話でいくつかの事実誤認が有りましたので訂正しました。ここで告知させていただくとともに、作り込みが甘かったことを謝罪させていただきます。
5月末、優一はサツマキリコで日本ダービーを制覇した。これで皐月賞に続き二冠を達成した。幸野調教師は年内の国内専念を表明し、新たな三冠馬の期待がかけられることになった。
優一はこれでダービージョッキー。胸を張って国内を代表する騎手として海外に行けることを誇りに思う。
とは言っても、海外に行くのは宝塚記念に勝ったらの話だ。優一は兜の緒を締め直す。
その翌週には宝塚記念に向けたステップレース、鳴尾記念が行われた。そこでは昨年の二冠馬にして年度代表馬、アシタが大阪杯に続き楽勝。さらにこの馬の陣営も凱旋門賞への挑戦計画を発表、競馬界はさらに沸き立った。
ロマンオンザターフか、アシタか。宝塚記念を勝った方が凱旋門賞に挑戦することになる。この2頭の戦いなら、勝った方は名実ともに日本の最強馬だろう。ファンの期待は高まっていく。
「お前の馬ももちろん強いが、俺だって勝つ気で乗るからな。覚悟しておけよ」
そう電話で優一に挑戦を挑むのは、同期の山風三太郎だ。
「天皇賞で乗ったイスカンダルこそ怪我で回避するが、その代わりに目黒記念を勝ったディープナイトに騎乗することになった。勝ちは譲らないからな」
山風はそう熱く語る。電話口では優一が鬱陶しがり、呆れた様子で生返事をしているが、根っから明るい山風は全く気にしていなかった。
話は終わり、山風は携帯の通話を切る。そして、気合を入れ直す。
と、そこで携帯が鳴り出す。山風は表示を見る。見たことの無い電話番号、携帯からだ。何事かと山風は通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『もしもし、山風か? 俺や、富士島や』
山風が出ると、相手はそう名乗った。関西の富士島から、何の用だ?
「これはこれは、ご無沙汰しています。それで富士島さん、何の用事ですか?」
山風はそう聞き返す。
『宝塚記念のレースについてや。お前、確か先行馬に乗るよな?』
富士島は、そう聞いてきた。
「ええ、ですけど今回はハナを叩いたりはしませんよ。あくまで前目がいいタイプ、引っ張ってもらうに越したことは有りません」
山風は、ハナを譲れといういつもの話かとそう答える。
『いや、そうやない。ハナを譲ってほしいのは有るが、今回は別の話や』
富士島はそう言い出す。じゃあ、何だろう? 山風は先を促した。
『なに、ちょっとレースの流れを打ち合わせたいと思っとるんや。ほら、今回は海外に行こうっちゅう馬がいるやろ? しかも2頭や。そやさかい、趣向を凝らしたものにしようと思ってな』
富士島は、そう切り出す。そして、計画を語った。それを聞いて山風は、彼らしい爛々とした瞳で、かつ彼らしからぬいやらしい笑いを浮かべて電話越しに頷いた。
「なるほどそれはいい! 富士島さん、俺も賛同します。その展開にしましょう!」
山風はそう言って、大きく同意の意思を示した。
富士島は他の騎手にも言って回ると言い残し、電話を切った。
さて、全員が同意してくれるかわからないが、もし実現するなら、面白いレースになることは必至である。
山風は今からレースが待ち遠しくてたまらなかった。宝塚記念まであと1週間半。
*
そして、宝塚記念のレース前になった。騎手の待合室で、優一は気持ちを整える。
「いいか、今日はもちろん俺がハナに立つからな。お前らは行くんやないで」
そう、レース前富士島が念を押していく。先頭争いに絡む気が無かった優一は特に異論を挟まない。
「そうだとも、関西の雄、富士島さんが行くんだから、他の人は行けないよ。引っ張ってもらうが吉さ」
そこに山風がそう相槌を打った。その演技臭さが気になって、優一は二人の方を見てしまう。
「おう、優一、お前も今日は行かんやろ?」
すると富士島はそう念を押してくる。そのしつこさが、やはり優一の気にかかる。
「ええ、俺は今日は控えますよ。この馬のレースをしっかりやらないと、凱旋門賞なんて言ってられませんから」
優一はそう答える。富士島が笑う。
「そうだね、お前はいつも通り、中団に控えるといい。それができなきゃ、お前の言う通り、凱旋門賞なんて口にするのもおこがましいからな」
山風がそう念を押して、いつもと違うニタニタした笑いを浮かべる。
「そのつもりだけど、何だよその含みが有る言い方は」
優一が思わずそう答える。
「なに、言葉の通りだよ。ちゃんとその馬のレースをするんだな」
山風はそう言い残して、富士島と去っていった。
「何なんだ、一体?」
優一は戸惑ったままそう呟く。
「なに、彼らには彼らなりの考えが有るんだよ」
そう、後ろから声がした。優一が振り向くと、アシタに騎乗する高騎手がそこにいた。高は優一の隣に立つ。
「高さんは、富士島さん達が何をするつもりなのかわかるんですか?」
優一はそう聞いてみる。
「まあ、広く言って回ってたみたいだから、大体はね。ああ、心配しなくていいよ。レースを壊すことは無いから」
高はそう言って朗らかに笑う。しかし、その気配は鋭い闘気を帯びている。
「大丈夫、彼らはレースを整えるだけだよ。何せ僕と君の凱旋門賞がかかってるんだ。それなりのレースをしてもらわないとね」
高はそう言って、前に歩いていった。優一は不気味なものを感じながら、レースを待つ。
果たして、レースが目前に迫った。順調にゲートインしていく。
スタートした、まず手綱を押していったのはポメラニアン。1頭だけ抜けだして、単騎逃げの体勢だ。
が、逃げの形が決まると、すぐさま手綱を抑えた。2番手集団の馬も、競りかけていかず、手綱を引っ張ったままだ。
これは、おかしい。優一はすぐに直感した。ペースが遅すぎる。どの馬も行かず、手綱を徹底的に抑えたままなのだ。ハロン間でペースを計ってみる。遅い。圧倒的に、これまで体験したことが無いほどにペースは遅かった。
真ん中の枠だった優一とロマンオンザターフは、馬群の真ん中のままレースを進めていく。ロマンオンザターフは、ペースが遅すぎても行きたがるそぶりが無く、むしろ望むところだとレースに合わせる形で進んでいく。
行きたがらないのはいいことだが、このペースは何事だ? 優一は考える。
1000mを通過した時点で、タイムは1分13秒2。異常なほど遅いペースに気付き、観客がどよめきをあげる。そして、そのままレースは動かず、3コーナーを回る。動きは、無い。このまま直線まで持っていって、よーいドンの流れらしい。
優一はそこでようやく、この流れの意図に気付いた。これはヨーロッパのレースだ。ヨーロッパは日本とレースが違い、かなりのスローペースで流れる。そして、直線に入って一気に仕掛けることが多い。おそらく富士島達は、凱旋門賞に挑もうとするロマンオンザターフやアシタにそれに近いレースを体験させるべく、申し合わせて超スローペースにしたのだ。
優一は、その思いに感激する。そして、絶対この流れで勝とうと誓い直した。
直線に入った。とうとうレースが動き始める。優一は馬群の切れ目を見極めて、上手く外に持ち出した。
ヨーロッパ風のレースにしたとは言え、勝つ気が無い騎手はいない。前の馬も必死に追い続ける。
外からは、高騎乗のアシタが並びかけてくる。それに合わせて、優一も追い出し始める。
レースは、大外のロマンオンザターフとアシタが並んで、一気に馬群を飲み込んでいった。両者瞬発力には自信が有る、あっという間に先頭に並び、追い越し、2頭で競い合う形になった。
高は必死に鞭を入れて追い続ける。優一も激しく手綱をしごく。だけど、優一は自分の馬の方が地力が有ると確信していた。
残り100m。ここで優一は、ここまで取っておいた鞭を使い始める。ロマンオンザターフが自身の伸びをさらに伸ばしていく。さっきまで並んでいたアシタを、グイグイ突き放していく。
あっという間に差が開き、ゴールした時にはアシタに3馬身の差を付けていた。ロマンオンザターフが見事に勝利、凱旋門賞への切符を手にしたのだった。
「いやあ、参ったよ、完敗だ。この馬も強いと思っていたけど、そっちがさらに上だったな」
レース後流していると、隣に並んできた高がそう苦笑いをする。
「凱旋門賞を狙うんです、負けてはいられませんよ!」
優一はそう言って、高に笑顔を見せた。高は、顔を引き締め直す。
「おめでとう、そう言っておくよ。君には夢を見る権利が有る」
高は、そう語り出す。
「夢は、誰が見たっていいじゃないかって、良く言うよね。だけどそれは違うんだ。大きな夢ってのは、見合った実力が無いと見ることができない。たとえば未勝利馬が凱旋門を語っても、それは絵空事、笑い話にしかならない。
だけど、君とその馬は実力を見せつけた。夢を語る価値が有ると、明確に示したんだ。
だから、おめでとう。君達は、ようやく夢を見る権利を手に入れたんだ。祝いの言葉は言わせてもらうよ。
だけど、悲しいかなそれは見る権利でしかない。叶えられるかは君次第だよ。僕が長年かけても、見るだけで終わった夢だ。できればそれが叶う日が来ることを祈っておくよ」
高は、そう語り終えて、馬を離していった。真面目な顔で語ったその話を聞いて、優一は重みを感じていた。夢を見る権利。それを手にしたからこそ、叶えに行くからこそこれからの道は重く、険しく、激しい。それを優一は察してしまったのだ。
そこで、優一は首を激しく横に振る。重く、険しく、激しい? 上等だ、それでも乗り越えてやる。自分は夢を見れる数少ない人間なんだ、それくらい乗り越えなくてどうする!
優一は、そう考え直す。そして、できる限りの努力をするべく、覚悟をし直した。
レースの後、ロマンオンザターフ陣営は、正式に凱旋門賞挑戦を発表した。名実共に日本最強馬を示した名馬の挑戦に、日本競馬界は沸きに沸いた。




