85・おっさん、白竜と対面する
《い、一体……なにが起こったのだ……?》
頭に直接響いてくるような声。
「お前が喋っているのか……?」
《そ、そうだ……汝は何者だ? そして、我になにが起こったのだ?》
ドラゴンは混乱しているのか、声には戸惑いのようなものが含まれているように聞こえた。
「ん……いや、釣りをしてたんだ。そうしたら、お前がかかって……」
《釣り……だと? おかしいな。我の知識では、人間のする『釣り』というものは川や海でするものだと思っていたんだが……?》
「うーん、最近の人間は空でも釣りをするんだ」
《成る程。我が知らないうちに釣りが進化したみたいだな——ってそんなわけなかろう》
ドラゴンさん、ノリツッコミも出来るんですね。
「えーっと大丈夫ですか?」
《む……本来なら、こんなものでは我に傷一つ付けることすら出来ないはずだが……どういうことだ? 釣り上げられた瞬間、全身の力が抜けてしまったかのような感覚にとらわれた》
それについてはきっと——どんな大物の魚でも、水から上がってしまえばその力をいかんなく発揮出来ない——ようなものだと思う。
そこらへんは【スローライフ】によって、過度にスローライフが実現してしまったためだろう。
魚が水から上がれば力をなくすのだから。
ドラゴンが空から上げられれば同様に力をなくす。
いや、正しくは『釣り下げる』という表現が正しいだろうか。
……どっちでも良いか。
《しかし——我を舐めるなよ?》
ドラゴンがかっと目を見開き、それと同時にゆっくりと立ち上がろうとする。
《我はただのドラゴンではない。人間共は神竜と言っているらしいな? この神竜がそんなバカげたもので、やられるはずがないだろう——》
よく見ると両手足は震えているものの、なんとか立ち上がることの出来たドラゴン。
さらに全身から魔力の奔流が見られた。
「とにかく……捕獲させてもらうぞ!」
勝手に釣り上げたのは申し訳ないが、俺だってリネアやドラコを守らないといけないんだ。
「ぬおっ!」
シュルシュルシュル。
そんな音を立てて、地面から薬草の芽が生えそのままドラゴンの体に伸びていった。
結果、魔法を放とうとしたドラゴンの体を薬草が完全に拘束したのだ。
《こ、こんな……バカげた魔法で我が……》
「魔法じゃない」
スローライフだ。
ふう、と額の汗を腕で拭う。
……ん?
もしかして、こいつ今——神竜とか言ってなかったか?
《如何にも……我は神竜の一体——白竜と呼ばれる者だ》
薬草に絡まったまま、そうやって偉ぶった口を利いているドラゴンに少し可愛さを覚えた。
「し、神竜……っ? 俺、そんなの初めて見たぞ?」
神竜というのはドラゴンの中でも神格化されている存在であり、人里離れたところに住むと言われる。
いくら、勇者パーティーで世界を飛び回っていたとはいえ、神竜をお目にかかるのは初めてであった。
《……我も質問させてもらってよいかな。汝は一体何者なのだ》
「俺か? 俺はここらへんでスローライフを営んでいるものだ」
《すろー……らいふ?」
薬草に絡まったままのでカッコは付かないが、ドラゴン——いや、白竜が首を傾げる。
俺はスローライフについて説明をした。
「……ということなんだ」
《成る程。分からん》
バッサリと切り捨てる白竜。
《魔法……みたいなものと言うことか? すろーらいふというものは》
「いや、魔法とは程遠い存在だな。自給自足したり、料理を作って食べたり、釣りしたり農業したりする。この家だって、俺が作ったんだぞ?」
《成る程……立派な居城だ。汝の力をもってすれば、一瞬で作れるのだろうな》
「ああ。三日くらいで作った」
《三日……! やはり、すろーらいふというのは魔法の上位互換なのか……!》
だから違うって。
まあドラゴンにはあまり理解出来ないかもしれない。
諦めよう。
それよりも……。
「どうして、白竜がこんな辺境の地に?」
それが疑問であった。
神竜と呼ばれる存在は、無益な争いを避けるためにも、滅多なことで人前に姿を現さない。
公式な記録で残っているのは、百年前に勃発したミルガルム戦役で、縄張りを汚されたことから姿を現した——というものだ。
俺の質問に対し、白竜が神妙な声で。
《うむ……我にも分からぬ。だが、数日前から邪念が我に取り憑いておってな》
「邪念?」
《『殺せ殺せ』という声だ。この声を聞くと正気を失ってしまい、気付けばここにやって来た……ということなのだ》
「…………」
《もしかして、心当たりがあるのか?》
最近、凶悪なモンスターがイノイックに寄ってきてると言う。
ポイズンベアや、先日の魔族のモグラだってその一環だ。
そのことについても、白竜に説明をする。
《成る程……なにかしたらの魔法かもしれぬな》
「それはベラミ——俺の仲間も言っていた。イノイックになにが起こっているんだ?」
《さあな。我に分かることはそれだけだ》
ん?
一応、お互いに分かることを打ち明けたはずなのに、まだ白竜は浮かない顔をしている。
「なにか、まだ悩み事でもあるのか?」
《……! さすがすろーらいふを営む仙人だな。我の表情だけで心の内さえも読むか》
なんか仙人だと勘違いされていた。
ただ俺は、スローライフで人生を謳歌しているただのおっさんなのに……。
そう反論する前に、白竜はとつとつと語り出した。
《実はな……邪念に取り憑かれていることもあって、卵をなくしてしまったのだ》
「卵を……それは大変だな。ということは、まだ我が子も見られてないのか」
《左様だ。そのことに気を取られてしまったこともあり、邪念に負けてしまったということもある……ああ、我の卵は一体どこに行ったんだろうか》
困り果てたようにして、白竜が言う。
白竜が雌だったことにも少し驚いたが、我が子を抱けないまま消失してしまうとは、なんて悲しいことなのだろうか。
俺には子育ての経験がないので、想像することしか出来ない。
だが——例えば、卵から生まれたドラコがいなくなってしまった、と考えれば白竜の悲しみも分かった気に——。
「ん?」
《ん?》
俺はゆっくりと後ろを振り返る。
「うおーっ! ドラゴンというのは大きなものなのだな。わたしの遊び相手になってくれなのだー!」
状況をおとなしく見守っているリネア。
一方、隣のドラコは白竜の登場によりはしゃいでいる。
ドラゴン……卵……ドラコ……。
…………。
「って! もしかしてドラコが——」
俺がそう言いかけるよりも先に、
《そ、その女児からドラゴンの波動を感じるっ? もしかして、そのドラゴンが我の——ん、いや? それならば、どうして人間の姿になっているのだ?》
目を見開き、ドラコに駆け寄ろうとする白竜。
《んぐっ! こ、この草が……》
しかし体が薬草に絡まっているため、それよりも前進することが出来ない。
とはいっても、白竜の力は強く、今にも薬草が引きちぎられてしまいそうだ。
俺が一体どうしようか迷っていると、
《——っ! んぐっ! ——まただ。また邪念が——!》
白竜が苦しそうにうめき、やがて頭を下げて目を閉じた。
「白竜?」
心配になって駆け寄ろうとすると、
《ククク……お前か。お前が私の計画を邪魔してくれているのか》
と白竜の口から声が発せられた。
それは先ほどから頭に響いていた声とは異質であり——そう、まるで別人が発しているように聞こえた。




