84・おっさん、ドラゴンを釣る
★ ★
——殺せ殺せ殺せ殺せ。
まるで警鐘のようにして、「殺せ」という声が頭で鳴り響いている。
(どうしたのだ……? 我は一体、なにをしようとしているのだ……?)
数日前から連続して聞こえてくる声に、神竜の一体である——白竜は悩まされていた。
その声が聞こえてくると、頭を締め付けるような痛みが襲ってくる。
それを当初は我慢していたものの、痛みは断続的で耐え難いものへと強くなっていった。
悩みはそれだけではない。
(我の……卵はどこにいったのだ?)
あまりの痛さに悲鳴を上げそうになりながらも、新しい命を産んだところであった。
突然——頭痛が強くなり、それと同時に記憶を失ってしまった。
そして意識が戻った時には、卵が煙のように消えてしまっていたのだ。
(なんという失態……我らしくない)
今にも卒倒してしまいそうな痛みに耐えながらも、その大きな翼をはためかせ、必死にまだ見ぬ我が子を探し続けた。
その際、人間共に姿を見られたかもしれない。
だが、それでもいいのだ。
——殺せ殺せ殺せ殺せ!
(——!)
導かれるようにして飛んでいたら、ある街の上まで到着すると——声が強くなり、とうとう完全に邪念に取り憑かれてしまう。
(そうだ……我は、眼下にいる人間共を殺さなければ……!)
大分、辺境の地まで来てしまった。
白竜は口を開け、神の息吹を吐こうとする。
一発でこんなちっぽけな街、容易に吹っ飛ばすことが出来るだろう。
だが——その時、空中に浮かぶ一匹の小さな虫を見つけた。
(……なんだ、これは?)
一瞬、「殺せ」という邪念がなくなってしまっていた。
白竜は神の息吹の発動を一旦止める。
そして——これは自分でも不思議なことだが——パクッと、その大きな口で虫を咥えた。
(——! な、なんだっ!)
その瞬間。
もの凄い力で、体が地面に向かって引っ張られた——。
◆ ◆
数時間前……。
「さて……家も完成したことだし、これからは理想のスローライフがより一層送れそうだな」
外から完成した家を眺めて、そう背伸びをする。
うーん、我ながら惚れ惚れするようなマイハウスだ。
「すろーらいふ万歳なのだー!」
「……ドラコ。お前、スローライフってなんたるか理解しているのか?」
「よく分からないのだー」
「よく分からずに言ってたのかっ?」
「すろーらいふってなんなのだー?」
「うーん、俺もまだスローライフの神髄は完璧に理解したとは言えない。でも——ゆっくり平和に暮らすこと、って説明すればいいかな」
「そんなのつまらない! わたしはもっと激しく生きたいのだ」
「ドラコにはまだちょっと早いかもしれないな」
でも、いつかドラコにもスローライフを理解して欲しい。
そのために俺が出来ることは……。
「スローライフだよな……やっぱ」
昔から料理くらいしか取り柄のなかった俺。
そんな俺が唯一人並みに出来ること——それが【スローライフ】によるスローライフなのだ。
手放したくない、この生活。
そこだけはブレてはいけない。
「よし……! ドラコ、まだ釣りを教えていなかったな? 今日はみんなで釣りをしよう」
「釣り? それって美味しいのか?」
「うーん、上手くいったら美味しいかもしれない」
「やったのだ!」
「それに楽しい」
「楽しくて美味しかったら最強なのだー!」
ピョンピョンとドラコが飛び跳ねる。
というわけで——新居から釣り竿を二つ持ってくる。
「まずはこれに餌を付けてだな……」
針に餌となる『虫』を通す。
「これを湖に放る——いや、いつもの湖釣りだったらつまらないな」
今回は趣向を変えてみよう。
「(おい、女神)」
《なによ》
「(なんで怒ってるんだっ?)」
《出番が少なかったからよ! 家建てるマンから、全然わたしの出番なかったじゃない!》
「(訳の分からないことを言うな。それよりも——)」
俺は女神にとある問いを投げかける。
《……どうして、そんなことするのか分からないけど、まあ可能よ》
「(よし……!)」
そんな訳で、俺はリネアとドラコの方を振り返って、
「おーいリネア、ドラコ? どこ行ってんだ?」
「えっ? 釣りをするんですから、湖でしょう?」
リネアが振り返り、首を傾げた。
「いや……今日は少し変えてみて、場所を変えてみようと思ってるんだ」
「あっ、それは良いかもですね。海……遠いんで無理かもしれませんが、近くの川にでも行きましょうか?」
「チッチッチ。海釣り? 川釣り? そんなのは時代遅れだ——はっ!」
そう言って、俺は空に向かって釣り竿を振った。
「——今日は空釣りだ」
「……はい?」
リネアが目を丸くする。
「今、ブルーノさん。なんと言いましたか?」
「聞こえなかったか? 今日は空釣りをするんだ」
見上げると、気持ちよくなるくらいの快晴。
サンサンと輝く太陽に、浮き出るような青空。
今日の空は——まるで海や川のように見えて、そこ目掛けて釣りをすることが出来ないかなと感じたんだ。
女神に聞いた結果、どうやら海釣りや川釣りと同じように——空釣りが出来るらしい。
「えいやっ」
空に向かって竿を振るうと、そのまま糸はグングン伸びていき、視認出来なくなるくらいまで上昇した。
「なにか、かからないかな〜」
見ることは出来ないが、現在——針に付けられた『虫』は、風に揺られながら空を漂っているだろう。
「空ではなにが釣れるんですか?」
「そりゃ、鳥とかに決まってるじゃないか」
「……それもそうですね。でも、空釣りなんて単語初めて聞きました」
「まあ俺も偉そうなこと言えないが——リネアもまだ、スローライフの全てを理解しているとは言い難いからな」
「はあ、そんなものですか……奥が深いのですね、スローライフって」
リネアが頬に手を当て、困り顔をする。
そんな表情も、俺が立派に鳥を釣り上げることが出来れば、笑顔に変わるだろう。
「おっ、どうやらかかったみたいだぞ」
竿がクイックイッと空に向かって引っ張られる。
俺はその力に負けないようにして、竿を持って踏ん張る。
「なかなかの大物のようだ。リネア、ドラコ。手伝ってくれないか?」
「は、はい!」
「任せるのだ!」
リネアとドラコが俺の腰を持って、一緒にうんしょうんしょと引っ張ってくれる。
気を抜けば、このまま浮き上がってしまいそうだ。
このまま空に持ち上がってしまったら、どうなるんだろうか?
……いやいや、そんなこと考えなくてもいい。
「もう少しだ!」
最後の力を振り絞って竿を上げ——いや、下げてフィニッシュといく。
釣り糸にかかっていた獲物がだんだん降下していき、ゆっくりとその全貌が明らかになっていく。
「ん? なんだ? かなり大きいな」
どうやら白色の鳥らしい。
「いや……ブルーノさん。もしかしてあれって……」
竿を引っ張られる力がだんだん弱くなっていく。
「メチャメチャ大きいのだー!」
……あれ? 鳥じゃなくてドラゴンに見えるんですが?
「……って、正真正銘のドラゴンじゃねえか!」
そんなもの、招き入れるなんて正気じゃない!
すぐに竿を離して、降下してくるドラゴンを遠ざけようとするが——もう遅い。
ドラゴンは勢いよくこちらへと向かってきて、やがて——。
ズシィィィイイイイイン!
そんな轟音を立てて、地面に激突したのだ。
「え、えーっと……」
これはどうしたことか……。
「うわあ、ブルーノさん。まさかドラゴンも釣ることが出来るなんて。空釣りって凄いんですね……」
「おとーさまはすごいのだー! 釣りの達人なのだー!」
リネアが戸惑い、ドラコが喜んでいる。
俺はポリポリと頬をかき、釣り糸にかかってしまった獲物を見る。
白色の鱗に覆われた巨体——それが今、釣り糸をパクリとくわえたまま地面で横になっていた。
「……まさかドラゴンを釣ってしまうなんてな」
空に向かって釣りをしていたら、どうやらドラゴンをゲットしてしまったみたいだ。




