13・おっさん、少し後悔する
「あっ今、エッチなこと考えましたねぇ?」
リネアが妖艶な笑みを浮かべる。
「これが私の考えた恩返しです……私を抱いてください」
「な、なにを言ってんだ!」
ここで優男なら、リネアを優しく抱くことも出来るかもしれない。
しかし——俺は一応、そういう性経験はあるものの、プロのお店にしか行ったことがない。
彼女もいたことがない。
素人童貞というヤツだ。
だからリネアの申し出を、簡単に受け容れることが出来なかった。
「と、とにかく——ダメだ! リネア、もっと自分を大切にしろ!」
混乱しながらも、大きな声を出す。
するとリネアは驚いたように目を見開き、
「わ、私じゃダメですかぁ? 私じゃ、ブルーノさんに抱いてもらえませんか?」
「バカ! 今すぐにでも抱きたいよ——でも、そういう『恩返し』だとか考えが気に入らないんだ!」
瞳に涙を浮かべるリネアに対して、俺は言葉を続ける。
「俺が目指しているのはスローライフだ! お互いが好きになって、好きになった人とキスをして、好きな人とエッチする——もっとお互いが分かってから初めて、リ、リネアを抱きたいんだ」
「ブルーノさん……結構、ウブなんですねぇ」
リネアが自分の指をくわえる。
うむ。自分でも子どもみたいなことを言ってると思う。
だが——三十路にして、俺は素人童貞なんだからな!
やっぱり、(プロ以外)の初めては好きな人としたい。
それに——ここでリネアを抱いても、彼女が悲しむと思うのだ。
「それに……ここはディック達の家だろ? 一階で寝てるであろう二人を起こしたら、どうするつもりなんだ」
「むー」
リネアはそう不満げな顔をして、
「分かりました。今日のところは自分の部屋に帰ります」
と俺から離れ、部屋から出て行こうと背を向けた。
リネアが出て行こうとする直前、クルッと顔をこちらに向け、
「……でもブルーノさんは一つ勘違いしていますよ。恩返しというのもあるんですが——だって私はブルーノさんのこと大好きなんですからね」
ウィンクをし、そう言い残して去っていった。
「ふう……一気に酔いも覚めたよ」
背中とか額が汗でべっしょりだ。
——ブルーノさんのこと大好きなんですからね。
最後の言葉が頭の中で反芻する。
俺、正しいことをしたよな?
しかし。
「……やっぱりもったいないことしたかな?」
少し後悔をして、ベッドの上で悶えるのであった。
◆ ◆
「おはようございます」
朝起きて二階に下りると、リネアがエプロンを着て台所に立っていた。
「お、おはよう……」
頭が痛い。
二日酔いが続いている。
リネアも俺と同じくらい飲んだというのに、そんな様子はなく、いつも通りの美しい佇まいであった。
『私、お酒強いんですからぁ』
昨日そう言ってたのは、あなたがち嘘じゃなかったかもしれない。
《そうよ。その子、なかなか強かな女よ》
「(お前、こんな時にも出てくるなよ)」
頭の中で女神の声が聞こえたので、声に出さずに応じる。
「(それにしても、強かな女って?)」
《酔っぱらっているふりをして、男を籠絡する。ビッチの常套手段だわ》
「ビ、ビッチっ?」
思わず声が出てしまったので、リネアに不審な顔を向けられてしまう。
「(……どういうことだ。リネアが、そんな男を取っ替え引っ替えするよな子なわけないじゃないか)」
《ふふふ、これはわたしの女としての勘よ。それにしてもあんた——素人童貞らしいわね》
「(な、なんでそれをっ?)」
《あんたの心の声はこちらに筒抜けよ。でも良い機会だわ。【スローライフ】があれば、女なんてあっちから群がってくるわよ》
「(なにが言いたい)」
《最後まで言わせるんじゃないわよ。女には困らないということよ! 何人も……いや、何十人何百人も嫁を作るのよ!》
「(そ、そんなこと出来るわけないじゃないか)」
《いいえ。あなたのスキルはそれが可能なのよ。わたしとしては、早くスキルを有効活用してもらいたいところだわ。そうじゃないと、【スローライフ】を作った意味がないから》
「(スキルの使い方がそれなのよかよ……)」
「おはよう……」「おはようなのっ!」
そうこうしている間に、ディックとマリーちゃんも起きてきた。
「おはようございます」
ニコッとリネアが笑みを向ける。
昨日あんなことがあったのに。
普段と変わらない様子。それどころか、鼻歌なんか歌っちゃったりしている。
「どうしました、ブルーノさん?」
リネアがこっちを見てきたので、つい視線を逸らしてしまう。
……ダメだ。リネアを直視出来ない。
《これだから素人童貞は》
「(うるさい)」
——そうだ。
リネアは昨日『恩返し』したいと言ってたな。
前々から考えていたことを、リネアに手伝ってもらうことにしよう。
「リネア——よかったら、朝ご飯を食べたらちょっと手伝って欲しいことがあるから、付き合ってくれないか?」
そう誘うと、リネアは一瞬きょとんとした顔をして、
「——はい!」
メッチャ可愛い笑顔で頷いてくれたのだ。
「それからリネア」
「はい?」
「その床に散らばっている破片みたいなものは——」
「わわわ、すいません! 朝ご飯を作ろうとしたら、三枚程お皿を割ってしまって……」
ドジなところも変わらないらしい。
◆ ◆
「喫茶店を?」
「そうだ」
イノイックの暮らしに慣れてきたら、街に小さな喫茶店を開きたいと思っていたのだ。
そんなに繁盛しなくてもいい。
静かな空間で本を読みながらでも時間を過ごし、お客さんが来たらコーヒーを入れてあげる。
これぞスローライフ。
当初は一人でやつもりであったが、リネアも手伝ってくれるなら、スローライフの楽しさが二倍にも三倍にもなる。
「それはいいですね! 私、コーヒーも好きなんです!」
リネアが笑みを向ける。
やっぱり可愛い……。
「どうしました? 私の顔になにか付いていますか?」
リネアが俺の顔を真っ直ぐと見つめてくる。
「い、いや! そういうわけじゃないんだが!」
慌てて、視線を逸らす。
やっぱりまだ昨日のこともあって、どうしても真っ直ぐとリネアを見ることが出来ない。
《相変わらずウブね。ここでキスするくらいの男らしさは見せて欲しいところだわ!》
うるさい。
ってか最近スキルの女神出てきすぎじゃないか?
《どんどん交信する時間が延びてきたのよ。これからバシバシあんたに指導してあげるわ》
「(なにがだよ)」
こうしていい感じにリネアと隣り合って歩いているのに。
余計な口を出されると、ムードもぶち壊しになる。
それにしても……。
「リネア……一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
リネアの顔を見て一瞬躊躇してしまうが、意を決して、
「あ、あのー……昨日のことだけど、やっぱりああいうのってリネアは慣れているのか?」
「——!」
俺が尋ねると、リネアは赤面した。
「な、慣れてなんかいませんよ! あんな風に男性に迫るのって初めての経験なんですからっ!」
「そ、そうなのか?」
「それに昨日は酔っていましたし……! し、素面であんなはしたないこと出来ませんっ!」
そうか——。
それは良かった。
女神に言われてから、少し気にしていたんだ。
「そ、それより一体私達は今からなにをするんですか?」
と話を無理矢理変えるようにしてリネアが質問してきた。