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原作開始前にヒロイン殺しちゃったんだけど、これは一体どうしたものか  作者: 上杉凛(地中海のマグロ)


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9/10

ドレスは順調に破けた



祭りから戻った夜、私は寝る前になっても赤い服の女の腕を思い出していた。


ジェイがどんな女と遊ぼうが私には関係ない。そう思って目を閉じたのに、今度はあいつが私を見て何事もなかったように視線を外すところまで浮かんでくる。


腹が立つ。


翌朝には気分を切り替えたつもりだった。実際授業中はジェイのことなど考えなかったし、エマと話している時にも思い出さなかった。

ただ学園でアルフレッドを見かけた時、祭りで見たジェイの笑い方がよぎった。どちらも人前ではよく笑う。でもジェイのあれは目の前の女に向けた笑顔ではなかった。アルフレッドは話している相手の顔をちゃんと見て笑う。


「リリア嬢」


アルフレッドが私に気づいて歩いてきた。


「来週の舞踏会には出る?」

「はい。父と一緒に参ります」

「それなら、またそこで」


軽く挨拶を交わし、彼は友人たちのところへ戻っていった。


来週の舞踏会。


そこで起きることも、私は知っている。


*


学園の夏季舞踏会は、王宮ほど堅苦しくはないと聞いていた。けれど会場へ入れば、広い広間には花が飾られ、楽団が演奏し、生徒の家族まで大勢集まっている。


私のドレスは淡い青色だった。男爵邸の侍女たちが仕立屋と相談して選んでくれたもので、軽い生地が歩くたびに揺れる。鏡の前で見た時には、我ながら随分と令嬢らしくなったと思った。


今夜、このドレスが破れる。


原作では、ヒロインが何者かにドレスを傷つけられ人前で裂けたところへアルフレッドが上着をかけて助ける。ゲームでは犯人がはっきり示されなかった。レティシアの取り巻きによる嫌がらせらしい、という程度だったと思う。


だから会場に入ってから、私はドレスより人の方を見ていた。


レティシアはアルフレッドと並んで客に挨拶している。近くにはいつもの令嬢たちがいたが、セシルだけが少し離れて立っていた。目が合うと、向こうから笑いかけてくる。


私も笑い返した。


踊りが始まり、何人かと話すうちにセシルの姿を見失った。別に彼女が犯人と決まったわけではない。あのお茶会以来、私が彼女を気にしているだけかもしれない。


しかし次に会った時には少し分かりやすかった。


「リリア様」


休憩に入った私へ、後ろからセシルが声をかけた。友人を一人連れている。


「今日のドレス、素敵ね」

「ありがとうございます。セシル様のも綺麗です」


言いながら、彼女たちの立つ位置を見た。セシルは私の真後ろ。連れの女は、すぐ横から半歩後ろへ回っている。


下手だなぁ。


私は正面の卓の上の飲み物へ手を伸ばすふりをし、足を少しずらした。後ろの女の靴先が、ドレスの裾へ乗るのを感じる。


ここで振り返れば、彼女はきっと謝って足をどける。私は気づかないふりをした。飲み物を選んで迷っている様子を演じる。


「お母様が選んでくださったの?」


そんな私を待つでもなく、後ろからセシルが尋ねる。この前の続きをやるつもりだろうか。私は笑った。


「男爵家の侍女たちと一緒に選びました」

「まあ、そうだったの」


後ろの女が裾を踏んだまま、少しだけ足を引いた。布が張る。私はそのまま卓から飲み物を取って一歩進んだ。


びり、と音がした。


思ったより大きく裂けたらしい。足元の生地が急に軽くなり、周りの会話が途切れる。


私は動きを止めて裾を見下ろした。後ろ側から縫い目が開き、飾り布まで外れている。下に重ねた布があるので肌は見えていないが、舞踏会のドレスとしては十分ひどい姿だった。


「……あら」


声に驚きを乗せる。


セシルの連れは青ざめていた。セシルもこちらの裾を見ている。二人とも、こんなに派手に破れるとは思っていなかったのかもしれない。


私は二人の顔を覚え、それから視線を上げた。


アルフレッドがこちらを見ていた。


さて。ここからどうなる?


「リリア嬢」


彼は人の間を抜け、すぐそばまで来た。私は困ったように笑う。


「すみません。少し裾を踏んでしまったようで」

「怪我は?」

「ありません。ただ、このままでは……」


言い終わる前に、アルフレッドが自分の上着を脱いだ。


彼が私の肩へかけた途端、周りから小さく息を呑む音がした。布は温かく、想像していたより重い。


「控室まで行こう。人を呼ぶよ」

「ありがとうございます、殿下」


私は上着の前を押さえた。


原作通りだ。


本物のリリアがいなくても、ドレスが破れればアルフレッドは上着をかけてくれる。彼はそういう男なのだ。


近くにレティシアの姿が見えた。彼女は一瞬だけ私たちを見て、すぐに侍女へ指示を出した。替えの服を用意するのだろう。あの状況で婚約者の上着を取り返しに来たりはしない。


いい判断だと思う。誰が見ても、事故を気遣っている王太子と助けられた娘に見える。


控室へ向かう途中、アルフレッドが低い声で言った。


「本当に、自分で踏んだの?」

「どうしてですか?」

「後ろに人がいたから」


見ていたのか。


私は彼を見上げる。穏やかな顔をしているが、目は笑っていなかった。


「裾が引っかかったのは分かりました。でも、誰のせいかまでは」


そこで言葉を切る。


アルフレッドは少し黙った。


「君がそう言うなら、今はそれでいい」


今は。


王太子は優しいだけの男ではないらしい。私は上着を肩へ引き寄せた。


「せっかくの舞踏会なのに、ご迷惑をおかけしました」

「君が謝ることじゃないよ」


彼は私を控室の前まで送り、侍女へ引き継いだ。その背中が広間へ戻るまで見送ってから、私は扉を閉めた。


侍女が替えのドレスを探しに行く。


一人になった私は、破れた裾を持ち上げて確かめた。踏まれたところから裂けたにしては、縫い目が随分きれいに開いている。先に少し糸を切っておいたのだろう。誰が、いつやったのかまでは分からない。


セシルがこちらへ話しかけ、友人が裾を踏んだ。


その二人が関わっているのは確かだ。


アルフレッドの上着をかけられた自分を鏡で見る。王家の色をまとった男爵令嬢。広間へ戻れば、誰もがまたこちらを見るだろう。


狙い通りではある。


それはそれとして、あの女たちが私の服を勝手に裂いたことまで、許した覚えはない。


私は開いた縫い目を指でなぞった。


誰の指示でやったのか。まずはそこから調べよう。


*


替えのドレスはレティシアの侍女が用意してくれた。


自分の服ではないので裾が少し短い。それでも広間へ戻るには十分だった。アルフレッドの上着を返そうとすると侍女に「殿下から、あとで構わないと伺っています」と言われる。


わざわざそう伝えてくれたのか。


私は上着を丁寧に畳み、侍女へ預けた。


広間へ戻ると、先ほどとは別の意味で視線が集まった。破れたドレスを見た者も、王太子が上着をかけた場面だけ見た者もいるだろう。どちらの話が広まるにせよ、今夜のことを忘れてもらうのは難しそうだ。


セシルは友人たちの輪にいた。私を見るとほんの少しだけ表情を強張らせ、それから笑う。


「リリア様。お召し替えできたのね」

「ええ。おかげさまで」


私は彼女の隣にいる娘を見た。裾を踏んだ本人は、私と目が合うなり手元の扇へ視線を落とした。


セシルが気まずそうにしているのが面白くて、もう少し眺めていたかった。けれど男爵がこちらへ来たので、私は二人から目を離す。


「災難だったな」

「すみません。せっかく用意していただいたドレスを」

「服などまた作ればいい」


男爵は私の格好を一通り見て、怪我がないことを確かめた。それから周りへ聞こえない声で続ける。


「誰かと揉めたか」

「まだ分かりません」


嘘ではない。裾を踏んだ女の名前は知っているが、誰が縫い目を切ったかは知らない。


男爵は私の返事を聞き、少しだけ眉を寄せた。


「分かった。今夜は私のそばにいろ」


守ってくれるというより、余計な騒ぎを起こすなと言われた気がした。今のところそのつもりはない。


私は男爵と一緒に客へ挨拶して回り、舞踏会が終わるまで大人しく過ごした。アルフレッドとは離れたところで一度目が合ったが、話す機会はなかった。


レティシアは彼の隣にいた。私と目が合っても、顔色一つ変えない。


今夜のことを彼女が知っていたのかどうか。それを確かめるには、セシルを見ている方が早そうだ。


*


翌日、学園へ行くと、案の定ドレスの話が広まっていた。


エマは教室へ入るなり私の席へ来た。


「聞いたわよ。怪我はなかった?」

「うん。裾が破れただけ」

「殿下が上着をかけてくださったって」


そこまで一息で言う。周りの生徒の耳もこちらへ向いている気がした。


「替えのドレスが来るまで貸していただいたの。もうお返ししたわよ」

「……そう」


エマが妙な顔をする。彼女は私の友人だが、王太子の婚約者が誰かも知っている。祝福していい話なのか判断しかねているのだろう。


「それより、昨日の会場にセシル様がいたでしょう」


私が声を落とすと、エマも少し身を寄せた。


「いたわね」

「隣にいた、薄い桃色のドレスの方は誰?」

「オーレリア・ダルクール様。セシル様とは昔から親しいそうよ」


名前が分かった。


「ありがとう」

「何かあったの?」

「ドレスが破れた時、近くにいたの。あとでお礼を言いたくて」


エマは私の顔をじっと見た。


信じたかな。まあ、信じなくてもいい。


昼休みには、セシルとオーレリアの家のことを調べた。図書室にある貴族名鑑は古いものだったが、家のつながりを見るには足りる。セシルの父親は王都で幾つかの倉庫を持ち、商人へ貸している。オーレリアの家は、その取引先だった。


意外なところで二人が繋がった。


縫い目を切ったのがどちらかまでは分からない。けれど、あのお茶会から続けて二度も私へ手を出してきたセシルを、ただの令嬢同士の嫌がらせで済ませるつもりはなかった。


数日後の夕食で、男爵が珍しく食事に手をつけなかった。皿の横には開いたままの書類が置かれている。


「何かありましたか」

「領地から届いた染め布を、王都の倉庫から出せなくなった」


染め布はエルヴァン家が商人へ売る予定の品だ。私は男爵の顔を見る。


「どうしてです?」

「倉庫の管理人が、荷の数をもう一度確かめたいと言い出した。保管を頼んだ時には確認を済ませていたのに、急にな」


男爵が書類を畳んだ。


「ヴェルナー家の南倉庫だ。あそこには以前から荷を預けているが、こんなことは初めてだ」


ヴェルナー。


私は舞踏会で笑いかけてきたセシルの顔を思い浮かべた。


「その倉庫は、セシル・ヴェルナー嬢のご実家のものですか」

「そうだ。……なぜそれを知っている?」


男爵が私を見た。私がセシルの名前を出した時点で、ただの荷の行き違いとは思わなくなったらしい。


「舞踏会で、少しありました」


私は食器を置き、ドレスが破れた時のことを話した。セシルに話しかけられている間、彼女の友人オーレリアが私の裾を踏んだこと。破れた縫い目を見る限り、前もって糸が切られていたこと。


男爵の表情が険しくなった。


「なぜその場で言わなかった」

「誰が糸を切ったのかは、まだ分かりません。でも舞踏会のすぐあとにセシル様の家の倉庫がうちの荷を止めたので、気になって」

「……なるほど」


男爵は書類をもう一度開いた。染め布を買う商人との約束の日も、そこに書かれているはずだ。何日も倉庫から出せなければ、男爵家の方が困る。


「私からヴェルナー家に話をする。お前は学園で騒ぎを起こすな」

「分かりました」


もちろん男爵にも動いてもらう。彼が表から話をつけられるなら、その方が早い。

ただ、セシルが自分の父親に頼んで荷を止めさせたのか、それとも別の誰かが動いたのかは知りたかった。

部屋へ戻り、私は机の引き出しから仕立屋の案内を取り出した。


連絡は取れる。ジェイが男爵邸へ繋げた経路だ。今までこちらから大きな頼みをしたことはなかったが、商人と倉庫の話ならあいつの方が男爵より早く内情を掴むかもしれない。


翌日、私は仕立屋へ手袋を注文する手紙を書いた。


色や寸法について記した普通の注文書だ。余白には決めておいた印を付け、火へかざすと浮かぶ文字でジェイへの用件を書き込む。


『ヴェルナー家の南倉庫で、エルヴァン家の荷が止まった。誰が止めたか調べて。舞踏会でセシルヴェルナーととオーレリアダルクールが私のドレスを裂いた件もある。二つが繋がるなら知りたい』


私は注文書をいれて封を閉じた。


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