お茶会にて
レティシアのお茶会には私を含めて六人の令嬢が集まった。
応接室の中央に丸い卓があり、レティシアは窓を背にして座っている。私は勧められた椅子へ腰を下ろし、紹介された令嬢たちの名前を順に覚えた。
セシル、マリアンヌ、エリス、あと二人。
名前と一緒に誰が誰の顔を見てから話すかも確かめる。セシルはレティシアの隣に座り、誰かが話すたびに一番大きく笑った。マリアンヌは私のドレスを一度見て、それきり興味をなくしたらしい。エリスは茶器へ目を落としたままほとんど喋らない。
菓子の皿が回され授業や教師の話が続いた。エマと過ごす昼休みより堅苦しいが、退屈ではない。誰もが言いたいことをそのまま言わず少し遠回りをしている。
最初に私へ遠回りをしてきたのはセシルだった。
「リリア様はお屋敷へ迎えられる前、お母様と二人で暮らしていらしたのでしょう?」
私は茶器を置いた。
「ええ」
「お母様は裁縫でお仕事をなさっていたとか。たいそう器用な方だったのね」
綺麗な声だった。ほかの令嬢たちも何気ない話を聞いているような顔をしている。
私はセシルを見た。
彼女は私の返事を待つより先に、ちらりとレティシアへ目をやった。口元には余裕のある笑みを浮かべているのに目が忙しい。自分の言葉が受けたかどうか、そればかり気にしていた。
ぼやっとした女だ。
セシルの横まで歩いていく自分が浮かんだ。彼女は私が何をするのか分からず困惑したような顔をするだろう。私はにっこり笑って肩へ手を置く。反対の手で卓のフォークを掴み、その細い首へ突き立てて、ぐり、とひねる。
絶叫が上がる。白い卓布へ血が散り菓子の皿を汚す。セシルが倒れたら、この部屋の連中はどんな顔をするだろう。
実際の私は椅子に座ったままだった。フォークも皿の横にある。刺したくなれば届く距離にいる相手だと思うと、さっきまで引っかかっていた言葉が急につまらなくなった。
今は笑って話してやってもいい。私はセシルへ笑いかけた。
「ええ。近所の方にもよく服の繕いを頼まれていたそうです」
「まあ。ではリリア様もお母様のお手伝いを?」
「私は針を持つたびに指を刺していました。母には向いていないと言われて」
小さな笑いが起きた。セシルは思った返事と違ったのかもう一度レティシアの方を見る。
「今はお針仕事をなさらなくてもよろしいものね」
「そうですね。おかげで助かっています」
私は茶を一口飲んだ。
「でも、驚きました。母が何をしていたかまでご存じなのですね」
セシルの笑みが止まった。
ほんの一瞬だったが、見逃さなかった。彼女は何と答えるか迷い結局曖昧に首を傾げた。
「耳にしただけですわ」
「そうでしたか。母が亡くなってからまだそれほど経っていないので。覚えていてくださる方がいるのは嬉しいです」
嬉しいわけがない。会ったこともない女だ。
けれど、この席の令嬢たちは知らない。少し寂しそうに笑ってやればセシルの方が死んだ母親を話の種にした女に見える。
「セシル様はお話を聞くのが上手なのね」
レティシアが口を挟んだ。
「けれど今日は、亡くなった方のことばかり話すために集まったわけではないでしょう?」
セシルがすぐに頷く。
「もちろんですわ。失礼いたしました、リリア様」
「いいえ」
レティシアは話題を変えた。セシルが自分の判断で始めたのか彼女に頼まれたのかは分からない。ただ、これ以上続けさせる気はないらしい。
次に始まったのは夜会のドレスの話だった。誰がどの仕立屋を使うか、今年はどんな色が流行っているか。私は菓子を一つ食べながら時々会話に加わった。
甘い。砂糖を随分使っている。目の前の菓子皿を全部売ればいくらになるだろう。そう考えてから、もう値段を気にせず食べてもいい身分になったことを思い出した。
お茶会が終わる頃にはセシルもまた私へ笑いかけてきた。先ほどの会話がなかったような顔をしている。私も笑い返した。
令嬢たちが一人ずつ退室し私も席を立ったところで、レティシアに呼び止められる。
「リリア様。少しよろしくて?」
ほかの令嬢たちが出ていくのを待つ。最後の一人が扉を閉めると、レティシアは私の前まで歩いてきた。
「今日はセシル様が失礼なことを聞いたわ」
「母のことですか」
「ええ。私からも謝らせて」
レティシアは真っ直ぐこちらを見ている。セシルのように誰かへ視線を走らせたりはしなかった。
「事実を聞かれただけです。母は裁縫をしていました」
「あなたは気にしないのね」
「母の仕事をですか?」
私が聞き返すと彼女は少し間を置いた。
「聞き方を、よ」
なるほど。私は笑った。
「セシル様は母のことに興味を持ってくださったのでしょう」
そんなわけないことは互いに分かっている。レティシアも追及せず小さく頷いた。
「そういうことにしてくださると助かるわ」
謝罪はここまでらしい。けれど彼女は私を帰すつもりがなさそうだった。
「殿下は人に親切になさるの。学園では特にね」
「私もご親切にしていただきました」
「ええ。聞いているわ」
近くで見ると本当に綺麗な目をしている。私が答えている間も視線を逸らさずに見ていた。
「殿下には多くの方が会いたがる。婚約者としては殿下とのお時間を大切にしたいの」
そういう言い方をするのね。
王太子に近づくなとは言わない。ただ、婚約者の前でこれからどう振る舞うのか答えさせたいのだろう。
「私から殿下をお誘いしたことはありません」
嘘ではない。中庭でぶつかり、旧校舎へ行き、王宮の東屋まで追いかけたのは私の意思だが、二人で話そうと言い出したのはいつもアルフレッドだった。
レティシアにはその違いが分かっているらしい。
「そうね。殿下がお声をかけたのだとしても、あなたがどうお答えになるかはあなた次第でしょう?」
私は少しだけ笑った。やっぱりこの女はセシルよりずっと面白い。
「おっしゃる通りです。今後は殿下のご厚意に甘えすぎないよう、気をつけます」
そう言って頭を下げる。レティシアはしばらく私を見ていたがやがて頷いた。
「分かっていただけて嬉しいわ」
「ご忠告、ありがとうございます」
次にアルフレッドから話しかけられても断るつもりはない。レティシアもそれくらいは分かっているかもしれない。それでもこの場で約束を取りつければ、あとで私がどんな顔をして彼と話すか見ることができる。
私も、彼女がどう出るか見てみたい。
「また学園で会いましょう、リリア様」
「はい、レティシア様」
私は礼をして応接室を出た。
廊下を歩きながらセシルの顔を思い出す。母親のことを調べて得意になっていたわりに、一言返されただけでレティシアへ助けを求めた。彼女の家のことも調べれば、もっと面白いものが出てくるかもしれない。
一方のレティシアは私が何をしているかをもう見抜き始めている。
それでいい。誰にも気づかれないまま王太子へ近づけるとは、最初から思っていなかった。
レティシアのお茶会のあとも学園では表立った騒ぎは起きなかった。
セシルは私と顔を合わせれば笑顔で挨拶をするし、レティシアも相変わらず礼儀正しい。アルフレッドが話しかけてくれば私も答えた。レティシアに言った「ご厚意に甘えすぎないよう気をつける」は、あくまで気をつけるという意味である。どこからが甘えすぎになるのかまでは誰も決めていない。
アルフレッドとは授業や本の話をすることが増えた。王宮での兄弟喧嘩に触れることはなかったが、エドガーと馬場で話していたとエマから聞いたので、あのあと会いに行ったらしい。仲直りできたかまでは知らない。
そうやって何事もない顔で過ごしているうちに、春が過ぎた。
夏の初め、王都で三日続く祭りが開かれた。
中心街には屋台が立ち並び楽師が通りを練り歩く。私はエマに誘われ、男爵邸の護衛を一人つけて祭りへ出た。エマも家の者を連れていたが人混みの中では少し後ろを歩いてもらっている。
「リリア様、こっちのお菓子を食べたことはある?」
エマが串に刺さった焼き菓子を指さす。
「ないわね。おいしいの?」
「分からないから聞いたのよ」
二人で笑い、一本ずつ買った。砂糖をまぶした生地の中に果実の餡が入っている。エマは熱いと言いながらすぐにかじり、私は屋台の値札を見た。
昔の私ならこの値段を見て買おうとも思わなかっただろう。今は味が気になっただけで買える。
焼き菓子を手に通りを歩きながら賑わう王都を眺めた。飾り布の掛かった建物も、笑いながら酒を飲む人々も見覚えがある。この辺りはジェイと何度か仕事の帰りに通った。祭りの日は人が多く、酔った客も多いから財布を抜くのには困らない。
その頃は屋台の品を買うより先に客が金をどこへしまったかを見ていた。
「聞いてらっしゃる?」
エマの声に顔を向ける。
「ごめんなさい、何の話?」
「今夜、広場で灯りを上げるんですって。見てから帰りたいなって」
「いいわね。護衛にも伝えましょう」
エマが嬉しそうに頷いた。
その先の交差点で道が少し広くなる。人の流れを避けようと脇へ寄った時、通りの向こうに銀色の髪が見えた。足が止まった。
建物に囲まれた小さな広場に何十人もの男女が集まっている。その中心にいる男を、私はしばらく見つめた。
ジェイだった。
最後に会った日からまだ一年も経っていない。顔を忘れるはずはなかったのに、一瞬知らない男かと思った。
私より少しだけ高かった背はずいぶん伸びて、周りにいる大人の男たちと並んでも小さく見えない。少年らしく細かった肩にも厚みが出ていた。黒いシャツの袖を肘まで捲り、片手に煙草を持っている。遠目には年上の男たちと大して変わらなかった。
ジェイの周りには昔から知っている顔もそれなりにいた。あとの男たちは知らない。二十を越えていそうな者も、もっと年上に見える者もいる。
その一人がジェイへ何か話しかけた。ジェイは煙草を咥えたまま聞き、短く返す。男は頷いて人混みへ消えた。入れ替わるように別の男が来る。
昔から人をまとめるのは上手かった。私たちの仲間の中で、ジェイに逆らう奴はほとんどいなかった。
けれど今、彼の返事を待っているのは同じ年頃の子供たちではない。
いつの間にあんな連中まで使うようになったんだろう。
「リリア様?」
エマの声がすぐ横で聞こえた。
「どうなさったの?」
「……いえ、知っている人に似た人がいて」
私は持っていた菓子を一口食べた。もう冷めている。エマが私の見ていた方へ顔を向けかけたので、空いている手で屋台の方を示した。
「あちらは何を売っているのでしょうか」
「わからないわ、見に行ってみましょう」
エマはすぐに興味を移した。私は頷きながらもう一度だけ広場を見る。
ジェイの肩に、赤い服の女が腕を回していた。
私よりいくつか年上だろう。胸元の開いた服を着た綺麗な女だった。彼女はしなだれかかりながらジェイの耳元で何か言って笑う。ジェイも笑ったが、目は少しも動かない。
ああ、あの顔。相手が何を言おうが大して聞いていない時の顔だ。
昔からジェイには女が寄ってきた。可愛い女も、綺麗な女も。気が向けば寝るが、次に会った時には名前も忘れているような相手がほとんどだった。
だから、あの女が特別だと思ったわけではない。ただ、肩に置かれた腕が妙に目についた。ジェイが女の腕を払わないことも、女が彼のすぐ横に立つことに慣れている様子も、見ていて面白くない。私がいるときは誰かがあそこまでジェイに馴れ馴れしくすることはなかった。あの腕を外したら、女はどんな顔をするだろう。
そんなことを考えて、自分でも馬鹿らしくなった。ここからわざわざ人混みを横切って、何をするつもりなのか。今の私はリリア・エルヴァンだ。祭りで知らない男に近づくところをエマや護衛に見られれば、あとで説明に困る。
視線を外そうとした時、ジェイが顔を上げた。
目が合った。
人が行き交う通りを挟んで、ほんの一瞬。それでも見間違えようがない。あの灰色の目を、私は子供の頃からずっと見てきた。
ジェイの手が止まる。
煙草の灰が落ちるより早く彼は私から視線を外した。隣の男へ顔を向け、何か言って笑う。女の腕もそのままだった。
私は立ち尽くした。
会っても知らない顔をしろと言ったのはジェイだ。私も分かっている。彼が声をかけたり、少しでも親しげな素振りを見せたりしたら私たちの繋がりを誰かに覚えられる。
分かっているけど。
「リリア様、行かないの?」
エマが少し先で振り返った。
「行くわ」
私は歩き出した。
ジェイがさっきどんな顔をしたのか、もう一度見たい気もした。けれど振り返らなかった。私が見ていると分かれば、あいつもまた知らない顔をするだけだろう。
祭りの音が戻ってくる。楽師の笛、客の笑い声、屋台から立ちのぼる甘い匂い。エマが次に何を買おうかと話しかけ、私は適当に返事をした。
ジェイは間違いなく今も王都のどこかにいる。連絡の紙一枚では分からなかったことが、今日は分かった。
それだけで十分なはずなのに、肩に回された赤い袖だけがしばらく頭から消えなかった。




