現実でゲームをやるのは難しい
7
旧校舎の正面へ回ると、先ほどまでの薄暗さが嘘のように明るくなった。大きな窓から陽が差し込み、床に長い四角形をいくつも作っている。廊下の奥へ進むにつれて壁一面に描かれた絵が見えてきた。
鎧を着た男たちが、城門の前で剣を掲げている。その上には雲を割るような光が描かれ、足元には大勢の人間が膝をついていた。色はところどころ剥げているが、絵の大きさだけでも描かせた人間の金のかけ方が分かる。
「建国の時の絵だよ」
アルフレッドが壁画の前で足を止めた。
「初代国王が王都を守った場面だそうだ。新しい校舎ができる前は、みんな毎日この前を通っていたらしい」
男爵邸でも習った歴史だった。国王が外から攻めてきた軍を退け、人々を守った。それをきっかけに諸侯をまとめ、今の王国を築いたという。
絵の中では国王の周りにだけ光が当たり、ほかの者は顔すらろくに描かれていない。絵を描かせたのが誰か、よく分かる。
「大きいですね」
とりあえず無難な感想を言う。アルフレッドが笑った。
「初めて見た人は、大抵そう言う」
「殿下は初めて見た時に何と?」
「僕?」
少し考えてから、彼は壁画の端を指さした。
「ここの馬が変だと思った」
見ると、騎士が乗っている馬の脚が一本多いように見える。下の兵士の脚と重なっているのかもしれないが、そうと分かるまでには時間がかかった。
「本当だ。何本あるんですか、これ」
「僕も数えたよ。結局、先生に叱られて途中でやめたけど」
王太子が建国の壁画の前で馬の脚を数えていたのか。少し可笑しくなって笑った。アルフレッドもつられて笑う。
「ほかの人にはあまり言わないでほしい」
「なぜです?」
「壁画の説明をするたびにみんな馬ばかり見るようになるから」
もう私もそうなった。せっかくの初代国王が気の毒である。そのことを冗談めかして伝えた。
「もう、殿下が教えたんですよ」
「そうだったね。僕の失敗だ」
彼は穏やかに笑ったまま、馬の方を見上げた。
人前で見るアルフレッドはいつも少し離れた場所にいる。周りが彼へ道を空け、話しかける時にも身構えるからだろう。とてもじゃないがただの学生には見えない。でも今は、昔ここで先生に叱られた話をしている一人の生徒に見える。
ゲームの中のアルフレッドに対してどんな質問をすれば好感度が上がるか知っていた。何を好み、どんな言葉を嫌うかもある程度は覚えている。
でも、馬の脚を数えた話は知らなかった。
「あら」
廊下の向こうから声がした。
顔を向けるとレティシアが立っていた。その隣には昨日と同じ令嬢が一人。二人とも旧校舎へ来る途中だったらしいが、私たちを見つけて足を止めている。
三日で二度目だ。さすがにいい顔はされないだろう。
私は先に頭を下げた。
「ごきげんよう、レティシア様」
「ごきげんよう、リリア様」
レティシアは微笑んで、それからアルフレッドへ向き直った。
「殿下。医務室で怪我をした生徒とお話しされていたと伺いました。大事には至らなかったそうですね」
「ああ。足を捻っただけだった。リリア嬢が先生を呼んでくれたよ」
その名前を聞いてもレティシアの笑顔は変わらなかった。
「それはよかった。リリア様も、驚かれたでしょう」
「ええ。でも殿下が先にあの子のそばへいてくださったので、私は先生を呼びに行けました」
レティシアの前で二人で少年を助けた話を大きくする必要はない。かといって、ここへ来た理由まで聞かれたら面倒だった。
「怪我をした生徒を医務室へ送り届けたあと、リリア嬢に壁画を見せていたんだ」
アルフレッドが振り返り、例の馬を指さした。
「昔、僕が馬の脚を数えて先生に叱られた話をしてね」
「殿下の着眼点には驚きました」
私が付け加えるとアルフレッドは少し笑った。
「言わなければリリア嬢は気づかなかったかもしれない」
「ええ。最初は国王陛下を見ていましたから。今はもう、馬の脚ばかり気になりますけど」
それを聞いたレティシアが壁画へ目を向けた。馬のところを見つけると懐かしそうに微笑む。
「覚えていますわ。殿下、あの日は先生のお話をまったく聞いていらっしゃらなかったでしょう」
「君まで覚えていたのか」
「隣にいましたもの」
アルフレッドは少しばつの悪そうな顔をした。レティシアはそれを見て今度は本当に楽しそうに笑った。
二人には私の知らない時間が山ほどある。
当たり前だ。婚約したのも学園に来たのも私よりずっと前なのだから。私が三日前の出会いを数えている間に、この二人は馬の脚で叱られた日のことまで共有している。
「そろそろ次のお約束のお時間ですわ」
レティシアが言うとアルフレッドは廊下の時計を見上げた。
「もうそんな時間か」
「先に参りましょう。皆様がお待ちです」
「ああ」
彼は私へ向き直る。
「壁画を最後まで見せられなかったね」
「十分楽しめました。ありがとうございました」
私が礼をすると、アルフレッドは笑った。レティシアはその横に立って私へ軽く会釈をする。
「それではね、リリア様」
「ごきげんよう、レティシア様」
二人が去るまで、私は廊下の脇に立っていた。
並んで歩く姿は絵になった。生徒がすれ違えば道を空け、彼らも自然にそれへ応える。誰が見てもいずれ国王と王妃になる二人だろう。
それを壊すつもりでいる。
私はもう一度壁の馬を見上げた。
絵を描いた人間は、初代国王を立派に見せることには随分気を使ったのだろう。けれど脚の一本までは見落とした。何年も人がこの前を歩き見上げてきたのに、そのまま残っている。レティシアが昨日と今日で私の何を見たのかは分からない。少なくとも、王太子の隣にいる私を二度見た。
三度目まで、ただの偶然で通るとは思わない方がよさそうだ。
*
その日の夕食後、私は部屋へ戻って学園の予定表を開いた。来月王家主催の茶会がある。
原作では、その席でアルフレッドと第二王子エドガーが言い争う。言葉の細かいやり取りは曖昧だが、途中でエドガーが立ち去りアルフレッドが追いかける場面までは覚えていた。
ゲームのヒロインはそこでアルフレッドを慰める。選択肢によって返事が変わり好感度も変わったはずだ。私は予定表を机へ置き、窓の外を見た。
今日の旧校舎で分かったのは王太子と話す機会なら作れるということだ。ただし、彼には私の知らない過去がありレティシアには私の知らない予定がある。ゲームで用意された場面だけを頼りに近づけば、いつか足元を掬われる。
次の茶会まで一ヶ月ある。
その間にアルフレッド本人のこともエドガーのこともう少し調べておこう。ゲームの中では選択肢を間違えればやり直せたけれど、ここでは一度しか選べないのだから。
私は机の端に置いた紙へ二人の名前を書いた。
少し考えてからその下にレティシアの名前も加える。
彼女が今後どう動くかは、原作の知識だけでは読めない。だからこそ見ておく必要があった。
*
それから一ヶ月、私は学園へ通いながらアルフレッドとエドガーの様子を見ていた。
アルフレッドとは廊下や図書館で何度か顔を合わせた。向こうから声をかけられることもあれば、私から挨拶することもある。旧校舎の一件については怪我をした少年がもう歩けるようになったと教えてくれた。
会うたびに長く話せるわけではない。王太子は人に囲まれていることが多く、レティシアが隣にいる日もあった。それでも彼が私の名前を覚え、見つければ笑いかけてくれるようになったのだから出だしとしては悪くない。
レティシアもよく私を見ていた。
すれ違えば挨拶を交わす。それ以上のことはない。彼女の隣を歩く令嬢たちも今のところは私へ何もしてこなかった。ただ、アルフレッドと話した日の翌日は決まって誰かの視線を感じる。
見ているのがレティシア本人なのか彼女の友人なのかは分からない。もっとも私だって彼女を見ているのだからお互い様である。
一方、第二王子エドガーは、ゲームで見た時よりずっと学園に馴染んでいないように見えた。
アルフレッドと同じ翠の目をしているが、人に向ける表情はまるで違う。廊下で挨拶されれば返事はするものの、立ち話はほとんどしない。授業が終わると馬場へ向かい一人で馬を走らせていることもあった。
気難しいだけなのか、人付き合いが嫌いなのか。近づく理由もないので遠くから見ているだけにした。
「お二人は、あまり一緒にいらっしゃらないのね」
ある日、昼食の席でそう言うとエマが誰のことかすぐに察したらしい。
「アルフレッド殿下とエドガー殿下?」
「ええ。学園で並んでいるところを見たことがなくて」
「そうね。以前はもう少し話されていたそうだけど」
エマはそこで言葉を切り周りへ目をやった。
「王家のことだもの。詳しいことは私も知らないわ」
私もそれ以上は尋ねなかった。
兄弟の仲が良くないという噂はある。母親が違い、エドガーの母方であるヴァルハイト侯爵家に大きな力があることも男爵邸で教わった。理由としてはそれで十分かもしれないし二人にしか分からない別の理由があるのかもしれない。
茶会で言い争うことは知っている。
けれど、原作の記憶にあるのはエドガーがアルフレッドへ何か言い、アルフレッドがそれを追いかけるように身を翻した場面だけだ。何が最初の一言だったのかは思い出せない。
私はそこでアルフレッドへ近づくつもりでいる。できるだけ近くで見ておいた方がいいだろう。
*
王家主催の茶会の日、私は男爵と一緒に王宮へ向かった。
庭へ通されると予想していたよりずっと人が多かった。学園の生徒にその親や王家と付き合いのある貴族たち。花壇を囲む小道では何組もの客が立ち話をしていて、給仕が茶器を載せた盆を手に間を縫って歩いている。
男爵に紹介された相手へ挨拶しながら、家名と顔を頭の中で結びつけた。爵位の順番は覚えたつもりだったが、実物を前にすると教科書ほど簡単ではない。
「疲れたか」
男爵が小声で聞く。
「まだ大丈夫です」
私は笑って答えた。
男爵は今日、娘の顔を何人かに見せたいのだろう。連れてこられた以上、失敗して彼の顔を潰すつもりはない。今後使える相手がいれば私にとっても得だ。
そのうち庭の向こうにアルフレッドを見つけた。招待客に囲まれ、一人ずつ顔を見て話している。学園で会う時とは違う王太子としての顔だった。
こちらに気づいた彼が小さく頷いたので、私も礼を返す。それだけで済ませ、男爵について次の客のところへ向かった。今、無理に話しかける必要はない。
しばらくしてエドガーの姿も見つけた。庭の端、木陰に近いところで若い貴族たちと話している。彼らの一人が何か言うと、エドガーは口元を歪め持っていた菓子を皿へ戻した。
すでに機嫌が悪そうだ。
私は男爵が知人と話し始めた隙に近くの卓から茶を受け取った。エドガーが見える位置で立ち止まる。あまり露骨に見つめれば気づかれるので、庭を眺めるふりをしながら時々目を向けた。
やがて彼の周りの貴族たちが散った。エドガーは一人になってもその場を離れず木陰から庭の中央を見ている。
アルフレッドがこちらへ歩いてきた。来た。
私は茶器を持ったまま二人の方へ少し近づいた。庭を横切るふりをして小道へ入る。これで声は届く。
「さっき、侯爵家の方と話した」
アルフレッドの声だった。
「見てたよ」
エドガーは兄を見ずに答える。
「僕からも説明させてほしい。お前を蚊帳の外にしたかったわけじゃない」
「もういい。俺の意見なんてどうでもいいからな」
何の件かまでは分からない。アルフレッドが言葉を選ぶように間を置いた。
「お前が頼りないとかどうでもいいとか思ってるわけじゃないよ」
「だったら最初から俺にも話せよ」
エドガーが顔を上げる。声が少し大きくなった。
「決めてから知らせるなら、俺がそこにいる意味ないだろ」
アルフレッドの顔から笑みが消えた。
「そういうつもりじゃない」
「いつもそう言う」
近くを通った給仕が二人に気づいて足を速めた。私は茶を口へ運び、木の向こうへ視線を向ける。
原作ではここでレティシアはいなかったはずだ。けれど今、庭の中央から彼女が二人へ近づいている。
「殿下」
レティシアがアルフレッドの隣へ立った。
「皆様がご覧になっています。続きは別の場所で」
「分かっている」
エドガーが短く答えた。彼女へ向けた目は冷たい。
「兄上には、君がいつも教えてくれるんだな。どこで何を話すべきかまで」
レティシアの表情は変わらなかった。
「お二人のために申し上げています」
「だったら、兄上と話していてくれ」
エドガーはそう言って二人の横を通り過ぎた。レティシアは彼を呼び止めなかった。
アルフレッドが追いかけようと一歩踏み出す。エドガーはそれに気づいて振り返った。
「来るなよ。今は話したくない」
庭の端にいた客までこちらを見た。
アルフレッドは足を止めた。エドガーが去ったあとも、しばらくその場に立っている。レティシアが何か話しかけると彼は首を横に振った。それからアルフレッドは一人で噴水の奥にある小道へ入っていった。
私は茶器を卓へ戻した。
ゲームでは、ここからヒロインがアルフレッドを追う。レティシアはいなかったし兄弟が何を言い争ったのかもはっきり聞こえなかった。
今日、エドガーは自分抜きで物事を決められたことに怒っているようだった。アルフレッドはなんだかわからないが彼を庇おうとしていたように見える。二人とも言いたいことを言いきらないまま、別れた。
アルフレッドが向かった先は覚えている。噴水の奥の東屋だ。ただすぐに追えばレティシアに見られる。
私は近くの令嬢に挨拶し、二言三言話した。相手が別の客へ呼ばれたところでようやく小道へ足を向ける歩きながら、もう一度だけ振り返った。
レティシアはまだ庭にいる。こちらを見てはいなかった。
さて。アルフレッドはヒロインに何を聞かれたいんだろうね。噴水の奥へ進むと、庭の賑わいが遠ざかった。
小道は低い生垣に挟まれ、曲がった先に白い東屋がある。原作で何度も見た場所だった。ただ、画面には鳥の声も靴の下で小石が鳴る音もなかった。
東屋の前まで来て私は足を止めた。アルフレッドは一人で腰掛けていた。こちらには背を向け、庭の外へ続く木々を眺めている。どう声をかけよう。
ゲームには選択肢があった。
「弟君もきっと分かってくださいます」と励ますか、「殿下は間違っていません」と味方をするか、確かそんなところだった。選ぶ文によって表情が変わったのを覚えている。
しかしどちらもさっきのエドガーの顔を見たあとでは言いづらい。何か理由があるから怒ったのだろうし、アルフレッドが間違っていないかどうか私は事情すら知らない。
「殿下」
振り返ったアルフレッドが私を見て目を瞬いた。
「リリア嬢。どうしたの?」
「庭を歩いていたら、お姿が見えたので」
ずいぶん都合のいい偶然だが、向こうもそれを指摘しなかった。
「そう。あそこは人が多かったから少し休みに来たんだ」
アルフレッドは東屋の隣を示した。座れという意味らしい。私は礼を言って少し間を空けて腰を下ろした。
近くで見ると、彼の顔には疲れが残っている。王太子でも茶会の途中で弟と喧嘩をすればこういう顔をするのか。
しばらく、どちらも話さなかった。
静かな時間が続くほど彼の方から口を開くかもしれない。私は庭で聞いた兄弟の会話を思い返しながら待った。
「さっきの、見ていた?」
やはりアルフレッドが先に尋ねた。
「少しだけ」
「みっともないところを見せたね」
「そうでしょうか。ご兄弟で意見が違っただけに見えました」
彼は笑わなかった。
「エドガーは僕が何でも勝手に決めると思っている」
「殿下は先にお話しされたつもりだったのですか?」
「いや」
アルフレッドはすぐに首を横に振った。
「彼に話す前に、もう決まっていた。侯爵家からの要望を退けることにしたんだ。エドガーもその方がいいと思うはずだと僕が決めつけた」
なるほど。さっきエドガーが怒っていたのは要望が通らなかったことより、自分抜きで話が進んだことらしい。
「僕は巻き込みたくなかったんだ。デリケートなことだから」
「でも、殿下が決めたあとで知らされたら殿下のお考えに従うしかなくなりますね」
言ってから、少し踏み込みすぎたかと思った。
アルフレッドがこちらを向く。私は目を逸らさなかった。彼の顔には怒りよりも意外そうな色が浮かんでいる。
「……そうだね」
彼は膝の上で手を組んだ。
「よかれと思って、エドガーが選べるものまで先に決めてしまったのかもしれない」
王太子の判断が正しかったかは知らない。侯爵家の要望が何だったのかも聞いていない。ただ、あの弟は兄に相談されたかったのだろう。
「殿下はエドガー殿下にそれをお伝えするつもりですか」
「今すぐは、聞いてもらえないだろうな」
来るなと言われたばかりだもんね。
私は返事をせず、庭の方を眺めた。アルフレッドも少し黙っていたがやがて小さく息を吐く。
「君と話していると言い訳を途中でやめたくなる」
「それは、お話ししづらいという意味でしょうか」
「逆だよ」
彼は今度こそ笑った。
「ずっと僕の味方をしてくれる人もいる。でも、何を間違えたかまで聞いてくれる人は少ない」
私が聞いたのは、間違いを教えてやるためではない。エドガーとの関係が分かれば次に二人へ近づく時に使えると思ったからだ。
それでもアルフレッドは、私との会話を気に入ったらしい。
「弟君とお話しできるといいですね」
私はそう言って立ち上がった。これ以上長居すると、庭へ戻った時に面倒になる。アルフレッドは見上げてきた。
「もう行くの?」
「父が私を捜しているかもしれません」
「ああ、そうか。引き止めてすまない」
彼も立ち上がり、東屋の出口まで一緒に歩いた。
「リリア嬢」
「はい」
「話せてよかった。また学園で」
王太子の方からまた会いたいと言ってくれた。
私は嬉しそうに笑って礼をした。
「はい、殿下。また学園で」
小道を戻りながら、少しだけ振り返る。アルフレッドはまだ東屋の前に立っていた。私が見ていることに気づくと片手を上げる。
穏やかで、真面目で、人の言葉を聞ける男。
思っていたより悪くない。
もちろん悪かったからといって王太子を手に入れる方針が変わるわけではない。しかし相手にしていて退屈しなさそうだと分かって少し楽しみになった。
庭へ戻ると、茶会は何事もなかったかのように続いていた。エドガーの姿はなくアルフレッドもまだ戻っていない。さっき二人を見ていた客たちまですっかり別の話題で笑っている。
貴族って便利だね。都合の悪いことが起きてもみんな見なかったふりが上手い。
男爵を探して歩いていると、レティシアが花壇のそばに立っていた。目が合う。私は近づいて先に頭を下げた。
「レティシア様」
「リリア様。お散歩は楽しかった?」
にこやかな声だった。見られていたらしい。私は同じように笑う。
「ええ。王宮のお庭は広いですね」
「そうね。初めていらした方は迷われることもあるわ」
昨日までの私ならただの世間話に聞こえただろう。今日は違う。レティシアは、私がどの道を歩いたのか知っている。
「学園では何度も迷いましたけれど、今日は父との待ち合わせ場所を覚えておりますから」
「それなら安心ね」
レティシアは微笑んだまま手にしていた扇を閉じた。
「来週、親しい生徒たちで小さなお茶会をするの。リリア様もいらっしゃらない?」
王太子の婚約者からの誘いだ。断る理由を探すより、受けて相手の顔ぶれを見る方が早い。
「ぜひ。お招きいただけて嬉しいです」
「よかった。詳しいことは学園でお伝えするわ」
レティシアは横を通り過ぎる前に、もう一度私を見た。
口元は笑っている。目の奥は初めて会った日よりずっと冷たい。あの茶会に呼ばれるのは、仲良くなるためではなさそうだ。
私は男爵の姿を探しながら思わず笑った。
ようやく向こうから来た。




