成り変わるのって大変
一週間後。
「いけそうだぜ」
開口一番、ジェイはそう言った。私は部屋で下の子がスってきた財布の中身を選り分けながらぱっと顔を上げた。
「ほんと?」
「多分な」
「そこは絶対って言ってよ」
「絶対なんかあるわけねぇだろ」
ジェイは足元に転がっていた木箱を蹴ってこちらへ寄せると、その上にどかっと腰を下ろした。一週間前より少し頬がこけている。まともに寝ていなかったのだろうが、聞いたところで素直に答える男ではないから聞かない。
「まずリリアの母親。名前はアンナ・ベル」
「アンナ」
ジェイが懐から折り畳まれた紙を取り出した。その時袖が少しずれて腕に残る古い火傷の跡が一瞬見えた。
「エルヴァン男爵家で下女やってたのが十六年前。そこで男爵に手ぇ出されて腹が膨らんだ」
「うん」
「正妻にバレる前に追い出された。金は多少渡されてる」
「その辺は予想通りね」
「で、ここから1番気にしてたこと」
ジェイが紙を指先で叩いた。どうやら本番はここかららしい。私は息を止めた。
「男爵家の人間で、あの女の顔を知ってる奴がいるかどうか」
ガバッと身体を起こしてジェイを見つめた。1番大事なポイントである。もし顔が割れてたら全てがおじゃんになるからね。
「いた?」
「今のところ、いない」
思わず息を吐いた。
「よかったー」
「まだ安心すんなって」
「分かってるわよ」
ジェイは小さくあくびをしながら再び紙に目を落とした。
「男爵本人は会ったことなし。絵姿も持ってねぇ。母親が出てってから十五年、一度も直接会ってない」
「そこは最高ね」
「ただ今回引き取るって決める前に多少は調べさせてる」
まあさすがにそうだろう。
「誰に?」
「男爵家お抱えの商人の使いだな。二回パン屋の近くまで来てる。リリアとは接触はしてないけど顔は見た可能性はある」
「……まずいじゃん」
眉間に皺がよったのをジェイが腕を伸ばしてぐりぐりと揉みほぐしてきた。いたいいたい。離せバカ。
「んでももう名前も家も仕事も押さえたからな。そいつが何を見て、誰に何をどこまで報告したのか分かればいい」
「そんなんわかるの?」
「方法は何でもあるだろ。まあ任せとけよ」
さらりとしている。金を渡すのか脅すのか酒を飲ませるのか必要ならもっと別のことをするのか。まあその辺りをいちいち聞く必要はない。ジェイがやると言えばやる。
「それ以外は大したことねぇな。母親のアンナを知ってる古い使用人が何人か残ってるってくらい」
「リリアの顔は?」
「知らねぇ」
「じゃあいいじゃん」
「まあな」
ジェイもそこには大して興味がないらしい。じとっとした目で紙を眺めている。眠そうだ。
「母親の話を多少振られるかもしれねぇから、分かる範囲は覚えとけって程度。どこで生まれたとか、母親が何の仕事してたとか、そのへん」
「はいはい」
「あと男爵家に関してだけど、正妻との娘が馬車の事故で死んだのが二ヶ月前。息子は11」
ジェイが紙をめくる。カサリと部屋に音が響いた。
「男爵が今さらあの女を拾う理由も大体分かった」
「なに?」
「娘って札が欲しいんだろ」
私は首を傾げた。
「嫁に出せる娘」
あーね。そういうことか。貴族は家のつながりが大事だと聞く。まあでも少し違うけど、似たようなのは市井でも良くある話だよね。借金の肩代わりの代わりに娘出すとか、商人同士が事業のために婚姻でつながるとか、そういう系か。
「家を継がせる息子はいる。でも娘が死んで婚姻に使える札がなくなったってわけ?」
「そういうこと」
ジェイは煙草を咥えながら答える。
「どことどう繋ぐかまでは決まってねぇみたいだけど、貴族の娘なんて持ってて損はねぇんだろ」
「なるほどね」
貴族も私たちと大して変わらない。何を持っているか、誰と繋がっているか、何を差し出せるか。娘だろうが金だろうが繋がりだろうがそれが価値を持つなら使う。
「それならなおさら都合いいじゃん」
「何が?」
「男爵は私を可愛がりたいんじゃなくて、使える娘が欲しいんでしょう?」
「だろうな」
「だったら多少顔が似てるとか、母親の面影があるとかより、ちゃんと娘として使えるかの方が大事じゃない」
拳を握って力説するとジェイは大笑いした。こいつのツボは相変わらずよくわからない。
「たくましくてなにより」
そう言って煙草に火をつける。肺いっぱいに吸い込んでから、ふう、と横へ煙を吐いた。白い煙がゆっくり天井へ上っていった。
「パン屋は?」
「片づいた」
はやくないか?まあそんなもんか。男同士のそこら辺のやり取りは私にはよくわからない。
「うちの若いのがあの女とできてて、夜逃げしたってバルドに話通して、バルドがパン屋に」
「信じた?」
「一発」
思わず吹き出した。一発かぁー。さすがだ。
「ひどい信用のなさね、リリア」
「パン屋の親父なんか、やっぱりかって言ったらしいぜ」
とうとう声を上げて笑ってしまった。死んでもなお説得力があるとはたいした女だ。
「男爵家から人が来たら?」
「娘は少し前から姿を見せてない。男と逃げたと思ってた。男爵家のことなんか知らなかった、で通す」
「バルドになんか言われた?融通きかせた見返りとか」
「もう対価は支払った。解決済み」
あっさりと言い放つ。対価とはなんだろう。お金を動かした形跡はなかったように思うけども。あのバルドが端金で動くとも思えない。がめつい男だ。
「何したの?」
「言わねぇ」
「なんで」
「知らねぇ方がいいから」
少しだけ眉を寄せる。こういう時ジェイは絶対に言わない。経験済みだ。
「それとお前がリリアになった後の話だけど」
ジェイが煙草を挟んだ指をこちらに向ける。煙がこちらに流れた。
「わかってるとは思うが男爵家に入った瞬間からこっちとの繋がりは切れよ」
「…………」
ジェイが続ける。
「スラムの奴らと付き合いがある男爵令嬢なんて怪しまれるだけだ。こっちに来るな。俺らと会うな。当たり前だが俺らの名前出すな。万が一見かけても知らない顔しろ」
「……ジェイも?」
「当たり前だろ」
何でもないように言うのが少しだけ気に食わなかった。当たり前だけど。当たり前だけどさぁ!
「なんか嫌」
「ガキかよ」
「15歳はガキでしょ」
「便利な時だけ15になるなよ。生まれた年もわかんねぇってのに」
ジェイが笑う。私は口を尖らせながらごろんと再びベッドに転がった。秘密裏にこっそり会うくらいはしたいんだけどな〜。流石に縁切りは嫌よ。
「でも連絡は?」
「最初は取るな」
思わず眉を寄せる。
「最初はって、どのくらい?ずっとなしは嫌よ」
「うーん分かんねー」
「えーー」
「男爵家の中がどうなってるか分からねぇうちに下手に動く方が危ないしなぁ」
ジェイは冷静だった。煙草の灰が床に落ちる。
「それにお貴族様の屋敷なんて管轄外だ。勝手がわからねぇから慎重に動く」
「じゃあ何かあったら?」
「自分で何とかしろ」
ちっ。冷たい奴。
「冷たーい」
「まあそう長くは待たせねぇよ。屋敷に出入りする商人、御者、使用人。その辺から一人引っ張れるだろ」
よかった。それならいいや。よろしく頼むね。
私が満足そうにうんうんと頷いているとジェイはそんな私を上から下まで眺めた。え、なに?なんか嫌な予感がする。
「つーかそんなことよりそのガラの悪さをどうにかしろよ」
「はぁん?」
自分を見る。ベッドの上にあぐらをかき片膝に肘を乗せ頬杖をついていた。この体勢はもう癖である。1番楽なんだよ。
「……平民なんだから別によくない?」
「平民とスラムのチンピラは違ぇだろ」
ぐうの音も出ない。正論ばっか言いやがって。ジェイは煙草を持ったまま私を指さした。
「礼儀知らねぇのはいい。ダンスできねぇのもいい。フォーク何本あるか知らなくても別におかしくねぇ」
「うん」
「でも人にガン飛ばすな」
「飛ばしてない」
失礼な奴だ。私はジェイにガンを飛ばした。
「飛ばしてる」
「普通の目よ」
「普通の女は初対面の相手の腰に刃物あるか確認しねぇんだよ」
私は黙った。普通の女とは。。。
「あとは後ろに立たれた時すぐに反応して警戒したりしないとかだな」
「それは無理じゃない?刺されたらどうすんのよ」
「はぁん?男爵家の食堂でいきなり刺してくる奴がいたらもう諦めろよ」
確かにそれはそう。そんな状況はもう死ぬべき運命だと受け入れるしかないかもしれない。
「あと喋り方」
「これは直せる」
「昨日、八百屋の親父にナメてんのかゴラって言ってただろ」
「あれは向こうがふっかけてきたからでしょ」
あの親父こっちが女だからってなめやがって許さない。ジェイがニヤニヤした。
「まあ別にお嬢様になれって言ってんじゃねぇよ。お前は平民育ちなんだから、貴族のことなんか何も知らなくていい」
「分かってる」
「手が荒れててもいい。髪が多少傷んでてもいい。言葉遣いだって最初から完璧じゃなくていい」
ジェイの目が細くなる。
「でも“貧乏な平民の娘”と“裏で人殺して金巻き上げて生きてきた女”は別だ」
思わず笑った。
「ずいぶんな言われよう」
「事実だろ」
「まあね」
「隠すのはそこ」
なるほど、妙に腑に落ちた。礼儀作法なんて知らなくて当然。むしろ15年間平民だった娘が最初から完璧に振る舞う方がおかしい。私が隠さなければならないのはそんなものではない。
「難しそうね〜」
「まあお前ならできんだろ。富豪相手の娼館で働いてた女も用意したからそいつに見てもらえよ。いろんな階層の奴みてきた女だから役に立つだろ」
「そうね、ありがとう」
お前ならできると何の迷いもなく言われた。ちょっとだけ気分がいい。
「いつ行くべきかな?」
「5日後くらいがいいんじゃねぇの?準備が整うギリだろ」
「わかった」
「その間にお前はリリアについて覚えろ」
紙束が投げられて受け止めた。ん?分厚くないか?
「これ全部?多くない?」
「成り代わるんだから当たり前だろ」
ぱらぱらとめくる。母親の名前。パン屋の店主。働き始めた時期。住んでいた部屋。好きだった食べ物。近所の知り合い。よく話していた客。etc。
「こんなのまでいる?」
「いらないかもしれない。でも知ってて困ることはねぇ」
ジェイはあっさり答えた。間違いない。
「ジェイ、顔見たかもしれない商人の使いの話なんだけど」
「ああ」
「もし見てたら?」
パン屋の常連客とか、街の人とか色々、ヒロインの顔を知ってる奴はたくさんいる。だがまあもう市井の人間と関わることもないだろうし、万が一顔を合わせることになったとしても、成長期だし数年も経ってメイクもして着飾ってればもう多少の違和感も誤魔化されて消えるだろう。
しかし商人の使いだけは話が別だ。
さりげなく落とした問いに束の間ジェイの目から笑いが消えた。
「その時考える」
「消す?」
「必要なら」
声音に何の揺れもない。
「でも殺しゃいいってもんじゃねぇしなぁ。そいつが急に死んだら逆に目立つだろうし」
「じゃあ?」
「金で黙るなら金。弱みがあるならそれ。仕事変えさせてもいい。王都から出せるなら出す」
煙草の灰がぽとりと落ちた。
「一番都合いい形にする」
私は笑った。
「頼もしい」
「お前が思いつきで貴族になるとか言い出すからだろ」
「楽しそうだったじゃない」
「楽しいよ」
即答だった。灰色の目が細くなる。
「スラムの女が貴族になって、王太子まで取るんだろ?」
「そうよ」
「途中でバレんなよ」
「ジェイがいるから大丈夫」
ハンッと鼻で笑い飛ばされた。むかつくーー。私は紙束を膝の上に置く。
「ジェイ」
「何だよ」
「もし失敗したら?」
この前と同じ質問。ジェイは煙草を咥えたまま笑った。
「死体は拾ってやるって言ったろ」
「そこは変わらないのね」
「死んだ後まで面倒見てやるんだ。十分だろ」
「せめて生きてるうちに助けてよ」
「助けられる範囲ならな」
軽い言い方。でも、それで十分だった。ジェイはできないことをできるとは言わない。何があっても助けるなんて綺麗なことも言わない。助けられない時も間に合わない時もある。死ぬ時は死ぬ。我々はそういう世界で生きている。
「ヘイリー、1個だけ」
ジェイが煙草を揉み消した。
「向こうに行ったら、自分が強いと思うなよ」
思わず眉を上げた。
「思ってないけど」
「思ってる」
「何よそれ」
「こっちじゃお前に喧嘩売る女なんかもうほとんどいねぇ。男も俺がいるから簡単には手ぇ出さない」
ジェイは淡々と言う。
「でも向こうは違う」
その言葉だけが、少し重かった。
「俺の名前なんか何の意味もねぇ」
「……うん」
「だから最初は黙って見ろ」
「何を?」
「全部」
誰が誰に頭を下げるのか。誰が誰を嫌っているのか。誰が何を欲しがるのか。誰の言葉に力があるのか。言われなくても分かった。それは私たちがずっとやってきたことだ。
「分かった」
今度は素直に答えると、ジェイが満足そうに笑う。
そのまま膝の上の紙束に目を落とした。リリア・ベル15歳。数ヶ月前まで元下女の母親と二人暮らしだったパン屋の看板娘。明るくて愛嬌があって、男に好かれて。
そして今はもう死んでいる。




