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また食べたいが止まらない異世界食堂  作者: あめとおと


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第3話:スープに隠された秘密



 朝の喧騒が、ひと段落したあと。


 パン屋の奥で、ことことと音がしていた。


 小さな鍋だ。


 火は弱い。

 けれど、確かに沸いている。


 近づくと、あの匂いがした。


 昨日、森で飲んだスープと同じ匂い。


「それ、今日のまかない」


 声をかけてきたのは、少女の母親だった。


 穏やかな顔をしている。


「好きに飲んでいいよ」


「ありがとう」


 木のスプーンを手に取る。


 表面には、刻まれた野菜が浮いている。

 色は、少し濁ったような薄茶色。


 湯気が、ゆっくりと立ち上る。


 すくう。


 ぽたり、と落ちそうになるのを受け止めて、そのまま口へ。


 ——あたたかい。


 まず、それが来る。


 体に、じんわりと広がる。


 塩気は、ある。

 でも、昨日より少し強い。


 野菜の甘みもある。


 けれど——


(……あれ?)


 少しだけ、引っかかる。


 飲み込んだあと、味が散る。


 まとまらない。


 昨日は、もっとこう——

 丸かった。


「どう?」


 母親が、優しく聞く。


「……美味しい」


 嘘ではない。


 ちゃんと、美味しい。


 でも。


 スプーンをもう一度、口に運ぶ。


 意識して、味を追う。


 塩。

 野菜。

 水。


 それぞれは感じる。


 けれど、一緒になっていない。


(なんでだ……?)


 鍋を見る。


 火は、少し強い。


 ぐつぐつ、とまではいかないが、

 絶えず動いている。


「これ、ずっとこの火加減?」


「うん。沸かしっぱなしの方が、早いからね」


 なるほど、と思う。


 もうひとつ、スプーンを口へ。


 今度は、ゆっくり。


 舌の上で転がす。


 やっぱりだ。


 味が、急いでいる。


 落ち着いていない。


「……少しだけ、火を弱くしてもいい?」


 恐る恐る聞く。


 母親は少し驚いた顔をしてから、すぐに頷いた。


「いいよ」


 火に手を伸ばす。


 少しだけ、弱める。


 それだけで、音が変わる。


 こと……こと……


 さっきまでの慌ただしさが、消える。


 ゆっくりとしたリズム。


 鍋の中が、落ち着いていく。


「それで、変わるの?」


 少女が覗き込む。


「たぶん」


 断言はしない。


 でも、感覚はあった。


 少し、待つ。


 何もしない時間。


 その間も、匂いはゆっくりと立ち上る。


 さっきよりも、柔らかい。


 尖りがない。


 スプーンですくう。


 さっきと同じ見た目。


 でも——


 口に入れる。


 ——じんわり。


 広がり方が、違った。


 最初に来るのは、同じ温かさ。


 でも、そのあと。


 塩が、前に出すぎない。

 野菜の甘みが、遅れてじゃなく、一緒に来る。


 舌の上で、ぶつからない。


 溶けるように、混ざる。


 飲み込む。


 余韻が、残る。


 さっきみたいに、すぐ消えない。


「……あ」


 声が漏れた。


 もう一口。


 確認するように、もう一度。


 ——やっぱりだ。


 丸い。


 角がない。


 体に、すっと入ってくる。


「ねえ、どう?」


 少女が待ちきれない様子で聞く。


 スプーンを差し出す。


「飲んでみて」


 少女が、口に運ぶ。


 一瞬、きょとんとした顔。


 それから——


「……あれ?」


 もう一口。


 今度は、ゆっくり。


「さっきと……違う」


 母親も、少し不思議そうにスプーンを取る。


 一口。


 静かに、目を瞬かせる。


「……ほんとだ」


 鍋を見る。


 材料は、同じ。


 何も足していない。


 変えたのは——


 火だけ。


「なんで……?」


 少女が首を傾げる。


 少し考えてから、言葉にする。


「急ぎすぎると、味が分かれる」


 鍋を指さす。


「ゆっくりだと、混ざる」


 うまく説明できているかはわからない。


 でも。


 口に入れれば、わかる。


 母親が、もう一度スープを飲む。


 今度は、少しだけ目を閉じて。


 味わうように。


 それから、ふっと息を吐いた。


「……優しい味になったね」


 その言葉が、しっくりきた。


 優しい。


 そうだ、それだ。


 強くはない。

 派手でもない。


 でも——


 もう一口、飲みたくなる。


 気づけば、またスプーンをすくっている。


 さっきよりも、ゆっくり。


 一口ずつ、確かめるように。


 でも、止まらない。


 腹が鳴るほどの刺激じゃない。


 けれど。


 気づいたら、全部飲んでいる。


 そんな味。


 器の底が見える。


 最後の一滴を、すくう。


 それを飲み込んだとき。


 じんわりと、満たされる。


 腹だけじゃない。


 体の奥が、温かい。


「……毎日、これ飲みたい」


 思わず、呟いた。


 少女が笑う。


「じゃあ、毎日作ろうか」


「作る」


 即答だった。


 母親が、少しだけ驚いた顔をする。


「そんなに気に入った?」


「うん」


 頷く。


 パンもいい。


 でも、これも違う意味で強い。


 派手じゃないのに、残る。


 また飲みたくなる。


 あのスープの匂いが、もう恋しくなっている。


 鍋の中で、ことことと音がする。


 さっきよりも、穏やかに。


 その音を聞いているだけで、腹が鳴る。


 ぐぅ、と。


 少女がまた笑った。


「ほんと、食べるの好きだね」


「うん」


 迷わず答える。


 スープの余韻が、まだ舌に残っている。


 優しくて、静かで。


 でも、確かにそこにある味。


 ——こういうのも、いい。


 そう思った。






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