35、齟齬
「あー、だめだこりゃ」
小さな背中を追って辿り着いた先は、壊れた馬車だった。
「これは酷い」
盗賊たちが乗ってきたのだろう。
なにかに衝突したのか、馬車は前方が完全にひしゃげていた。車輪ごと変形している。これでは馬が無事でも走れそうにない。
「魔物に襲われたのでしょうか?」
「たぶん、違うかな。魔物ならひしゃげるのは前じゃなくて、横だと思うし」
「捨て身でぶつけた、という線は」
「うーん、無い、とは言えないけど」
横倒しになった馬車の荷台は無事だ。
横に衝突された跡は見当たらない。
サラの話が本当だとすれば、盗賊たちは現れた魔物を前に逃げずに突撃したことになる。
運よく魔物を退けたとしても、馬車は粉々。今から獣人村を襲う予定なのに、そんな危険を犯すだろうか。
「小さい魔物だったとか?でも、それなら馬車がこんなに壊れるわけがーーん?」
なにか見えた。
ふと、顔を上げた瞬間にそれはあった。荷台によじ登るエマを無意識に視線で追ったその先に、それはあって。
「おーい、意識があるなら返事して」
少女が中腰で手を振る場所、その先から伸びていたのは白いーー
「ひぃ!?」
悲鳴を上げたのはサラだ。
彼女もエマの声に反応し、中を見てしまったようだ。口元を手で押さえ驚愕の表情で、荷台を見つめる。
魔王の前でさえ気丈に振舞っていたサラが、押さえきれない動揺に銀色の瞳を揺らす。先にあったのは。
「はあ、ダメそうね」
ーー白い手だった。
「ーーっ!」
手、5本の指がある手だ。血の気のない青白い人間の手が、荷台から伸びている。
「あっ、」
サラが地面にへたり込む。
腰が抜けたのか、カタカタと震える身体を抱き締めて荷台から目を離さない。
彼女にはなにが見えたのか。
サラの様子を訝しみルークが彼女の後ろへと移動する。そこには、やはり手があって
「もう、名乗るならしっかりしてよね。こんなんじゃ、聖女の名が泣くわ」
手の先には、がらんどうの瞳が転がっていた。
ひとりではない。ふたり、いやもっと。積まれるように手足を縛られた聖女たちが、力なく中に転がっていた。
「ーーーっ!」
気付いた時には駆け出していた。
聖女に手を伸ばすエマの腕を乱暴に掴み、軽い身体を床に引き倒す。小さな身体にのしかかり、もう片方の腕を首に手をかけようとしてーー
「あにすんのよ」
ーーー己の首に氷の刃が刺さっていることに気がついた。
「はぁ、はぁはあ・・・・・っぁ」
「突然なに」
「うよな」
「なに?」
「違うよな。これをやったのは、きみじゃない。魔王で、魔王だから」
「はあ?」
「勇者様!」
「違う。きみじゃない。きみは、こんなことはしない。だからきっと命令されてこれは洗脳できみの意思なんかじゃ」
「・・・・頭イカれてんの?」
「ーーっ!?」
邪魔。
その一言で、ルークの身体は吹き飛んだ。無様に土の上を転がり砂を舐める。追いかけてきた痛みで、脇腹を蹴られたのだと理解した。
「かは!」
「はぁ・・・この時代になっても、まだあんたみたいな奴がいるのね。しかも勇者とか笑えないんだけど」
狂人。
冷え冷えとした一言が胸に刺さる。痛む脇腹を抑えてエマを見上げれば、絶対零度の青が睨め付けていた。
背筋が凍る。
「普通、こんな美少女襲う?完全庇護対象の超絶女神様なこのわたしを。死んで人生やり直した方が良いわよ」
辛辣な言葉に返答はない。
圧が、身体を襲う。魔王ほどではないが少女が発しているとはおおよそ思えない怒気が、ルークへと向けられていた。
身体が竦む。
心臓が痛い。
「ねえ、あなた。あなたよ、ご立派なお洋服のお姫様」
「は、はい!」
「あなた仮にも聖女なんでしょ。なら普通止めない?それとも、強姦は黙認するのがパーティのルールなわけ?」
「強姦って!そんな」
「違うって言える?まだ年端もいかない少女を後ろから襲って、押さえつけて、首を絞めようとしたのに?」
「それは!それはあなたが!」
「あなたが、なに」
「ーーーーっ」
「だいたい、押し倒すとか潰れたらどうしてくれ・・・・はぁ。もういいや、勇者二度と近づけないで。次は止めないから」
諦観。サラを見て溜息をつくと、腹を撫でてから背を向けてしまう。
最初から期待などしていない。
そう語る背中にルークは胸を抑える。
「..........って」
待って。
呟きは声にならない。
自分から手を出しておいて、見捨てられた気分になるのはどうしてなのか。
相反する感情は、ルークですら制御が効かずに身の内でぐちゃぐちゃに暴れ回る。
待って、行かないで。置いていかないで。違う。お前のせいだろう。でも、行かないで。待って、まっ
「お待ちください!」
自分の内心が声になったのだと思った。跳ねるように顔を上げれば、叫んでいたのはサラだった。
「逃げるのですか」
「.....」
「これを、聖女たちに酷い仕打ちを強いたのに、それを置いて逃げると言うのですか」
「......」
「無言は肯定と見なします!」
エマは止まらない。
サラの声など聞こえないような足取りで、スタスタと歩いて行ってしまう。
視線が定まらない虚な聖女には目もくれない。くすねた杖を片手に、村の奥へと向かって行った。
「心が痛まないのですか!?」
引き止める言葉は届かない。
伸ばした手は空を切る。
まるでそこに居ないかのように。無言で。スタスタスタ。
これがサラには堪えたらしい。
「そちらがそのつもりなら……光の精霊よ!かの者は汝を攻撃する敵、追撃を防ぐ拘束を!決して解けぬ強固な縛りを!」
怒鳴るように叫ぶと、顔を真っ赤にして持っていた杖を構えた。こちらが止める暇はない。躊躇いもなく詠唱を始めると、エマに向かって魔法を放った。
「『黄金の枷』ーーっ!?」
魔法は瞬きの間に壊れて落ちる。
エマを囲うように出現した黄色の輪っかは、身体に触れる前に歪な音を立てて粉々に砕け散った。
ハラハラと地面へと降り注ぐ欠片を唖然と眺めるサラだったが、肝心のエマは振り返りもせず歩いて行ってしまった。
「なっ!っ......ッッー!」
圧倒的な実力差を前に言葉が詰まる。
吐き出そうとした暴言は、眼前の光景に喉奥で燻って舌を焼いた。
憎らしげに睨め付けた相手は、己の服が汚れるのも厭わずに地面に膝をついていた。血に濡れた獣人を抱き上げ、患部に杖を向けている。
「祈りを」
柔らかな光が獣人の身体を包み込む。
骨が見えるほど深く切りつけられた腕が、内臓が飛び出た腹部が、消えかけた命の火すらも、光は癒してみせる。
初級回復魔法。
聖女ならば誰もが扱える魔法。擦り傷程度の傷しか治せないそれは、光魔法の中でも初歩も初歩。誰でも、そう誰でも扱えるはずのちっぽけな魔法。
そのはずだ。
「どうして」
短い詠唱。軽く振られる安物の杖。対照的に、絶大な効果を発揮する回復魔法にサラは絶句した。
上級回復魔法。
一握りの聖女しか扱えないそれと同等の効果を発揮する魔法を、惜しげもなく使用する。その姿は金髪に蒼瞳もあいまって、伝承の初代聖女のように見えた。
サラから言葉が失われる。
「........あっ」
「エマ」
獣人が口を開こうとする。
遮るように黒い影がエマの前へと躍り出る。腰まである黒髪に赤眼を埋め込んだ美しい顔の男、魔王がゆるりとその小さな手を取った。
「そうはしゃぐな。身重なのだぞ」
「.........?みお.......ああ!そうね、あははっ、確かにそうだわ!」
白魚のような手に口付ける。
流れるようにエマの膨れた腹部に触れると、愛おしそうに双眼を緩めた。
「飛んだり跳ねたり、(メロンは)生まれた時は想像もしなかっただろうね」
くふくふと笑う幼児。
対してその瞳はまるで母のように温かい。ゆっくりと腹を撫で、慈しむ様は聖母のように思えた。
「み、おも?」
「みおもってなに......?」
「孕っているってことです」
「こども......こども......?」
「太ってたわけじゃ、ない...?」
アルトの言葉に我に変える。
身重、身重、子どもが腹に。
「俺、押し倒して.......」
衝撃的な事実。それに付随して、先ほどの己の行動がフラッシュバックする。
太っていたわけではなかった。
身重の少女を押し倒した。彼女が腹を撫でていたのは、あんなに憤ったのは腹に稚児を宿していたからで。あんな10にもならないような幼子が、こどもを。
「子どもってどうできるんでしたっけ」
「コウノトリが」
「ぶん殴りますわよ」
「男と....女が......でも、え?だって、エマちゃんってまだじゅう.....」
「........ どう!外道!このっ、なんたる.....っ!王だからと、王であるなら尚更に....っ!っ!」
湧き上がったのは途方もない怒り。
エマを洗脳するだけでは飽き足らず、純血を散らし孕ませていたなんて。
ルークの言葉を代弁するように吠えるサラ。アルトが重々しく頷いた。
一刻も早く引き離さなければ。
思いは同じだった。
アルトと目を合わせ頷く。
「サラ、落ち着いて」
「正常ではありません。正常では.....尊厳は、女性として人間として、こんなの.....可笑しくもなる」
聖女たちを道具のように扱う手で、獣人たちを治療する。相反する行動の全てが繋がっていく。
彼女はもう正常では無い。
壊されてしまったのだ。
捕らわれ凌辱され孕まされて。幼い心が壊れないはずがなかった。
「(メロン入れてても)可愛いでしょ」
「当然だな」
「ふふん!そうでしょう、そうでしょうとも。お腹が膨れたくらいじゃあ、わたしの可愛さは半減しませんとも」
「ああ、さらに磨きがかかった。余が夢見た身姿によく似ておる」
「デブ専だったの?」
勝ち誇ったように胸を張り、小粋なトークを繰り広げるふたり。側から見れば仲睦まじいやり取りが、今では哀れで胸が痛い。
きっと、己が孕むことに何の疑問も抱けないのだろう。
なんと哀れな。
早く助けなくては。
「もっと愛でていたいが、(メロンが重くて)辛かろう。そろそろ良いのではないか?」
「うーん、それもそうね。両手空いて楽だけど(メロン)重いから産むわ」
「ーー?!」
ルークは己の耳を疑った。
産む、産むと言ったか。
子どもは出そうと思って出せるものではない。自由意志に効かないものだ。
「ナイフは?」
「ある」
「黒紫炎龍だ。切れ味いいよね、それ」
まて、その禍々しいナイフで何をするつもりだ。
「ああ、動いて腹も空いたろう。すぐに食べやすい大きさに切る」
「その前に冷やさないとね」
「そうだな。やはり冷えた方が美味だ」
腹が空いて、冷やす?
彼らはなにを言っているのだ。
子どもだぞ。いまからそのナイフでエマの腹を捌いて子どもを出し、それを食べると言っているのか。
さも当然のように、なんて
「狂っている」
狂っている。
もうすでに取り返しの付かないほどに、彼女は可笑しくなっている。
吐き気が込み上げ喉を焼いた。
滲んだ涙は痛みゆえか。それとも。
「冷やすから、頃合いを見て切っておいて。その間に怪我人を見てくるから」
「もう良いのではないか?」
「魔王、それでいいのか魔王。自分の民でしょうに」
「エマに刃向かった時点で民ではない」
「暴君かな?」
スカートの中に手を入れようとするエマを静止させ、魔王が己の外装を彼女に着せる。すっぽりと収まった小さな身体をくるりと回して、向き合う体制を取った。
アンバランスな紳士的な行動を気味が悪いと感じた。
「そら、出すといい」
「はーい」
エマが外装に頭を入れる。
まさか、ここで始めるのか。
呆気に取られ固まるルーク。
我慢の効かなくなったサラが叫んだ。
「人の心はないのですか!?」
「あ?」
「こんなに小さな子に無体を敷いて、あげくに産んだ子ども食べるですって?外道、外道が!」
怯えていた彼女はいない。
瞳に涙を溜めて、声を枯らし、魔王に向かって正義を問う。向けられた悲痛な叫びに、魔王はただ首を傾げた。
「なにを騒いでおる。喧しいぞ」
「ーーっ!この!」
「シオン外装重い」
「ああ、すまぬ」
「エマさん!それは非道な行いです!魔王などに流されないで!」
「流す?ああ、川に?冷えていいかもね」
「エマさん!」
「取れたか?」
「うん」
よっこいしょ。
そんな掛け声と共に外装から顔を上げる。スカートの内側から持ち上げられた物体は、抱えるほど大きくてーーその時点でサラが目を背けた。
だがルークは見ていた。見てしまった。鎮座する薄緑の大きな球体を。
大事そうに抱えられた硬い外装、網目模様に覆われたそれは大きいなーー
「...............メロン?」
ーーーメロンだった。
「うーん、いい匂い」
「エマで熟したのか」
「気持ち悪い言い方しないで、元々塾してたから」
「そうか」
「何で残念そうなの」
メロン。
メロンだ。どう見ても。
「.........ん?」
「めろん」
「メロン......めろん?」
「え?メロンってなんですの」
「メロンなんだよ。うん、メロン」
動揺の声にサラが顔を上げる。
腕の中にあったのは赤子でも、魔族の子でも、未確認生命体でもない。
大振りのメロン。
「メロンを産んだ・・・・?」
「メロンって産めるんですの?」
「いや、そんなわけないでしょ」
初耳ですわ。
サラの一言でアルトが我に帰る。
「ただ腹に入れてただけで・・・・はぁ、とんだ茶番だ」
深すぎるため息をついてアルトがしゃがみ込む。
「なんでメロンなんて腹に・・・そもそも、身重って何だよ。ただのメロンじゃねえか」
あー、と唸って空を仰ぐ。
どうやら我々は彼らの寸劇を勝手に勘違いし、一喜一憂しただけだったらしい。鈍化した脳みそがようやく現実を飲み込む。稚児ではない。メロン。悪ふざけで、あれはそう、ただの果実。
「あは、あははははぁあぁ・・・・なんだか、ドッと疲れましたわね」
乾いた笑い声が空へと溶けた。
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