25、夢現
夜、デイビッドは何度目かの寝返りを打った。
昼間の出来事が頭にこびり付いて離れない。目を瞑るたびに瞼の裏で再生される冷え冷えとした青がチラついて、眠気はとうの昔に消えていた。
いちど外の空気でも吸いに行こうか。
重怠い身体を起こそうとした時だった。優秀な耳が物音を拾った。
「..........」
息を潜める。薄く瞳を開けて気配を辿ると、それはふたつあった。
偵察か、謀反か。
どちらにして捕まえればはっきりする。
反撃の機会を逃さぬように息を潜めると、枕元の愛刀を握りしめた。
「..........」
「..........っ、っっ」
窓辺にある気配に動きはない。どことなく息が荒いのは、緊張からくるものか。
これなら外の護衛は大丈夫だろう。
ルイが来る前に制圧するとしよう。
気配が後ろを向いた瞬間に、ベットから音もなく滑り落ち、走り出す。
握ったナイフを侵入者の腹に突き刺そうと構えた、その時だった。
「ヴッ」
呻き声。
一方が床に投げ捨てられ、デイビッドの足が止まる。窓から月明かりが降り注ぎ、ゆっくりと侵入者の顔を明らかにした。
黒曜石の髪に血色の瞳、誰もが見惚れる端正な顔立ちの男。
「魔王様...?」
魔王だ。
なぜ彼がこんな夜更けに己の部屋に。
それなら、床にいるのは。
恐る恐る覗いたその先には、煤けた黒髪に見慣れた灰色の瞳の男が蹲っていた。
「ルイ....?おい、ルイ!」
返答は咳。
殴られたのか、顔に酷いアザがある。
「なにがあった、なんで」
「部下を躾けるのは上司の責務だと聞いていたが、ここでは違うのか?」
「ーーっ!これはどういうことで?いくら魔王様といえど、理由もなく虐げる行為を許すことは出来ません」
「ほお、無防備に眠る淑女の部屋に、ナイフ片手に土足で侵入する行為は罪では無いと?」
「なんだって?!」
ルイはバツが悪そうな顔をした。
目は口ほどに物を言う。
真偽を問う必要は無いようだ。
非はすべてルイにある。デイビッドはすぐに膝をつくと頭を下げた。
「申し訳ございません」
「ほう、非を認めるか」
「どういった事情であれ、許しもなしに部屋に入るのは認められません。ですがどうかお願いです。ルイと話をさせて下さい」
「なぜ」
「苦楽を共にした友なのです。裁くための心の準備をさせて欲しい」
「エマの部屋だと言ってもか」
「それは......っ!」
聖女様を殺しに行ったのか。
唇を噛み締める。
許しもなしに淑女の部屋に入るだけでも、許される行為ではない。
罪は償わせるつもりだ。
だが長年の友として、長として
情状酌量の余地は見つけてやりたい。
例えそれが聖女様を殺しに行ったのだとしても、一抹の希望を信じたい。
対話を望んだ結果だと。
「.......はい、そうだとしても」
「対価は?お前はなにを差し出す」
「は?」
「余の時間を買うのだ。対価を払うのは当然であろう」
横暴だと叫ぶことはなかった。
シオンの手にあるソレに、言葉を発する余裕は消えた。
高質力の魔力を内包する筒型の道具、聖遺物が彼の手の中にあった。
デイビッドが胸元を探る。無い。懐に入れていたはずの聖遺物がどこにも。
「いったいいつ....」
「さて、覚えておらぬ」
「それを......いえ、お好きになさって下さい。対価はそれで十分でしょう」
「ああ」
あっさりとシオンが一歩下がる。
元より聖遺物が目的だったのだろう。
返してくれと嘆いたところで、譲渡から強奪に名前が変わるだけだ。
深く息を吐く。
元より聖遺物の運用は出来なくなった。アレのことは忘れる他ない。
それよりも、とデイビッドは床に転がる友の側に膝を付いた。
「なにがあった。なぜこんなことをした。どうなるか分かっていただろう」
「.....子どもたちが毒されたんだぞ。始末するのは当然だろう」
「毒...?」
デイビットはエマと子どもたちが別れる現場に立ち会ったが、彼らは元気いっぱいだったはずだ。
まさか体調が悪化したのか。
毒を盛られたなんて報告は無いぞ。
「毒だ。ロッティとコナーもやられた。カエラ以外は洗脳されてしまった....あれはいるだけで他者を汚染する!」
「おせん....ってなんだ。なんの話をしている?」
「分からないのか!魔法だ。アレは魔法で俺たちを洗脳し、意のままに操る化物だ!」
「そんな気配は無い。子どもたちに魔法なんて掛けてなかった」
「なにを言っている!アレを擁護する奴等は、みんな毒牙にかかったんだ!子どもも、ロッティも、みんな!」
ルイはなにを言っている。
会話をしているのに言葉が通じない。同じ言語なのに理解が出来ない。
唖然とルイを見る。
黙ったデイビッドにルイは嬉々として話しかける。理解したと思ったのだ。
「デイビット、今すぐにアレを殺そう!呪いを解くんだ。そうすれば元通りになる。すべてすべて平和なままだ」
「........ルイ」
「安心しろ、すぐには殺さない。洗脳を解くためにまずは拷問しよう」
「ルイ」
「どうした泣きそうな顔をして。そうか、魔王様が心配なんだな?大丈夫だ。アレを殺しさえすれば、なにも問題ない。魔王様も被害者なんだから、説明すれば分かって.....」
「ルイ!」
「.....どうした?」
「....がいだ。お願いだから、もうそれ以上は.....」
話さないでくれ。
ルイは壊れていた。
とっくの昔にきっと壊れてしまっていたのだ。救出してから、彼は人間とまともに会話していない。だから歪な心が表面化しなかっただけ。圧倒的な強者である人間の存在と対話し触れ合うことで、胸の内に燻っていた狂気が露見してしまった。
「なぜ、なぜ泣く。辛いことは無い。悲しいことは全部俺がやるからな」
「ごめん....ごめんな」
「なにも心配は、心配はいらない」
灰色がデイビッドを見ていた。
見慣れたそれは、淀みきって痛々しい濁った曇天だった。
気付いた。気付いてしまったからには、もう元の関係には戻れない。
沙汰を待つしかもう。
口内に血の味が広がる。いつの間にか、唇から血が溢れていた。
「話はすんだか」
「申し訳ございません」
「謝罪は不要。即、首を落とせ」
「デイビッドを責めないで下さい。あなたは洗脳されているから、我々の行動が正しいと理解できないだけなのです」
「ルイ!」
「淑女の部屋に土足で踏み込み、無防備な柔肌に刃を突き立てようとしたのだぞ?王都では極刑に値する。同族だから蛮行を許すと?」
「いいえ、然るべき処置はします。ですので、どうか、殺すことは」
「化物の部屋に入るのが罪?冗談でしょう。化物は法の対象にならない」
「お願いだ!黙っていてくれ!」
それが普通で当たり前。
不思議そうな顔をするルイに、デイビッドは声を荒げる。
彼になにを言えば自分の思いは伝わるのか。会話せずとも通じ合っていたはずだ。
瞳を見れば感情が理解できた。
相棒であった彼が、今は遠い。
長年築いたはずの信頼関係がハリボテだと知ったその瞬間から、デイビッドはルイが分からなくなっていた。
なにを言えばお前はーー。
「......デイビッド夜中に大声を出すな。突然怒鳴るなんて今日はおかしいぞ」
「.........なんだ」
「ん?なんと言った良く聞こえな」
「奴隷、だったんだ」
それはボロリと溢れ落ちた。
思考で埋まった真っ黒な脳みそから、隠していた過去が口から漏れ出る。
一度、口にしてしまえば駄目だった。後から後から溢れ出てくる。瘡蓋が剥がれ、開いた傷口からポタポタと。
「ドレイ?」
「俺はかつて奴隷だった。助けてもらったんだ初代聖女様に、命を.....」
なあ、ルイ頼むよ。
懇願するように彼を見る。
恩人なんだとデイビッドは言った。恩人なんだ仇で返させないでくれと。
「俺の思い出をお前が汚さないでくれ」
届け、届け、頼む。
縋るようにデイビッドはルイを見た。その顔に映っていたのはーー。
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