24、教育
柔らかな日差しが降り注ぐ昼下がり。
急ぎの書類が片付き、魔王様と遅めの昼食を終えた頃だ。食後の紅茶に舌鼓していると、彼らが飛び込んできた。
「お前たち、入室の許可を」
「長!」
「あいつ!人間が!」
“人間“という言葉に耳が跳ねる。
入室の許可も取らない無礼な態度に、憤るメイドの言葉を手で制する。
腕の中にはぐったりとしたカエラ。
緊急事態だ。話を促せば、彼女は吠えた。
「人間がカエラの手を!」
「........なにかされたのか?」
「凍らせたんだ!」
「なんだと!?」
机が揺れ、ソーサーに茶色い水溜りができる。デイビットはそれに構うことなくカエラに駆け寄ると、彼女の手を取った。
だがーー
「可哀想に、すぐに氷を溶かして....?」
ーーー氷などなかった。
右手、左手。順番に手を取り確認するが、氷など付いてすらいない。魔力の気配はするが、それも人間のモノより獣人の気配が色濃く感じられる。
「.......どこを凍らされた」
「だから手です!」
「そんなもの、どこにも無いじゃないか」
「あったんです!」
「凍らされて、証拠隠滅のために溶かされたんです!」
「お前はなにを言っているんだ....?」
凍らせた者が、証拠隠滅のために氷を溶かすはずがない。それなら最初から凍らせたりしないし、必要がない。
我々を床に這いつくばらせたように、少し威圧すればそれで済む。
「早く人間を罰して下さい!」
「全身凍らされて、カエラはこんなに弱ってるんですよ!?」
「全身?手と言っていただろう」
「手が先で全身を凍らせたんです!なんで、分からないんですか!?」
分かるわけがないだろう。
言葉をグッと飲み込む。
窓辺で優雅に紅茶を嗜む元凶の一味は、今回は傍観に徹するらしい。
内心で溜息を吐く。
彼女は冷静ではない。ひとまず落ち着かせて、ゆっくりと話を聞くことにした。
**************
女たちの話は支離滅裂だった。
先に手を出したのはカエラで、手を凍らせたのは白狐だと言う。
人間はその氷を溶かしただけ。
女たちを逃げぬように拘束こそしたが、それとて片足に蔦が絡む程度。
全身を凍らせたのも白狐で、人間はそれを全て解術したのだと言う。
だがその口で罵るのは白狐ではなく人間で、命の恩人ではなく悪人だと罰を求めた。
「教育の賜物だな」
魔王様からの皮肉に返す言葉が無い。
全ての罪は人間に集約する。
カエラが人間を殴ったのも、
白狐がカエラの腕を凍らせたのも、
カエラが全身を凍らされたのも。
すべて、すべて、人間が悪い。
イカれている、とデイビットは思った。
「白狐が嫌がる事をしたのは、お前たちの方だろう。なぜ人間を責める」
「あの子が肉を嫌がるのは、人間が洗脳しているからです!食べないように躾けられて、餓死するよう仕向けられているからです!」
「餓死をさせたいなら、なにも食べさせないはずだ。白狐は他の物は食べていたはずだが?」
「騙されてはいけません!人間は狡猾な生き物。自分に罪が及ばぬように、食べていると思わせるための策なのです!」
頭が痛い。
異常だ。女たちは狂っている。
この異常性を異常だと認識できなかったことが、最も異常だった。
自分もおかしくなっていたのだと、デイビットは気付いてしまった。
赤い瞳がこちらを嘲笑う。
助け舟は来ない。
「.....カエラを医務室に、お前たちも部屋で休むといい」
「人間に罰を!!」
「今回のことは完全に自業自得だ。人間を罰する理由にはならない」
「ですが!」
「村が焼土に変わる様を見たいのか!」
「っ!」
「相手は魔王様のツレ。問題にすればカエラの腕一本じゃあ足りない。お前の命で償う覚悟は?」
「.......っ、っ!」
女たちはなにも言わなかった。
デイビットの言葉に、ようやく紅茶を傾ける男が誰なのか思い出したらしい。
彼は魔王なのだ。
快、不快で生きている化物。
こんな村など指先1つで簡単に滅せる。
理性的な方だから、喧嘩程度なら目を瞑って下さるだろう。子猫の戯れだ。
だが、一方的なら?
御身の隣に立つ事を許した者を、一方的に嬲ったとなれば話は違う。
今度こそ、獣人は全滅する。
これは確定事項だ。
「もう一度だけ言う。家に、戻りなさい」
「...........はい」
ことの重大さに気付いても遅い。
会話は聞かれた。魔王様はこの村に愛着を持たれないだろう。
あの人間に次なにかあれば、きっと。
「冷静だな」
「一応、ここを納めていますので」
「残念でならない」
「それは、どちらの意味で?」
「さあ、どちらだろうな」
残念なのは、民の質か。
放火の大義名分の損失か。
どちらにしろ彼には粗末なことだ。
デイビットはメイドに机の上を片付けさせると、片膝をついてシオンに頭を下げる。
「此度のご無礼、どうかお許しを。白狐に対する献身がゆえの行動です。どうか、お目溢しを」
「貸しにしておく」
「はっ」
高い貸しがついた。
忘れていた痛みに胃を摩る。
気分転換でもしてこい、という魔王様の意向に従い部屋を後にした。
“森で良いモノが見られる“
すれ違い様に言われた言葉が反復する。
悪い予感しかいないが、王に逆らう気にもなれなかった。
いまは、ひとりになりたい。
隣人が狂人であった事実は、デイビットの心に重くのしかかって離れない。
教育の賜物。
村の大半は幼い頃から世話してきた者で、女もそうであった。狂ったのは偏った人間教育のせいと言われれば、言い返すことは出来なかった。
だが、だとしても。
「人間を善だとは教えられない」
人間は同胞を食い物にする獰猛で、狡猾な生き物だ。見てきた。
いくら外見を取り繕うとも、内側には醜い化物をいくつも飼っている。味わった。
ボロ雑巾にされた記憶は、今でも頭にこびりついて離れない。
肌に這い回る感触、刃物の冷たさ、頭に響く怒声、首に残る首輪の感覚が、色濃く染み付いて離れてくれない。
もう300年だ。
300年も経つのに。
「聖女......俺は間違っていませよね」
食事も喉を通らない。
己に対する嫌悪感が拭えない。
毎夜、悪夢に魘される。
それくらいなら。狂った方がきっといい。良いんだ。目を瞑ることすら出来ない人生になるくらいなら、いっそのこと狂っているほうが。
「だから、大人がいる」
声がした。
少女の声だ。甘くて強い声。聴き馴染みの良い涼やかな声色。人間の声なのに不快にならない、不思議な声。
「うわぁ!」
「すごい!すごい!」
声を頼りに辺りを見渡す。
開けたそこに人間はいた。
「ーーっ!?」
周りには子どもたちがいる。
なにを教えているのか、熱心な視線を向ける彼らに背筋が凍った。
洗脳される。白狐のように思想を弄られて、都合のよい玩具にされる。
湧き上がる怒りがデイビットを支配した。
首をへし折る。
両手を地面につけ重心を下げる。飛びかかろうと足に力を入れた時だった。
視界に泡が過ぎった。
「知恵をあげよう。術を授けよう。より良い未来に生きていけるようにね」
「ーーーっ!?」
“生きていけるようにしてあげる。知恵を術を授けよう“
聖女の言葉が頭を過ぎる。
同じ声色、同じ物言い、同じ慈しむような温かい音頭を持ったそれ。
幼児だった己に見せた戯れの魔法。攻撃性のない逃げることに特化した子供騙しの魔法が、現実に広がっていた。
小さな背中。揺れる金髪。シャボン玉の中で一際輝くサファイアの瞳。
なんども夢に見た光景がそこにある。
「どう、して」
彼女は死んだ。
300年も前に。
「ずる賢くなれ若人よ」
同一人物ではない。他人の空似だ。
あり得ないと否定する一方で、足が前へ前へと進んでいく。止められない。
我慢ができない。
もしかしたら、を否定できない。
人間は転生するという仮説が、頭の中に浮かんでは消えていく。
はやる気持ちで彼女の前に出た。
「ーーー、あ」
あの日のように名前を呼ぼうとして、振り返った彼女の瞳に口を継ぐんだ。
吹雪の夜がそこにはあった。
生物の生存を許さない冷たい瞳。子どもたちに浮かべていた笑顔は消え、口角だけを上げる繕った顔をしている。
心臓をわし掴みにされた気がした。
息が止まる。
「........さて、ここまでにしよう」
「えー!?」
「もっと教えて欲しいノヨ!」
「こら、大きい声で言ったらダメ。確実で練習するように」
「ぶー」
「ぶー」
「あはは、可愛い」
「またね、先生」
「また教えてね、先生」
「誰にも言うんじゃないよ」
『はーい』
子どもたちが通り過ぎていく。
手を振りながら親しげに、デイビットをすり抜けて村へと走っていく。
彼女は手を振りながらも、ジッとこちらを監視し続けていた。
喉が詰まるような感覚が襲う。
「こんな所になんのよう?監視?それとも、カエラのことかな。どっちにしても、子どもたちを攻めないでね。わたしの相手になってくれただけだし」
言葉が出ない。
記憶の中にある春の日差しのような柔らかな視線は、いまや敵意と疑念に満ちていた。
当たり前だ。それ相応の態度を取った。信頼などゼロに等しい。
「白狐のこともそう。なにを聴いたのかは知らないけど、罪を着せるようなら容赦はしないから」
「まっ」
返事は届くことはなかった。
伸ばした手は無意に空を切る。
ただ去って行く後ろ姿を、見ていることしか出来なかった。
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