17、狼
暴挙、それは乱暴な行い。
暴挙、それは良心に沿わない行い。
人間の良心は愛すべき者に向けられる。愛すべき者とはそれ即ち、子ども。子どもに対する悪行は、暴挙と呼んでも過言ではないだろう。
つまり、エマの行動は暴挙だ。
みんなのアイドルを独り占めした。
しかし、エマは子どもだ。
みんなのアイドルを集める権利がある。
これは暴挙には該当しない。
では、暴挙に当たるのは誰なのか。
言わずもがな、大人の獣人だ。
彼らはエマを蔑ろにした。
言わずもがな、それはシオンだ。
シオンはエマを置いて行った。
置いて行かれた。
朝食を振る舞われた席に。
散々上から目線で威圧し、哀れみ、ふんぞり返って女王様を気取ったのに。
置いていかれた。
「きみは目立つのでな」
その一言で、おいていかれた。
ぽんぽんと頭を撫でて、追随しようとするエマを押し返して放置された。
部屋にはエマがひとり。
ボッチ。お一人様。単体。寂しい。
「いつもの粘着質さは、どこに置いて来たのよ!!馬鹿!ばぁぁあかぁあ!」
別行動に不満はない。
やけにアッサリとしていた、とか思っていない。
見知らぬ土地でひとりで心細いとか、村に立ち入り禁止だから観光できないから暇で寂しいとか思ってない。
「置いてくことないじゃない!」
思ってないたら思ってない。
思ってはいないが腹はたつので。
温厚なエマもこれにはご立腹なので。
食堂から蜂蜜を拝借し、森に駆け出した訳である。
***************
八つ当たりではない。
因果応報。正当な権利のもと行われたカブトムシ大作戦だったが、残念ながら失敗に終わった。
ああ、悲しいかな。
増えるは動物ばかり。
狼を筆頭にわらわらと寄ってきて、駄賃だとばかりに身体に顔をスリスリと押し付けては、木の実を落として去っていく。
「あ、これ美味しい」
なにこれ、こわっ。
怪奇現象に最初こそ怯えていたが、慣れとは怖いもので数分も経てば、木の実を口に含んでいた。
くすねてはいるが、それでもエマに出される食事は少ない。
ありがたや、と腹の足しにしていく。
お礼はなにがいいだろうか。
「礼、いらない。もらってる」
「なんかあげたっけ?」
犬の獣人が空を指す。
そこには雲ひとつない青空と、染みがひとつ。染み、正確には染みではない。
欠けているのだ、結界が。
この村を覆っている結界が欠けて、染みのように見えている。
「ああ、結界ね」
「うん」
「なんで知ってるの?」
結界を張ったのは前の聖女だ。いまのエマではない。
長ですら知らなかった情報を、なぜ彼は把握しているのだろうか。
エマの問いに男はキョトンとしてから、はにかんだ笑顔で答えた。
「忠義心」
「愛、ねぇ」
「みんな、知ってる。みんな、分かってる。だから、これはお礼」
両の手いっぱいの木の実を男は差し出す。なるほど、動物たちが持ってきたのは森を守ったお礼だったのか。
それは快く受け取らねば無礼というもの。ひょい、と木の実を一口。
彼らに向けてエマは笑った。
「ありがとう。嬉しい」
ワン、と男は鳴いた。
犬の獣人はケイレブと名乗った。
子どもの頃から狼の群れと、森で暮らしていたらしい。
なるほど、とエマは思った。
結界の作成者がエマだと理解したのは、感覚が動物に近いからだろう。
ケイレブの耳の下を掻いてやる。初対面の女に身体を預けて、目を細める男の無防備さも納得だ。
森育ちは信仰深いからなぁ。
良くも悪くも、動物たちは一途で困ってしまう。
「悪い大人に騙されないでね。餌付けされても、着いて行ったら駄目よ」
「悪いおとな?」
「そう、わたしの友達とか彼氏とか家族とか名乗ってたら注意してね」
「俺!」
「オレ?」
カフェオレが飲みたいのか。
それとも、フラメンコの掛け声か。
「家族、俺、家族」
「え?」
「家族、ご主人も家族」
「ご主人?」
「せーじょ様。ずっと俺たち守ってる。ずっと大事、家族」
森のみんなは家族。
パタパタと黒い尻尾が揺れる。語尾の緩い低音で甘えように鳴いて、茶色い瞳を星屑を溶かしたように輝せる。
「かぞく、俺の」
「人類みんな友達みたいなものかな?それなら、大きく見れば家族だね」
「家族!」
パッと華やぐ。
両腕を広げてエマに飛び掛かかった。大きな影が小さな身体を押し倒す。土と花の匂い。両手が背中に回ると抱え込むように抱き締められ、薄い腹に端正な顔が埋まる。
「ぐぇ」
「ふふ、家族、俺の」
「アッ!ァアー!?ワンチャン!こまっ、困りま.....うっぷ、アッアッ顔、顔をペロペロは困りま」
ペェーロペロペロペロペロペロ。
倒れ込み動けないエマの顔面に、狼たちの舌が襲いかかる。
ペロペロペロペロペロぺペロペロ。
白い子を筆頭にペロペロされ息ができない。身動ごうにも拘束が強い。
ギブと男の背中を殴打するが、少女の小さな手の打撃などたかが知れている。
「く、くるしっ」
「クゥーン、ワフ」
「お馬鹿!離せってば!」
察しのいい狼たちが離れる。
エマの怒りに気がついたらしいが、男に離れる様子はない。狼たちが心配そうに男を鼻で突くが、腕の力がさらに強まっただけだ。
人里離れてスキンシップ下手くそ丸だと大目に見ていたが、これはアウトだ。いくら犬っぽいとはいえ獣人。年端もいかぬ少女に無体を敷くのは万死に値する。
右手に魔力を込める。
ド頭かち割るつもりで、エマは拳を振り上げた。
「おい、この.....いい加減に」
「ケイレブ」
「し......あ?なんて?」
「ケイレブ、名前」
誰?
「ケイレブ、ケイレブ」
「どちらさんよ。というか、いまは関係ないで」
「呼んで、ケイレブ」
「呼ぶから離して」
「ケイレブ、ケイレブ」
「分かったから離せってば」
服を引いても離す気配がない。それどころか、さらに力が強まる。
誰なんだケイレブ。どうしていま呼んで欲しいのか、さっぱり分からない。
強めに肩の辺りを引く。もがくように身体を揺らすと、引き攣ったような声で男は鳴いた。鳴いて、言った。
「........お、俺の、俺の名前」
掠れた声だった。
呼んで、と続けた声は小さすぎて語尾が消えてしまう。指が震えている。今にも服を引き裂いてしまいそうなほど、指先は真っ白だ。
縋るようにもう一度。
「.......よんで?」
ため息をひとつ。
肩を揺らした男は、それでもエマを離さなかった。額を腹に何度も擦り付ける。甘えるように、乞うように。
白狐にそっくりだ。
嫌になるほど、行動が似ている。
エマは背中から顔へと手を滑らせると、両手で頬を包むように持つ。
「顔をあげなさい」
「........」
「こっちを見て」
断られると思ったのか、嫌々と男は首を振った。それを無理やりに引き上げて、茶色の瞳と視線を合わせた。
瞳は涙に滲んで揺れていた。
馬鹿だなぁ、とエマは眉を下げた。
「ケイレブ」
一言、たった一言で男は、ケイレブは目を見張る。垂れていた耳がピンッと張って、じわじわと顔を歪めた。大粒の涙が溢れてエマの服を汚す。手で拭うこともせず、ただボロボロと涙を落とした。
もう一度、名を呼ぶ。
ケイレブ。
「......うん、う“ん“」
噛み締めるように何度も頷く。徐々に花が綻ぶように笑顔になって、泣きながら彼は笑う。
「うん!」
心底嬉しそうに頷いて。
エマを抱き締めた。
エマもそれに答える。
上下する背中を刺すってやりながら、ゆっくりと空色の瞳に蓋をする。
様子見は不要だった。
選択に間違いはなかった。
偶然ではあったが、後に奪うのならそれは必然であったのだろう。
結界はここには不要だ。
「あの子が夢見た理想郷は、こんなものだったのね」
パラパラ、パラパラ。
雨が降る。虹色に光る硝子が剥がれてキラキラと、雨のように村に落ちていく。それは先ほどよりも速くに、無音のまま壊れていく。
与えた果実は時間が経ち過ぎて、醜く腐って溶けていた。
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