15、呼水 (ルイ視点)
「あ、倒れた方が良かった?」
軽い口調で人間は言った。
重圧で這いつくばるルイたちを他所に、優雅に足を組んで紅茶を飲んでいた。
その顔に恐怖は無い。脂汗1つかかずに、平然と菓子に手をつけていた。
年端もいかない小娘がだ。
「なぜ、」
「なぜ?おかしな事を聴くのね。わたしは部下ではないのだから、跪く必要なんてないでしょう」
碧眼が不思議そうにしている。
こてりと傾げた首を伝って垂れた金糸に、朝日が当たって輝いている。
まるでそこだけが、絵画のように美しく目が離せなかった。
俺はなにを。
己の思考にルイは愕然とする。
人間如きに見惚れるなんて。
キッと人間を睨み付ける。
魅了の魔法を使っているに違いない。魔王様をも虜にする強力な魔法を掛けられたのだ。そうでなければ、己が人間などに見惚れるなどあり得るはずがない。
下劣な人間め。
ルイは警戒心を強める。
「ああ、まだ理解していないようだな。誰が見上げて良いと許可した」
重圧が増す。
肉体が軋む。息をする余裕さえ奪われていく。押し潰されぬように歯を食いしばる。頬を伝った脂汗が床に染みを作るのを、ルイは見ていることしか出来ない。
己が下位だと見下した人間が呑気にクッキーを頬張る横で、呼吸すらままならない。
これでは、昔と同じだ。
ルイの頭に遠い記憶が蘇る。
狭い檻、冷たくなる同胞、床に広がる黒い染み、下卑た男の声。
苦い苦い思い出が、フラッシュバックしては消えていく。視線の先には動かない同胞がひとり、ふたり、あんな、あんなにたくさん。
「あ、これ美味しい」
「持ち帰るか?」
「そうする」
サクサクと音が聞こえる。
トウモロコシの実を爆発させて作ったキャラメル漬けの白い菓子が、人間の口に運ばれては消えていく。
白狐のために用意した菓子が、憎き人間に消費されるのを黙って聞いていることしかできない。
俺たちは居ないもの扱いか。
怒りで息が荒くなる。噛み締めた唇から血が溢れた。人間が、恐怖で動けない己の不甲斐なさが、憎くて憎くて堪らない。
「ああ、なんと情けない。抵抗できるのはふたりだけか、落ちたものだ」
「.........っ!」
「エマに吠えておいて、この程度で気絶とは。余ならば、恥ずかしさのあまり靴を舐めてから身を投げておる」
カトラリーからバターナイフを取り出すと、シオンは床へと放った。
カラン、と高い音がした。滑ったナイフは給付の前でくるりと回って止まった。
給付の瞳が絶望に染まる。カタカタと全身は震え、荒い息と謝罪の言葉が口から漏れた。
彼女は人間をよく睨み付けていた。
きっと目をつけられたのだ。
「も、もうしわけ......はぁはぁ、もうしわ、ございませ.....わ、わわ」
「......ふむ、なるほど理解できぬか。獣人はもう少し知性的だと覚えがあったが、300年もあれば変わるか。よい、許そう。余の記憶違いだ。魔族として扱った余の落ち度だ」
給付はシオンに許しを乞うが、返ってきたのは溜息と幻滅だけ。床に額を擦り付けて、壊れたように謝罪の言葉を繰り返す給仕を見下ろすだけ。
そこに同情は無い。
やはり魔王様にとって獣人など、駒の1つにすぎないのだ。今も昔も、同胞は同胞でしか守れない。
ルイは唾を飲み込むと懇願を絞り出す。
「おやめ下さい......」
「なぜ?」
「死んで、しまぅ」
「やだぁ、こんな時に冗談?随分と余裕があるのね」
ケラケラと人間が笑う。耳障りなそれが神経を逆撫でするが、斬りかかることは出来ない。怒鳴ることすら、ままならない。
「瀕死状態から数日しか経ってない幼児に肉を勧めるくらい丈夫なんだから、これくらいで壊れるわけないじゃない」
「なんの、話だ」
「あら、忘れたの?朝食の席での話だけど........もしかして痴呆?」
「いいかげんに」
「それとも、嘘をついたの?」
「ーーッ!」
冷たい声が落ちてくる。
そこに、か弱い人間などいなかった。いるのは化物だ。
少女の皮を被ったナニカ。
腹が底冷えするほどの恐怖が湧き上がり、明確な死のビジョンが全身を支配した。魔王様の時とは違う。
従属によるプレッシャーなど比では無かった。抗わねば殺されると、本能が理解していた。
「ねぇ、食べられないのに食べられると嘘をついて勧めたの?」
「あ.....」
「無言は肯定と取るけど」
「.......ちが」
淡々とされる質問にどうにか答えを絞り出すと、無機質だった少女の瞳が光を灯した。
からり、と軽い口調で会話は続く。
「そう、なら死んだりしないわね」
「え?」
「どれくらい脆いのか、判断できなくって。でもこれで平気なら問題ないわね」
「まて」
待ってくれ。なんの話をしている。
思いは言葉にならない。その自由は無い。与えられぬまま話は進む。
人間が心底困っていたの、と頬に手を当てて溜息を吐いた。憂うように目を細めて、世間話でもするような口調で語る。
ルイたちはそれを、一方的に聞くだけ。
「睨むし、怒るし、意地悪するからどうしようかと思ってたの。今度からは、こうやって黙らせるね」
「なんの話で」
「あの子の要望を叶えるなら自己防衛って大切だと思うの。村の様子も見ておきたいし」
いま、なんと。
村の様子を見ると言ったか。
「村に降りるつもりか」
「ええ、もちろん」
なぜ、なぜ、そんな必要はないはずだ。我々は村への侵入を拒絶したはずだし、その理由も話した。了承もしたはずだ。なのに、なぜ反故にする。
「それがあの子の望みなら」
「そんな必要はない!!」
ルイは床を叩いた。
重圧でペシャンコになりそうな身体に鞭を打って、強い口調で反論した。
一言で肺が壊れそうだ。
奥歯を噛み締めて、己を奮い立たせる。
同胞を危険な目に合わせるわけにはいかない。仲間を守らなければ、頭にあるのはそれだけだ。
「お前など、必要無い.......白狐に人間は必要ない!同胞には人間など、必要ではない!」
いらない、いらない、いらない。
人間など必要ない。
獣人だけで十分だとルイは吠えた。
この村に、白狐に、同胞に人間など必要ない。手は借りない、その必要も無い。この世界に人間など必要が無い。
カシャンと壊れる音も、シオンの反応もなにもかも気付けないほどに強く強く、ルイは吠えた。
「あら、」
「ふむ」
心からの叫びへの返答は、拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。
人間がぱちりと目を瞬かせて、威圧が消える。
身体を押さえ付けていた無慈悲な力は霧散し、荒い息遣いだけが部屋に響く。
咳き込むデイビットを見るが、問題ないと首を振られた。給仕はすでに意識がない。息を確かめると、僅かに呼吸音が聞こえて肩を下ろした。
「聴いた?」
「聴いたな」
「拒絶したわね」
「ああ、明確に拒絶した」
「なるほど、棚ぼただわ」
ぱっと、人間の顔が華やぐ。
ありがとう、シオン。
人間が微笑んで、上機嫌に菓子を食んだ。
自分たちの要望が通ったことを、喜んでいるのだ。同意か強制かなど関係はない。まったく変わらない。人間は悪辣な生き物だ。
ルイはギロリと鋭い視線を向けた。
屈するつもりはない。例え力でねじ伏せられるとしても、心まで従属するつもりは毛頭ない。
「長くなると思ったけど、3日で済みそう。白狐には悪いけど、それまでに決めてもらおう」
「答えは出ていると思うがな」
「そうかな?親離れは、いつだって寂しいものなのでしょう?」
デイビットを起こす。
足元のふらつく彼を壁に背を付けながら、ゆっくりと立たせる。視線は人間から逸さぬまま給仕の首を掴んで、持ち上げると後退した。
まずは、同胞を逃さねば。
一歩、また一歩と足を下げる。あと少し、あと少しで扉に手が。
その時だった。
ギジリッと床が軋んだ。
「ああ、そうだ」
心臓が跳ねる。
人間がこちらを振り返った。
また魅了の魔法を使われると警戒したが、人間は青をこちらに向けるだけ。
先ほどの威圧は感じない。神々しさも何も。非力で愚鈍で悪辣な、ただの人間にしか見えない。
それなのにーー
「破棄してくれてありがとう」
ーーー俺は、取り合えしのつかないことをした。
ごくりと喉が鳴った。
得体の知れない恐怖が、ルイの心に沁みていく。
1滴ずつ。
ぽたぽたと。
名前の分からない漠然とした不安が、人間を見ていると広がっていった。
整えたはずの息が詰まる。喉を掴まれたような息苦しさが居座っている。
「これから頑張ってね」
見捨てられた。
自分たちは見捨てられたのだ。
訳のわからない感覚に支配され、ルイは恐怖のあまり足早に部屋を後にした。引き止めるデイビットの声に、反応することは出来なかった。
お読みくださりありがとうございます!
感想くださると、今後の活動の励みになります!




