9、延長
こんこん、と乾いた咳が部屋に響く。
前日よりも小さくなった呻き声は、いまだ苦しげだ。薄らと瞼が開く。ベットに横たわる小さな背中に手を回して、暑い身体を起こした。
「飲める?」
グラスを差し出す。薄く開いた口に、ゆっくりと水を注いだ。嚥下するのを見守ると、白狐の頭を撫でてやる。
いいこ、いいこ、お前は良い子。
最後に額にキスをして白狐を夢の国へと見送ると、それを胡乱な目で見守る鳥に笑顔を向けた。
「おい、なに見てんだ見せ物じゃねぇんだぞ」
美少女から出たとは思えない低い声、乱暴な物言いに小鳥は飛び上がる。
怯えながらも精一杯の威嚇を向ける小動物に、美少女ーーエマは舌を鳴らした。
涙袋には黒い隈が居座り。眦は眠気に抗うために吊り上がっている。目は充血し、疲労のせいか髪はパサついていた。
これが育児疲れ。
エマは(ほぼ)ワンオペ育児の大変さを、噛み締めていた。
**************
白狐の熱は下がらなかった。
むしろ、上がった。
弱りきった身体で魔力暴走。もともとの体調不良も相まって、熱は上がりに上がって体温計を爆発させた。
「えーん、生命力あげれば良かった。え?今からでも入れる保険あるんですか?無い?無いなら作れよ!!!」
ついでにエマも爆発した。
小鳥の態度が悪かったからだ。
買い物や洗濯など身の回りのお世話を頼んでいたのだが、まあ口を出す。
粥を与えれば「肉をやれ」。
風呂にいれれば「湯船はどこだ」。
薬を飲ませれば「毒だろう」。
髪先に触れることすら出来ないくせに、やる事なすこと口を出した。
我慢の限界だったのだ。
「お前はぴーちくぱーちく鳴くしか脳がない無能ではないでしょう?それなら、喉はいらないよね」
エマはカエラの喉を潰した。
冗談だ。泣き喚いて許しを乞うたので、一時的に音が出ないようにはした。
「聖女の魔法は癒しの力。解術することは出来ないから」
「まるで悪魔のようだ!」
解術は呪いにのみ有効な手段。
癒しに作用することは無い。
つまり自然に魔法の効力が消えるまで待てば戻るのだが、魔族が知るわけもない。
真っ青になる小鳥たちとは対照的に、シオンは手を叩いて笑い転げた。
お前の監督不足だろう。
蹴り飛ばせばゲラゲラと笑う。
「不要か?なら処分するとしよう」
「圧政は止めろ。暴君か」
「そうだが?」
「魔王こわっ」
「前はまだしも、いまは余の手を離れておるからな」
管轄外というやつだ。
無邪気に答える男に小鳥は色を失う。怯え、平伏し、許しを乞う少女を前にここまで無慈悲に笑う奴はそうはいない。さすが本職は度合いが違う、とエマは感心した。
どちらも大差ない。
「わたしの、わたしの教育不足です。お願いですから、妹の命だけは!」
「いや、妹のせいでしょ。お姉ちゃんだからって、妹の不始末は妹の責任でしょ?なに言ってんの?」
「え、でも」
「生まれる順番早いと、血が繋がってる他人の尻まで拭かないといけないの?」
今ってそうなの。
シオンに聞くと首を傾げる。
余も先日まで土の中だったからな。
わたしもド田舎出身だからなぁ。
なるほど、それなら仕方ない。
ふたりは顔を見合わせると、ロッティを指差して言った。
教育方針の違いだな、と。
「ここでは自己責任が基本だ。自分の尻は自分で拭かせよ」
「というわけで、あなたは今日からお世話掛2号ね」
「え?ええ?」
文脈など繋がっていない。言いたいことだけノリで言い放つと、ふたりは寝た。疲れていたのだ。
3時間おきに食事を摂らせる生活で、疲れないはずがない。
混乱するロッティを他所に白狐を囲むように、ふたりはぶっ倒れた。
「.........いいんだ」
カエラの喉は戻してもらえてない。
白狐にも触れられない。
憎き人間は未だ健在だ。
状況は暗転するばかりなのに。ロッティは胸を押さえた。暖かく灯った内側の光を、逃さぬように。
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